皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

夢の在り処 奥州平泉藤原氏への旅②

2018-04-14 22:21:29 | 史跡をめぐり
永承6年(1051)に始まった前九年合戦は東北の地が生み出す富を求めてやって来た者が、陸奥守源頼義に率いられ、安部氏と争った戦です。源頼義は息子義家と共に、奥六郡に拠点をおく安倍頼時を攻め、朝廷の力を利用し、遂に安倍氏を滅ぼします。この時頼義に加勢したのが、出羽国(秋田県)の豪族清原氏です。

前九年合戦の論功行賞として陸奥府鎮守将軍となったのは、清原武貞でした。源氏の勢力拡大を危惧した朝廷は源頼義、義家親子をそれぞれ伊予守、出羽守に任じます。清原氏にとっては漁夫の利を得た形です。尚且つ藤原経清の妻、即ち清衡の母を後妻として迎えたのも清原武貞でした。清衡の母は安倍頼時の娘であり、名家の血筋を迎え、清原家は磐石となります。清衡にとっては父の敵に養子に入る形です。母を恨む気持ちもあったことでしょう。但しこうしたことは戦国の世には至極当然の流れであり、戦で敗れば、皆殺しか、娶られるか選ばねばならなかったのです。
藤原から、清原に名を改めて17年。承暦二年(1078)清原武貞が亡くなり、息子真衡が家督を継ぎ専制支配を開始。
奥州の地に再び争いが起こります。後三年の合戦です。この時清衡23歳。父の異なる兄弟の血で血を洗う壮絶な争いに巻き込まれていくのです。
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夢の在り処 奥州藤原氏への旅①

2018-04-14 21:27:07 | 史跡をめぐり

今年の春の旅路に選んだのは、奥州岩手県でした。花巻温泉に一泊し、宮沢賢治の世界に触れ、鋭気を養い向かったのは、世界遺産である中尊寺です。
藤原清衡は今から九百年近く前に、岩手県の平泉を本拠地として、みちのくに栄華を築いたとされています。
その象徴である金色堂は、文字通り金箔をはりつめた輝くお堂で、阿弥陀如来を本尊とし、仏様が立つ壇の下には藤原清衡、基衡、秀衡の3代の遺体が納められています。
奥州藤原氏の礎を築いたとされる藤原清衡の生涯を少しだけ追ってみました。

藤原清衡が生まれたのは西暦1056年。前九年合戦という12年も続いた戦の最中でした。父は藤原経清。源氏に背いて蝦夷(原住民)に味方し、逆賊の汚名を被って打ち首にされたといわれています。源頼義は首を討つ際、ただでは殺さず、こぼれた刃で首を打たせたと伝えられています。康平五年(1062)の秋のこと。この時清衡は6歳。まだ何も知らぬ子供でありました。
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