王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

国家の品格論 第五章

2006-05-04 07:50:58 | 国家の品格論
   第四章  の続きです
ついに第五章まで来ました ここで藤原先生は「武士道精神」という「形」(道徳)をつまらない論理にばかり頼っている世界(の人々)に伝えていかねばならぬと主張されます

前章で述べた(日本という世界に希な風土の生む)美的感受性や情緒を育むと共に(加えるにという意味合いか)「精神の形」が必要である これは(言い換えれば)行動基準、判断基準となる物 (すなわち)道徳である (その柱に)「武士道精神」を復活すべきと20年前から考えていた

(この書き出しは爺には非常に難解な部分でありますが爺が読むと以上の様に読めるのです)
そして「武士道精神」とは鎌倉時代以降多くの日本人の行動基準、道徳基準として機能してきた この中に慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠などが含まれる 惻隠とは他人の不幸への敏感さである 加えて名誉,恥の意識もある これが日本の道徳の中核をなしてきた

武士道は鎌倉武士の「戦いの掟」であったが260年の平和な江戸時代を通し武士道精神へと洗練され町人、農民にまでいきわたりついに日本人の行動規範となった

武士は武士道精神を最も忠実に実践しているとの一点で尊敬された その事は金銭よりも道徳を高く見るという日本人の精神性の高さの現れである
その武士道にはさまざまな精神が流れ込んだ 仏教 特に禅、儒教、神道 そして最も中心は日本古来の土着の考えである 縄文の頃から「卑怯はいけない」「大きな物は小さな物をやっつけてはいけない」との道徳観・行動基準を持っていたのではないかと思う(爺の注:持っていたと断定せず“持っていた!のではないかと思う” と核となる考え方につき語尾を濁されるのはどうしてだ!?)
 
禅も儒教も舶来品だが日本人に古くからあった価値観であるから理論化したのは中国人だが受け入れ武士道精神へと昇華したのは日本人だ

武士道精神廃れる
武士道精神は戦後廃れたが実は昭和の初めより失われつつあった 中国侵略やヒットラーと同盟を結ぶ愚行は武士道精神の衰弱による
(藤原氏が思うには)日露・日米戦争は独立・生存の為いたし方ないが日中戦争は無意味な「弱い者いじめ」であり武士道精神に照らせば「恥ずかしい」「卑怯」な事であり武士道精神の衰えなのだ 中国を相手に「赤子の手」をひねるような戦争をしていたので陸軍装備の近代化が遅れノモンハンではソ連機甲師団に仰天してしまった 関東軍の暴走である  だから天皇、陸軍、政府の深入りする事に反対した 日本の歴史の汚点である 戦後は武士道精神は崖から落ちるように無くなったが未だ少しは息ついている 今の内に武士道精神を取り戻さねばならない

(爺は上の藤原史観に猛烈な反感を覚えますがそれを書くと別に一章必要になりそうですので先生のお説の紹介に留めます)
さまざまな武士道精神
武士道には明確な定義はない 「武士道というは死ぬことと見つけたり」の「葉隠」は山本定朝が口述した佐賀鍋島藩の武士道に過ぎない
私(藤原先生)は新渡戸稲造の解釈した武士道が好きです そして私の「武士道精神」も多くは新渡戸の解釈に拠っている 彼の解釈にはキリスト教的な考え方が入っている事は承知しているし鎌倉武士の武士道とかけ離れているとの説も承知している 大切なのは「武士道の定義」ではなく「武士道精神を取り戻す」ことであるから
(日本人の)美意識の基本
「武士道の象徴は桜の花だ」と新渡戸は言い本居宣長の歌
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」を引いて他のいかなる花も及ばないと誇ります 香りは淡く風が吹けば潔く散ると この「清澄爽快感」が大和心の本質であると説く 西洋の薔薇は美しいがとげを隠しおりなかなか散らない,死を恐れるかのように茎にしがみついたまま色褪せて枯れてゆく これを賛美できないと(恐らく藤原せんせいも)

卑怯を憎む
先生はこの武士道精神を父上から叩き込まれていたそうで(特に)「卑怯はいけない」と言うことを「何の理屈も無しに」薫陶をうけたそうでこの事は幸運であったと そこで「形」(説明抜き・無条件)としての「卑怯を憎む心」を育てねばならないと考える
 
武士道の将来
新渡戸稲造が最終章で言った「武士道」が消えてもその力は滅びず人類を祝福する
その言葉のように「武士道精神」の力は地上より滅びない まづ日本人が取り戻しつまらぬ論理に頼っている世界の人々に伝えて行かねばいけない


爺の後知恵:なにか今日も疲れた この章の大半は先生がそう思うとの話ですからそうですかねーー でも教育の基本に何を据えるかという様に問題を捉えれば「教育基本法」論でもあります 先生はそれに「武士道精神」を叩き込めと主張している様に聞こえます

叩き込めたのも徳川幕府の権威と「士」という最上の身分と「家」を継ぐという世襲制を背景に可能な教育法であったのです 幕府の崩壊,四民平等、一騎打ちという戦場の消失で「武士道精神」は拠り所を無くしました 反対に「武士の商法」と揶揄されたりして もう少し視野の広い心の拠り所は何でしょうね しなやかで美しくしたたかで打たれ強くしかも凛としている 何でしょうね

次は第六章になります   
コメント (7)
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国家の品格論 第四章

2006-05-02 09:52:07 | 国家の品格論
 第三章 後半 の続きだよ
ここ第四章で藤原氏は力の対決を解決する一つの解決法として日本の「情緒」と「形」をさまざまに説明しそこから愛を抽出してついに「祖国愛」を提唱します

「論理や合理」を剛 「情緒と形」は柔で 剛と柔があい携えて人間の総合判断力は十全になる
そして「情緒と形」は自然に対する感受性とし昭和の初め英国人が日本の庭師の感性を褒めるのを例にします その感性で 茶,華、書も道の付く芸術にしてしまう
柔剣道も美と礼を重んじ外国の格闘技と趣が違う 

他国より自然の驚異が絶えないので「悠久の自然と儚い人生」を感じ「無常観」を生み出しやすい 無常観はもともとお釈迦様の言った事で無常は哲学だ

それが日本で変質をとげた 「全ては変わり行く」ドライな達観から派生して弱者へのいたわりとか敗者への涙という情緒を生み出した お能の「敦盛」が今でも演じられるのは無常観、武士道で言う惻隠に近いものが日本人の心に流れているからであろう

もののあわれについて
この無常観がさらに抽象化され「もののあわれ」とうい情緒になった 人間の儚さや移ろい行く行くものに美を発見する感性だ 

虫の鳴く音にもののあわれを感じ或いは楽しむ感覚 これは欧米や中韓にも無いそうだ しかし雪に関する言葉はエスキモー(今はイヌイートと呼ぶのがポリティカリーコレクトではないのか?)では100以上あるからもののあわれは世界中の人が持ってい様が日本人が特別鋭いと言う事だ

この感性の鋭さが桜の花に対するものだ 3~4日で潔く散ってゆく花に人生を投影しついには国花にした 紅葉についても同様で繊細で華奢である 自然も繊細であり四季の変化がはっきりしている

世界では四季が無くて普通だが日本でははっきりしている 植生が豊かで繊細微妙な環境に何千年も暮らしていると自然に対する感受性が特異に発達する この感受性が民族の根底に何千年もかけて沈殿する

跪く(ひざまずく)心
「もののあわれ」の他に日本人は自然に対する畏怖心とか跪く心を持っている
欧米人にとって自然とは人類の幸福のため征服すべき対象だ しかし太鼓から日本では自然は偉大で跪く対象であり調和して生きようとしてきた そこで神道が生まれた この情緒が民族としての謙虚さを生んだ さらに自然と心を通わす特技を持ている 俳句がこれだ 
「懐かしさ(なつかしさ)という情緒」
もう一つ誇りうる日本の情緒は「懐かしさ」だ
日本人の(故郷に対する)郷愁は緊縛感とでも呼べる濃厚な情緒である 子供には郷愁を主題にした文学をたっぷり読ませないといけない
 
四つの愛
この「懐かしさ」という情緒は先生が四つの愛と呼ぶ基礎になる 「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」最後が「人類愛」
ただし「祖国愛」には反対意見の人も多かろう でも「祖国愛」が無い者が戦争を起こす 日本で良いイメージでない「愛国心」には二つの考えが流れ込んでいる
一つは「ナシュナリズム」で他国の事はどうでも良いから自国の利益のみ追求する浅ましい思想である 一方先生の言う「祖国愛」は英語で言う「パティリオティズム」に近い 「パティリオティズム」とは自国の文化、伝統、情緒、自然、そういったものをこよなく愛する事だ 美しい情緒で世界中の国民が持つべきもの 
二重基準(ダブルスタンダード)
ナショナリズムは不潔だが政治家はある程度持ったほうが良い 世界中の指導者が例外なく国益を考えているのに日本の指導者がナショナリズムを不潔だなど高邁な思想を貫いてと日本は大損をするので
 
そこで国民はナショナリズムを敬遠しつつ、リーダー達のバランスあるナショナリズムを容認すると言う二重基準(ダブルスタンダード)で行くしかない

この美醜ないまぜにした「愛国心」が戦後GHQの旗振りのもと捨てられてしまった わが国現在の苦境は「祖国愛」の欠如に起因するのだ 氏は「愛国心」に代え「祖国愛」を広めようと思う

爺の後知恵:
この章では先生の考える「情緒」が世界のどこより優れた日本の自然環境に育てられたものでその地に愛を感じ愛の対象を広げついに「祖国愛」という比較的新しい言葉を提唱します
しかしここでも先生は「お馬鹿な国民」と「日本を代表する指導者」が持つべき「愛」を違えさせダブルスタンダードと臆面も無く記す このあたりが先生は新理念或いは新倫理を真面目に訴えているのか爺がくっさく思う点です
次は第五章 いよいよ「形」武士道精神の登場です  続く

 
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国家の品格論 第三章 後半

2006-05-01 07:53:45 | 国家の品格論
  第三章 前半 からの続きです
さて次に先生は民主主義も根拠はいい加減と切って捨てます 民主主義の根幹は「国民主権=主権在民」である」「封建主義を振り切り独裁者の暴政から逃れて民主主義は素晴らしいと思っている しかしそれを実現する為には大前提がありそれが「国民が成熟した判断を出来ること」である

第一次世界大戦は国民の大騒ぎした結果、外交で収まりがつかず850万人が犠牲となった 第二次世界大戦も民主主義国家であったドイツで「ナチス」が第一党で国民投票により台頭した

日本だって1937年の日中戦争まで民主国家であった日米戦の期間は登場独裁だが国民始め新聞も軍国主義を支持した
さて現在をみればアメリカや日本は「主権在民の民主国家」である 主権在民とは「世論が全て」であるから世論をマスコミと言い換えるとマスコミが第一権力になり立法・行政・司法もマスコミの下にある 民主主義がそんな事態になると誰も想像していなかった
そこで行政は「ポピュリズム(人気取り主義)」に流れ立法も(マスコミに踊らされる国民が)政治家を選ぶ 司法もその例外でない 「ポリティカリーコレクト(弱者こそ正義)」の考えで冷静さを欠いた判決がでる 検察も同様にマスコミの反応を見ながら国策捜査をやる 民主国家は現実として世論こそが正義でマスコミが第一権力者になる

そして大前提に立ち返ると「国民が成熟してゆけば」上に指摘したことは昔話ですむが実は「国民は永遠に成熟しない」のである 放って置けば民主主義が戦争を起こし地球まで潰してしまう(恐れがある)

爺の感覚が反発する 民主主義は政治制度の一つである 最初から完璧なもので無い かつそれを運用する国民も制度に精通しなければ 更に対象である社会が枠組みを変えてゆくのであるから絶えず改良を計り形式民主主義に陥る事を避けねばならない ドイツも日本も1930年代には国民の教育と制度の運用に誤りがあり共に国を誤った 藤原先生は「衆賢なりや 愚なりや」の課題に「衆愚なり」と断をくだした

又日本では戦前も戦後もマスコミの煽りや誤誘導(ミスリーディング)は酷い しかし先生が指摘する「お馬鹿な国民」には教育の質を高め「国民主権」を担える実力を付ける様にするのが親心でないか?

さて先生は主張する お馬鹿国民による混乱を防ぐには「真のエリート」が必要である イギリスやフランスそしてアメリカにも真のエリートはいる 国の為に命を捧げるようなエリートが賢くない国民をリードするのである 日本でも戦前派真のエリートがいたが戦後アメリカの占領政策で旧制中高校をつぶした結果 エリートはいなくなり偏差値が高い官僚だけになってしまった

しかし爺はこれにも賛同しかねる 1945年日本を敗戦に導いたのは軍人はもちろん外務官僚・内務官僚もみな先生の言う真のエリート(なる者達)だ アメリカでも40歳代の大統領ケネディを支えたのは東部のエスタブリシュメント(エリート)と言われた連中でヴェトナム戦争介入でどへまをこいた 最近では仏でCPE問題を事実上撤回したのは大統領・首相を補佐するエリートの失敗である

更に先生は吼える 「平等」もフィクションである 先生は勉強は出来たが女性にもてなかった  サッカーも一所懸命練習したがベッカムの足元にも及ばぬとして平等を否定します
本来英国王支配に対する「平等」が王侯支配の無くなった今日人権がらみの「差別」に対する対立軸となり力でねじ伏せるような流儀とあいなった

この主張にも爺はそうかな?と首を傾げます 先生がもてなかったりサッカーが下手なのは個体差の問題で「平等」の問題ではありません 先生は問題を意識的にすり替えているか間違えています 「平等」とは醜男でも結婚が出来,短足でもサッカーを許されている状態を言うのです とは先生の例証に対する冗談ですが「門地・身分・性別・宗教・思想・信条」等などにより差別をしない/受けないという事です 権力側が譲らなければ対立せざるを得ないでしょう

ついで先生は力による対立に対処するのは「惻隠」である 武士道精神の中軸である弱者・敗者・虐げられた者に対する思いやりだ

最後に「論理」だけではもたない 「自由」と「平等」は両立しない かくも美しい言葉に酔ってしまった所に世界の直面する苦境の原因があると明言されます

あー疲れた
爺の後知恵:
あんまり長いので章節ごとに反論を書きました 第四章では「情緒」「形」の解説を通じ愛国心に代わる「祖国愛」を訴えます
コメント (2)
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国家の品格論 第三章 前半

2006-04-26 08:58:37 | 国家の品格論
ついに「国家の品格」第三章まで来ました ここでは藤原氏が第二章で論理の出発点の選択が大切なことを述べましたが欧米由来の論理で疑って掛かるべき自由・平等・民主主義を彼の視点で滅多切りです (これに対抗するに)欧米ではエリートがいて潰れない 日本では惻隠という武士道精神で論理の衝突を避けよと訴えます

まづ自由について:17世紀の英国の思想家トマス・ホップズの自然権「各人が自己生存のためになんでもする自由」と次の世代のジョン・ロックの「他人の自由と権利を侵害しない限り自由」の2説を引いてロックの説は「援助交際も自由」となってしまうでないかと批判します

話が高尚なのでその時ごとに爺の感想を述べます 時代背景を考えれば産業革命を契機に裕福市民層(ブルジョアジー)が勃興し王権とか領主権と呼ばれる「生殺与奪」一切の権限を持つ者に対抗するべく生まれた思想(理屈)であろう 「援交自由」は広く人倫とかもう少し細かく見れば貞節・廉恥・愛の様な観点で規制される筈が藤原先生は両者の合意は「自由」であると問題をはぐらかしたか混乱させる意見である

さて先生はついでロックが自説を言い出した背景を次の様に言う 16世紀に始まった宗教改革のプロテスタンチズムの、中でもカルヴァン主義にある 最大の特徴はカルヴァンの唱えた「予定説」で救済されるかどうかは神の意思にで予め決められている そこでどんなに祈っても寄進しても救済されるかどうかは無関係である

カルヴァン主義はヨーロッパのプロテスタントの中でも大論争になったそうです 「救いの確証」を得たいと思っても神の意思を知る方法は無い そこで勢い「神から与えられている職業(天職)に励む」 利益のチャンスがあったら神の意図し給うたものだから積極的に励む かくして金儲けに倫理的栄光があたえられた

ロックが「個人は快楽を追及してよい 全欧の神が社会に調和をもたらしてくれるから」との重大発言はカルヴァン主義「予定説」の流れにある
さらにアメリカ合衆国の独立宣言にある「自由と平等」もロックの亡霊が暴れまくった年でロックの言葉の焼き直しであり草稿者であり後の第3代米国大統領をコメントしようもないとついでに「国富論」を書いたアダム・スミスもその手合いである
つまりロックのいう自由平等は独断、ジェファーソンは神頼み 「人間の尊厳」とか「ヒューマニズム」や「人権」はカルヴァン主義の信仰に過ぎずいい加減な物だと喝破されます

爺は思う 次々出てくる人名は高校の世界史でチラット見た程度で藤原先生のお考えはそうですかなと思うばかり しかしカルヴァンの主張はローマ法王の権威に対しては(その当時)鮮烈な反対主張(アンチテーゼ)であったわけです 宗教倫理の革新は哲学・経済学・政治学に多大な影響を与えアダム・スミスをして「国富論」を書かせカール・マルクスに続いて行くのでないかと思うのです 何とか富の蓄積と権力の結合による経済の暴走を止める為に
 
これで半分です まだ重い主張が 第三章 後半 へ続きます
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国家の品格論 第二章

2006-04-18 07:14:56 | 国家の品格論
今日は「国家の品格」第二章についての大筋と爺の感想です 
ここでは藤原氏が「論理」だけでは世界が破綻する理由を四つ挙げて説明します

その1:論理の限界---人間の論理や理性には限界があり理論を通してみてもそれが本質を突いているかどうか分からない そして例証する 藤原氏がアメリカにいた時に大学生の英語があまりに酷いのに驚いた その理由は英語の時間にタイプ(を打つ事を)を習っていたのだと 彼らにとって国語(英語)の時間にタイプを習うのは(高校或いは大学を)卒業後は必ずタイプを打つ そのタイプを国語の時間に教えることは有用である かくして国語の単位に変えてタイプの単位をとっても良いとなり ついにはタイプは打てるが打つべき英語が崩壊したのであると 1970年代の後半になると海軍の新兵の25%が武器の取扱書が読めなくなっていたと そこで基礎基本の教育をやろうと流れが変わった---以上正しい論理を追求しても惨憺たる結果である そしてアメリカの集中学校で株式投資を教える学校が有ること批判します 小学生であればまづ国語、加減乗除、分数、少数を学ぶことが圧倒的に重要で(株を通して)経済や社会を考える必要はない

一寸長くなるけど今いろいろ議論を呼んでいる小学生の英語教育がこの章でも語られているので紹介する 日本でも2002年からゆとり教育で全国9割の小学校で英語を教えているが、この様なことは日本を滅ぼす確実な方法である 公立小学校で英語を教えたら国際人はいなくなる 英語は手段であるから国語を徹底的に固めること 伝えるべき内容が重要なのだ 国語の中でも読書 初等教育は読書、日本の歴史や伝統文化を教え込む 活字文化を復活させ読書文化を復活させる事 遠回りでも国際人を作る良い方である
爺は思う 文化が民衆化すると表現は映像化し生活は行動するというのが歴史の一面でもあります テレビ・ビデオ・漫画は底辺拡大に貢献し旅行は見聞を広めます

(英語教育の例で述べたように)国民に受ける論理は「国際化だから英語」という様なワンステップ(一段式?)の論理であり国民が国を滅ぼしているとも言える
(話は飛ぶが)戦争で人殺しを反省しながら繰り返してきた どの戦争でも当事者双方に「論理」はあった 戦争が紛争解決の最善の手段であるかどうかはいつも的確には判断できない 論理的に得られた結論は磐石ではない
 
その2:最も重要な事(の多くは)論理で説明できない
論理では説明できないが重要なことは山ほどある この件について1931年オーストリアの数学者クルト・ゲーデルが「不完全性定理」によって証明した この定理は数学にとどまらず哲学にも大きな影響をあたえた
例えば「人を殺してはいけない」と言う事だって論理では説明できない
一方 江戸時代会津藩の藩校日進館では「年長者の言うことに背いてはなりませぬ」で始まる七か条の掟(おきて)の最後は「ならぬことはならぬものです」と結んでいる 「いけないことはいけない」論理でなく価値観を押し付ける これが重要である
本当に大切な事は親や先生が頭ごなしに押し付ける これが重要である

論理で全て貫くのは欧米思想で、論理で説明できない部分をしっかり教えるのが日本の国柄であり、そこにわが国民の高い道徳の源泉があった

その3:論理には出発点が必要 論理はAならばBという様に展開するがAは仮説であり、この仮説を選ぶのは主にそれを選ぶ人の情緒である 情緒とは論理以前のその人の総合力である であるから最悪は「情緒力がなく論理的な人」だ

その4:論理は長くなりえない 論理が長くなると信頼性が低くなる事を「風が吹くと桶屋が儲かる」を例に確率を当てはめ説明する 一方日常の論理は短く深みに達しない しかもワンステップ、ツーステップの短い論理が好まれはびこる 

いじめがあるから「みんな仲良く」でもちっとも減らない そんな事より「卑怯」を徹底的に叩き込むことである

爺の後知恵:あー疲れた 論理で事は決まらないとしたら叩き込むべき大事な事はどうやって決めるのかしら 会津日進館の校則を挙げていたので《儒教・朱子学》による四書五経等が脳裏に浮かぶ しかしこれは徳川幕府の権威の下、武士に始まり教育底辺の広がりと共に百姓町人を含む教育の根幹となった教科過程(カリキュラム)であろう 氏の発言からすると《武士道精神》であろうが国民の品格の根幹に据えるにはやや窮屈ではなかろうか
氏の小学生に対する英語教育批判も確かに日本人が英語を喋れば国際人になれるわけではないがnative speakerによる正しい発音でthank you やtheが発音出来て道案内の一つも気軽に出来れば爺が受けた頃の英語教育より数段の進歩であろう


次は第三章です 自由・平等・民主主義を滅多切りです

  
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