皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

子安神社と観音像

2017-03-23 21:08:14 | 神社と歴史 忍領行田
国道125号バイパス沿い行田市総合運動公園北側に位置する旧池守地区。昭和53年の道路建設に伴う発掘調査のさい、遺跡が発掘され池上遺跡と名付けられました。
江戸時代前期に上池守、下池守、中池守と別れた歴史をたどります。江戸時代の「忍名所図會」という文書に昔この当たりに大きな池があったとの記載があることから、地名の由来と考えられます。
子安神社の御祭神は木花咲哉姫命。言い伝えによれば、「ある名主がこの村を母の胸に抱かれた赤子のように安らかになることを願い、子安明神を勘請して村の鎮守とした。」と言われています。
また嘉永7年年の子安略縁起には、昔境内に杉の大木があり、乳不足の婦人はこの樹皮を懐中に入れれば、満足に出るようになったとあります。同様の話が羽生の小松神社にあることから、当時の子育ての苦難、人々の信仰が伺われます。
新編武蔵風土記によれば、天正18年石田三成忍城攻の時、この地は兵火をこうむり、逃げるさい、御神体を近くに埋めて目印に木を植えた。100年後の元禄年間にその木が夜な夜な光るので、掘って見ると伝説通り銅像が出てきたのでこれを祀って子安神社としたという。
更に子安観音像は銅像であるが、金でできていると噂がたち、何度も盗難にあった。面白いことに、金か銅かの議論の末、観音像の鼻を子育て石に擦り付け確認すると、池守村には「鼻びっちゃん」の子供ばかり生まれるようになったとの伝説まで残っている。
現在の子安観音像は鼻がこすられていて、子育て石には金色の線が残っており、伝説と事実か一致している。
(「行田-忍城と町の歴史」より)
氏神と氏子の関係を伝える貴重な言い伝えでありとても興味深い神社です。
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