県道303号線を行田市内忍、谷郷地区から皿尾地区を抜け、久伊豆大雷神社前を右折し、熊谷方面池守地区に抜ける道を長大道と呼びます。私が小学校五年生までこの道を通り、小学校に通いました。古くは妻沼道と呼ばれていたようです。
昔は現在のような直線道路ではなく、道幅は2間(3m60cm)であったようです。古くから星宮地区の幹線道路として使われていました。但し現在では小学校も移転し、通学路からは外れ歩道のないまた夜間外灯もない道ですので、この道を長大道と呼ぶ世代も少なくなりました。
天文二十二年(1553年)、永禄三年にかけ、越後の上杉謙信は皿尾城を築き、(土を盛り)、忍城を攻めたが、落城させることはできませんでした。この忍城攻めにおいて上杉軍はこの長大道を利用したとされます。
天正元年(1572年)太田金山城、由良刑部大輔成繁は娘を忍城、成田氏長に嫁がせ、二人の間に『甲斐姫』といふ娘ができたが、後に成田氏と由良氏は不仲となり、氏長の妻は甲斐姫を残して泣く泣く太田金山に帰ることとなった。この時も長大道を通ったとされる。
天正十八年(1590年)忍城水攻めにも耐えた人々は城主氏長の命により、旧地熊谷市成田に落ちていった。この列が同じく長大道に続いていた。
忍領の歴史を映し出すこの道の途中に、小さな鳥居が立つことを知る地元の人も少なくなってしまった・・・・・。
〈奥に見えるのが現在の行田市立星宮小学校、左奥が行田グリーンアリーナ〉