王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

ダイエー中内功さん 逝去

2005-09-23 07:36:19 | 経済
19日ダイエー創業者の中内氏が逝去された由 新聞の略歴を読むと 昭和32年頃の創業らしい その頃は爺も若者で島倉千代子さんのからたち日記を口ずさんだもんだ 前年には政府が“もはや戦後ではない”と発表したり池田内閣の所得倍増計画なんてインフレバブルの種がまかれ神武景気と呼ばれた時だ お金持ちの家では白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機を持つようになった 以降ダイエーの伸びは 岩戸景気、イザナギ景気とほぼ5年おきにくる好景気の波に後押しされ昭和47年には三越を抜き売上高小売業界トップの座をしめる 翌48年に石油ショックがきて5年おきの循環型好景気はなくなった しかし中内氏の快進撃は続き海外進出、多角経営ともてはやされ ついに95年阪神大震災を契機に進撃が止まる あとは落ち目の三度傘 私財を提供 産業再生機構のお世話(つまり税金の投入)にあいなった ここまで読むとどこかで聞いた話が有ったねー そう “おしん” テレビドラマのおしんのモデル この娘が大きくなり嫁ぎ育てた ヤオハンというスーパーが大躍進 こちらは神がかりと海外進出路線をとり最後は香港返還を前にした華僑資本のババヌキに引っかかっはて香港で大失敗 あわれ倒産 どちらも身内に拡大路線反対の方が居たのに斬って捨て終わりを全うしなかった 一族はともかくそれについてきた社員、パート、地域の人たちは堪ったものではないよね 日本人の典型だね 何故一度立ち止まって辺りを見回して一休み出来ないのだろうか 海外進出の頃はユダヤ資本も華僑資本も土地建物のバブル破裂を見越してババヌキを戦略的にしていたというのにね 爺だってその頃は英語の新聞や週刊誌を読んでいたからわかっていたぞ でも銀行でも商社でも縮小均衡や一休みを薦めた者はこの愚か者と首脳部から退けられた 何処までいったら止まるのか退くのか わずか50年の計が立てられない この手の話を聞くたびトルストイの“人にはどれだけ土地がいるか”を思い出す 偉大なる反面教師に合掌  

コメント (1)
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