仕事で江南方面に行った帰りに、御正新田から万吉にかけて走る途中、氷川神社に参拝することができました。どちらの地名も歴史を感じるもので、万吉についてはすでに鎌倉期から見える郷名のようです。貞応三年(1224)の新田尼譲状の中に「春原庄内万吉郷」との表記があるそうです。由来については諸説あり、条里制に基づく牧津里から転じたもの、或は荒川に沿った曲がり地から転じたものなどがあるそうです。
『風土記稿』の万吉村の項には「氷川社、村の鎮守なり、一宮と唱える」とあり一宮はもちろん武蔵一宮を指し、この地を開拓した際に勧請されたと考えられます。明治期の神仏分離により見性院の管理を離れ、村社となり地域の無各社を合祀しているそうです。
参道入り口には古い幟立てがあり、かつては長い参道が伸びていたそうです。
七月に行われる天王様と呼ばれる祭は『万吉の暴れ神輿』の名で広く知られていたそうです。もちろん祭神の素戔嗚命が暴れ神としての神話にちなむものでしょう。
旧家の氏子には逸話が残り、昔買っていた栗毛の名馬を熊谷次郎直実が所望して譲り受け幾多の合戦を戦ったそうです。そして戦の帰りに三ツ木(江南)で亡くなり、そこで駒形明神として祀られたといわれています。