王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

国家の品格論 第一章

2006-04-12 08:02:36 | 国家の品格論
今日ここでは藤原正彦氏の第一章について大筋の紹介と爺の感想を述べます

ヨーロッパは中世までアジア・アフリカに比べ文化的に遅れていました しかし産業革命が起き家元のイギリスが七つの海を武力で支配し白人支配が米国に移行した今世界が白人にしてやられているのです

しかしその先進国はみな荒廃している 核を持つ論理、環境破壊、家庭崩壊、教育崩壊など 近代合理化精神の論理では問題を解決出来ていないと喝破されます

爺も思う 論理的であれば物事が全て片付くかと言えばそうでない側面はある
ではもう少し中身を読み込んでゆきましょう

中世には遅れていた白人世界は産業革命を契機に世界を支配する 藤原氏の様な愛国者には我慢のならない状況が続いていたがついにはその綻びがやって来たとしるされ幾つかの例を挙げます

米ソ大国による核不拡散も機能していない テロを始めとする犯罪、家庭の崩壊、教育の崩壊も先進国で起きているが原因が分からない

藤原氏はこれは「近代合理精神の破綻」であると明断します
論理とか合理というものはとても重要であるがそれだけではやっていけない事が明らかになったのが崩壊現象である

「帝国主義」「植民地主義」にはきちんとした論理が通っている 国際連盟の「委任統治」という規約(1919年)にも「文明の神聖なる使命」という美しくて欺瞞を隠す言葉があった いまではそれらは傲慢な論理であるが当時はそれなりに論理は通っていたのです 

さらに「共産主義」も「実力主義」も論理的ではあるが誤りで「資本主義の勝利」も幻想である 資本主義も見事な論理が通っている 今は一歩進んで「市場原理主義」だがその前提である「公平に戦おう」は氏が後で述べる「武士道精神」によれば「卑怯」だが筋は通っている そして「市場原理」から生まれた「会社は株主の物」も恐ろしい論理である 会社は従業員のもの(という考えを藤原氏は取る)ところが一部の株主は利益狙いの短期売買がほとんどで会社に愛着は無い 一方日本の会社の従業員は会社の事を考えて一生懸命やっている 「株主中心主義」は筋は通っていてもよい経済理論ではない 理論的に正しい事と善悪は別でこの主義は社会を不安定にする 

「市場原理」の申し子“金融派生商品(デリバティブ)”の存在で資本主義が非常に危ない状態の理由としている
難しい数学と経済理論により小額の金で多額の金を扱える 多額の金なら超巨額の金を操作できる 米国では大企業がデリバティブの失敗で破綻している その取引残高は2万5千兆円という何だかわからない金額になる そのリスク率(焦げ付く率であろう)が4%として1千兆円になる デリバティブ相場の大口張り手は銀行・ヘッジファンドだから大規模デリバティブが一つでも破綻すると連鎖的に決済不能になる 資本主義が潰れかねない時限爆弾を抱え込んでいる状態である
先生の結論:理論を徹底すれば問題が解決するというのは誤りである
そして第2章でその理由を説明するとしている

爺の後知恵
論理では物事は片付かないとの一言に違和感があったがここまで読むと《話の筋は通っていても正しいとは言えない》 と言う氏の主張は分かった 金(きん)との兌換を振り切ったドルが日本や最近では中国で暴走しているのであるから、デリバティブの恐るべき状況もよく理解できた しかし「武士道精神」でそれを乗り越えられるであろうか? 第2章を読まねば
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国家の品格論 まえがき

2006-04-11 09:45:10 | 国家の品格論
ここでは藤原正彦氏の「国家の品格」まえがきについて爺が大筋と感想を述べます
おそらくここに氏の言いたい事の要約が詰まっていると思われます
爺が思うに米国の拝金思想にしてやられ「情緒と形」という日本が世界に誇る優れたものを失う事で「国家の品格」さえ無くした これからは孤高を恐れず「情緒と形」で世界を導こうという物凄い主張と感じました

ではもう少し細かく読み解いて見ましょう
氏は30歳代前後米国の大学で3年教えていた 物事が論理の応酬で決まる米国社会がとても爽快であった 議論に勝っても負けても根に持つような事はない
人種のるつぼといわれる米国では全ての人種に共通な論理に従うしかないのだから

帰国後も米国流で教授会などで「自分の意見を強く主張」いつの間にか言い分は通らず会で浮いた存在になった
因みに氏は1943年(昭和18年)生まれであるから30歳の時が1973年その後数年は1975-80年前後であろう 第一次石油ショックのあと第二次石油ショックの日本であろう 
そこで論理だけでは片付かない「情緒」とか「形(かたち)」を考えるようになる

40歳代の前半(1985年前後であろう)イギリスのケンブリッジ大学で1年ほど暮らすようになった そこではディナーをニュートンの頃と同じ部屋で、同じ様に黒いマントを纏いローソクの下で食べることに喜びを感じるほど伝統を重んじる人々に会った そこでは論理を主張する人々は煙たがられ「以心伝心や腹芸」さえあり 同じアングロサクソンでもアメリカとは全く違う国柄であったと記す 爺に言わせればそんな事しているのはほんの一握りの特別な職場か待遇を受けている人であろうと思うが藤原氏は帰国後益々論理よりも「情緒」や「形」を(大切に思う気持ちが)大きくなったそうである
氏は補足する 「情緒」とは養育によって培われる懐かしさ(普通はなつかしさと読む,氏はゆかしさとでも読ませるのであろうか)とかものの哀れの事 「形」とは武士道からくる行動基準である
「情緒」「形」は昭和の初期から失われてきたが終戦(昭和20年)で手ひどく傷付けられバブル崩壊後は捨て去られた 不況に狼狽した日本人がアメリカの改革に柱に市場原理を持ち込み経済に留まらず社会、文化、国民性にまで悪い影響を与えたと非難する ついにはマネーゲームも法律違反すれすれでも卑怯とも下品とも思わなくなった(ホリエモンによる日本放送の買収が念頭にあるようだ)

戦後 祖国への誇りや自信を失う様に教育され世界に誇るべき「情緒と形」をあっさり忘れ市場経済に代表される「論理と合理」に身を売ってしまった
日本はこうして国柄をうしなった 「国家の品格」を無くしてしまった

そこでグローバル化という世界を均質化する趨勢に戦いを挑みなさい 普通の国ではなく「孤高の国」に戻りそれにより世界に範を垂れ世界人類に貢献せよとの大号令であります

大和魂を発揚して1933年(昭和8年)国際連盟を脱退しついには世界の孤児になって大東亜戦争に突き進んだ進軍ラッパの様に聞こえるけど爺の空耳か耳鳴りであろうか

次は第一章です

写真は藤原先生
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国家の品格 まくら

2006-04-06 07:12:20 | 国家の品格論
藤原正彦氏の「国家の品格」という新書が好評であるという書評付きで正月の新聞広告にそれが大きく載っていた そこで早速横浜市立図書館に予約を入れてみると600人以上の申し込み 余り高価な本でないので(¥714)図書館全体で35冊ほどあった これでも一冊あたり17人待ち 1人2週間借りられるから8ヶ月後にならないと番が回ってこない 早くても半年後だ

その内ブログで書評を書く方が出て全面賛成の方とやや懐疑的な評価をする方を8:2くらいの割で目にした たまたま先月19日(と思う)報道2001に中曽根元総理と同じテーブルに着かれている藤原氏をお見受けした 昔の爺なら以下の様な人物評をしなかったが30秒の印象でも3年付き合った印象でも対象人物に対する評価の大きな狂いは無いという話(を竹村健一氏が紹介するのを聞いて)に悪乗りすれば藤原氏は「目つきの定まらない奇矯な感じのする」人物であった

藤原氏話の一つ 伝統とは説明が不要なもので「鰯の頭も信心から」であり「天皇制は古くから皇統の男系男子が継ぐから尊い」のであり「イギリスの(多分ケンブリッジ)大学では(教授?)仲間と暗い部屋で黒マントをはおりディナーを共にした この肉は白鳥で女王陛下から(下賜された)物だ」なんて有り難がりながら 「これが伝統だ」 てな事をのたまわっていた いやな気がしてその後を見るのを止めた

3日月曜日横浜の有隣堂という大きな書店に一寸寄った たまたま目にした棚に「国家の品格」が山積みになっていた それでは自費で読んでみるかと決断し購入したのだ!

偶然とは恐ろしいその日の朝日新聞の9面に「国家の品格とは何か」と題して藤原正彦氏の意見と内田樹氏の意見が載っていたではないか
 
藤原氏の意見は
1:バブル崩壊以降日本人は拝金主義に陥り金で信念を曲げるようになった
2:戦後の自然破壊・教育の荒廃などもアメリカ流の経済至上主義や市場原理主義が元凶である
3:アングロサクソンの「論理と合理」を許すと日本も世界中もめちゃめちゃになってしまう
4:日本が対処すべき方は新渡戸稲造の「武士道精神」である
5:わけても「惻隠の情(そくいんのじょう)」が大切である 惻隠の情とは「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりであり共感と涙である」 これを世界に発信する事が世界が望んでいる事でないか
6:「愛国心」には二つの異質の物が含まれている 一つは「ナショナリズム(国益主義)」と「祖国愛(パトリオティズム)」がある 祖国愛を大切にしながら「惻隠」という情緒を論理や合理に凝り固まった世界に広める事が日本の役割だ

朝日の記者の頭と編集者の目を通して文章になっているので臭み?は少ない よく洗ってしまった「くさやの干物」みたいだ 良い悪いは脇に置けば藤原先生の生のお言葉が効くー!
そこで爺は「国家の品格」を各章毎位に分けて「本当にそうであろうか?」と呟いてみたい 大先生に一寸でも反対意見をつぶやくのであるから毎日ぼんぼん書くという訳には行かない 不定期でやってみたい 恐れ多いことであります 次は前書きです


コメント (1)
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