第四章 の続きです
ついに第五章まで来ました ここで藤原先生は「武士道精神」という「形」(道徳)をつまらない論理にばかり頼っている世界(の人々)に伝えていかねばならぬと主張されます
前章で述べた(日本という世界に希な風土の生む)美的感受性や情緒を育むと共に(加えるにという意味合いか)「精神の形」が必要である これは(言い換えれば)行動基準、判断基準となる物 (すなわち)道徳である (その柱に)「武士道精神」を復活すべきと20年前から考えていた
(この書き出しは爺には非常に難解な部分でありますが爺が読むと以上の様に読めるのです)
そして「武士道精神」とは鎌倉時代以降多くの日本人の行動基準、道徳基準として機能してきた この中に慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠などが含まれる 惻隠とは他人の不幸への敏感さである 加えて名誉,恥の意識もある これが日本の道徳の中核をなしてきた
武士道は鎌倉武士の「戦いの掟」であったが260年の平和な江戸時代を通し武士道精神へと洗練され町人、農民にまでいきわたりついに日本人の行動規範となった
武士は武士道精神を最も忠実に実践しているとの一点で尊敬された その事は金銭よりも道徳を高く見るという日本人の精神性の高さの現れである
その武士道にはさまざまな精神が流れ込んだ 仏教 特に禅、儒教、神道 そして最も中心は日本古来の土着の考えである 縄文の頃から「卑怯はいけない」「大きな物は小さな物をやっつけてはいけない」との道徳観・行動基準を持っていたのではないかと思う(爺の注:持っていたと断定せず“持っていた!のではないかと思う” と核となる考え方につき語尾を濁されるのはどうしてだ!?)
禅も儒教も舶来品だが日本人に古くからあった価値観であるから理論化したのは中国人だが受け入れ武士道精神へと昇華したのは日本人だ
武士道精神廃れる
武士道精神は戦後廃れたが実は昭和の初めより失われつつあった 中国侵略やヒットラーと同盟を結ぶ愚行は武士道精神の衰弱による
(藤原氏が思うには)日露・日米戦争は独立・生存の為いたし方ないが日中戦争は無意味な「弱い者いじめ」であり武士道精神に照らせば「恥ずかしい」「卑怯」な事であり武士道精神の衰えなのだ 中国を相手に「赤子の手」をひねるような戦争をしていたので陸軍装備の近代化が遅れノモンハンではソ連機甲師団に仰天してしまった 関東軍の暴走である だから天皇、陸軍、政府の深入りする事に反対した 日本の歴史の汚点である 戦後は武士道精神は崖から落ちるように無くなったが未だ少しは息ついている 今の内に武士道精神を取り戻さねばならない
(爺は上の藤原史観に猛烈な反感を覚えますがそれを書くと別に一章必要になりそうですので先生のお説の紹介に留めます)
さまざまな武士道精神
武士道には明確な定義はない 「武士道というは死ぬことと見つけたり」の「葉隠」は山本定朝が口述した佐賀鍋島藩の武士道に過ぎない
私(藤原先生)は新渡戸稲造の解釈した武士道が好きです そして私の「武士道精神」も多くは新渡戸の解釈に拠っている 彼の解釈にはキリスト教的な考え方が入っている事は承知しているし鎌倉武士の武士道とかけ離れているとの説も承知している 大切なのは「武士道の定義」ではなく「武士道精神を取り戻す」ことであるから
(日本人の)美意識の基本
「武士道の象徴は桜の花だ」と新渡戸は言い本居宣長の歌
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」を引いて他のいかなる花も及ばないと誇ります 香りは淡く風が吹けば潔く散ると この「清澄爽快感」が大和心の本質であると説く 西洋の薔薇は美しいがとげを隠しおりなかなか散らない,死を恐れるかのように茎にしがみついたまま色褪せて枯れてゆく これを賛美できないと(恐らく藤原せんせいも)
卑怯を憎む
先生はこの武士道精神を父上から叩き込まれていたそうで(特に)「卑怯はいけない」と言うことを「何の理屈も無しに」薫陶をうけたそうでこの事は幸運であったと そこで「形」(説明抜き・無条件)としての「卑怯を憎む心」を育てねばならないと考える
武士道の将来
新渡戸稲造が最終章で言った「武士道」が消えてもその力は滅びず人類を祝福する
その言葉のように「武士道精神」の力は地上より滅びない まづ日本人が取り戻しつまらぬ論理に頼っている世界の人々に伝えて行かねばいけない
爺の後知恵:なにか今日も疲れた この章の大半は先生がそう思うとの話ですからそうですかねーー でも教育の基本に何を据えるかという様に問題を捉えれば「教育基本法」論でもあります 先生はそれに「武士道精神」を叩き込めと主張している様に聞こえます
叩き込めたのも徳川幕府の権威と「士」という最上の身分と「家」を継ぐという世襲制を背景に可能な教育法であったのです 幕府の崩壊,四民平等、一騎打ちという戦場の消失で「武士道精神」は拠り所を無くしました 反対に「武士の商法」と揶揄されたりして もう少し視野の広い心の拠り所は何でしょうね しなやかで美しくしたたかで打たれ強くしかも凛としている 何でしょうね
次は第六章になります
ついに第五章まで来ました ここで藤原先生は「武士道精神」という「形」(道徳)をつまらない論理にばかり頼っている世界(の人々)に伝えていかねばならぬと主張されます
前章で述べた(日本という世界に希な風土の生む)美的感受性や情緒を育むと共に(加えるにという意味合いか)「精神の形」が必要である これは(言い換えれば)行動基準、判断基準となる物 (すなわち)道徳である (その柱に)「武士道精神」を復活すべきと20年前から考えていた
(この書き出しは爺には非常に難解な部分でありますが爺が読むと以上の様に読めるのです)
そして「武士道精神」とは鎌倉時代以降多くの日本人の行動基準、道徳基準として機能してきた この中に慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠などが含まれる 惻隠とは他人の不幸への敏感さである 加えて名誉,恥の意識もある これが日本の道徳の中核をなしてきた
武士道は鎌倉武士の「戦いの掟」であったが260年の平和な江戸時代を通し武士道精神へと洗練され町人、農民にまでいきわたりついに日本人の行動規範となった
武士は武士道精神を最も忠実に実践しているとの一点で尊敬された その事は金銭よりも道徳を高く見るという日本人の精神性の高さの現れである
その武士道にはさまざまな精神が流れ込んだ 仏教 特に禅、儒教、神道 そして最も中心は日本古来の土着の考えである 縄文の頃から「卑怯はいけない」「大きな物は小さな物をやっつけてはいけない」との道徳観・行動基準を持っていたのではないかと思う(爺の注:持っていたと断定せず“持っていた!のではないかと思う” と核となる考え方につき語尾を濁されるのはどうしてだ!?)
禅も儒教も舶来品だが日本人に古くからあった価値観であるから理論化したのは中国人だが受け入れ武士道精神へと昇華したのは日本人だ
武士道精神廃れる
武士道精神は戦後廃れたが実は昭和の初めより失われつつあった 中国侵略やヒットラーと同盟を結ぶ愚行は武士道精神の衰弱による
(藤原氏が思うには)日露・日米戦争は独立・生存の為いたし方ないが日中戦争は無意味な「弱い者いじめ」であり武士道精神に照らせば「恥ずかしい」「卑怯」な事であり武士道精神の衰えなのだ 中国を相手に「赤子の手」をひねるような戦争をしていたので陸軍装備の近代化が遅れノモンハンではソ連機甲師団に仰天してしまった 関東軍の暴走である だから天皇、陸軍、政府の深入りする事に反対した 日本の歴史の汚点である 戦後は武士道精神は崖から落ちるように無くなったが未だ少しは息ついている 今の内に武士道精神を取り戻さねばならない
(爺は上の藤原史観に猛烈な反感を覚えますがそれを書くと別に一章必要になりそうですので先生のお説の紹介に留めます)
さまざまな武士道精神
武士道には明確な定義はない 「武士道というは死ぬことと見つけたり」の「葉隠」は山本定朝が口述した佐賀鍋島藩の武士道に過ぎない
私(藤原先生)は新渡戸稲造の解釈した武士道が好きです そして私の「武士道精神」も多くは新渡戸の解釈に拠っている 彼の解釈にはキリスト教的な考え方が入っている事は承知しているし鎌倉武士の武士道とかけ離れているとの説も承知している 大切なのは「武士道の定義」ではなく「武士道精神を取り戻す」ことであるから
(日本人の)美意識の基本
「武士道の象徴は桜の花だ」と新渡戸は言い本居宣長の歌
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」を引いて他のいかなる花も及ばないと誇ります 香りは淡く風が吹けば潔く散ると この「清澄爽快感」が大和心の本質であると説く 西洋の薔薇は美しいがとげを隠しおりなかなか散らない,死を恐れるかのように茎にしがみついたまま色褪せて枯れてゆく これを賛美できないと(恐らく藤原せんせいも)
卑怯を憎む
先生はこの武士道精神を父上から叩き込まれていたそうで(特に)「卑怯はいけない」と言うことを「何の理屈も無しに」薫陶をうけたそうでこの事は幸運であったと そこで「形」(説明抜き・無条件)としての「卑怯を憎む心」を育てねばならないと考える
武士道の将来
新渡戸稲造が最終章で言った「武士道」が消えてもその力は滅びず人類を祝福する
その言葉のように「武士道精神」の力は地上より滅びない まづ日本人が取り戻しつまらぬ論理に頼っている世界の人々に伝えて行かねばいけない
爺の後知恵:なにか今日も疲れた この章の大半は先生がそう思うとの話ですからそうですかねーー でも教育の基本に何を据えるかという様に問題を捉えれば「教育基本法」論でもあります 先生はそれに「武士道精神」を叩き込めと主張している様に聞こえます
叩き込めたのも徳川幕府の権威と「士」という最上の身分と「家」を継ぐという世襲制を背景に可能な教育法であったのです 幕府の崩壊,四民平等、一騎打ちという戦場の消失で「武士道精神」は拠り所を無くしました 反対に「武士の商法」と揶揄されたりして もう少し視野の広い心の拠り所は何でしょうね しなやかで美しくしたたかで打たれ強くしかも凛としている 何でしょうね
次は第六章になります