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2014 京の冬の旅の案内3(寺町 阿弥陀寺)

写真は、信長忌の際の本堂
寺町にある阿弥陀寺の公開案内です。
普段は境内には入れますが、本堂内部は非公開です。
しかし毎年6/2に行われる信長忌の際は、本堂内部で法要があり寺宝も公開されます。
6/2は本能寺の変が起こった日です。
公開期間:2014/1/10~3/18(拝観休止日 1/18、1/19、2/1、2/2、2/15、2/16、3/1、3/2、3/15、3/16の10:00~13:00までと、2/8の午後)
土日の拝観休止が多過ぎですね・・・。
公開時間:10:00~16:00(受付終了)
アクセス
寺町今出川を北に上がったところにあります。
最寄りのバス停は、河原町今出川です。
京阪電車の出町柳駅から徒歩でも行けなくはないです。
河原町今出川の交差点を西へ約100m進み、寺町通を右(北)へ。
本満寺や十念寺の前を通過して、寺町今出川から約500m先の右手に阿弥陀寺の表門があります。
歴史
信長忌でお話された内容を簡略化します。
まずここの開山である清玉(せいぎょく)上人は、幼少期に織田信長の父の信秀に助けられて育てられました。
そして興福寺で修業して後、近江坂本に阿弥陀寺を開創しました。
すると信長が上洛してきたので、帰依をうけ京の蓮台野(今出川大宮)に移りました。
当時は塔頭11寺院をもつ大寺院であったそうです。
この頃には阿弥陀寺は、京における織田家の菩提寺のようになっていたそうです。
そして運命の天正10年6月2日。
変を聞きつけた清玉上人は、信長の遺灰を貰いうけ阿弥陀寺へ葬ったそうです。
一方、山崎の戦で明智光秀を討ったあと豊臣秀吉は、今後の覇権を握るため信長の一周忌法要を自分の主催の元に阿弥陀寺で行おうとしましたが、清玉上人はこれを断りました。
怒った秀吉は大徳寺に総見院を建て一周忌法要を済ませ、阿弥陀寺は都市改造の一環として蓮台野から現在の場所に移転され寺地は1/8に縮小されたということでした。
見所
墓地に信長と長男の信忠のお墓。
信長公、信忠公木像、位牌。
明智光秀、秀吉書状。
本堂の天井は、上田幸子氏筆の”彩華来迎浄土之図”など。
信長忌でなら見られるものだとは思います。
しかし昨年の6/2が日曜日で、今年は月曜日と以降は当面ウィークデーです。
今回見ておくのがいいでしょう。
アンケートを実施しています。
左サイドバーにあります。
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橋寺 放生院

写真は、本堂
そもそもは604年に聖徳太子の発願により、秦河勝が建立しました。
646年に元興寺の道登が宇治川に初めて宇治橋を架橋し、日本三古橋の1つと云われています。
1286年に叡尊によって再興され、宇治川の中洲に十三重の石塔を建立し、橋寺で大放生会を営んだことから”放生院”ともよばれています。
場所は京阪電車の宇治駅を降りて、宇治橋東詰の交差点を宇治川沿いに直進します。
すぐ左手の表門の奥に急な石段が見えます。
これが橋寺放生院です。
石段を登ると左手奥に本堂、左手前には宇治橋が初めて架けられた際の記念の宇治橋断碑といわれる石碑があります。
日本三古碑の1つで重要文化財です。
拝観は無料ですが、本堂内部に入るには300円、宇治橋断碑を柵内で見るには200円必要です。
2013年秋の非公開文化財特別公開で、本堂内部が公開されました。
本堂右手から中に入ります。
内陣正面には本尊の地蔵菩薩像(重文)がお祀りされています。
かなりの前傾姿勢であり、衣の紋様もきれいに残っています。
また左手奥には不動明王像(重文)と弁財天像が、右手には釈迦如来像がお祀りされていました。
そして本堂正面から出ます。
宇治橋断碑の上1/3は当初のものですが、下2/3は江戸時代に復刻されたものですので、現在のはその2つをくっつけてあるそうです。
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