皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

夢の在り処 奥州平泉への旅④

2018-04-15 21:14:28 | 史跡をめぐり
後三年合戦の結末を知ると、改めて人の弱さ儚さを思います。
藤原清衡、源義家連合軍は、金沢の柵まで清原家衡を追い詰めると、兵糧攻めにします。清原家は降伏すべく女子供から外に出すと、出て来た矢先に全ての者が切り殺されました。女子供に紛れて逃げるのを防ぎ、自ら死を選ばせるのを迫るのです。
こうして終わった後三年合戦の果てに藤原清衡は妻子を亡くし、弟を殺し、目の前で親兄弟が絶望の中で殺し合う様を目にして来たのでした。

藤原清衡は後三年合戦の後、平泉に居を移し、中尊寺を建立します。長い間戦禍にまみれたみちのくの地に平和が訪れます。大治元年(1126)中尊寺の供養が行われます。その願文には長い戦禍で亡くなった者への供養と、蝦夷と呼ばれた東北の地に仏の国を作り分け隔てなく、人々が安寧に暮らせるよう願ったものだといわれています。
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夢の在り処 奥州平泉への旅③

2018-04-15 20:43:04 | 史跡をめぐり

永保三年(1083)清原家の長老、吉彦秀武は専制政治を敷く清原真衡への反発から、挙兵します。後三年合戦の始まりです。清衡軍も加勢し、真衡の館を攻め入りますが、陸奥守源義家の出陣により撤退します。その後清原真衡が急死すると、奥六郡と呼ばれるみちのくの地は、清衡と異父兄弟である、家衡が治めるようになります。
幼き頃から兄清衡を慕って来た清原家衡でしたが、清原武衡の策略にそそのかされ、自らが清原家の主と成るべく、兵を挙げ清衡の妻子を討ってしまいます。父は違えど血の繋がった弟に館を焼かれ、妻子を皆殺しにされた清衡は弟を討つため、清原の姓を捨て再び藤原を名乗ります。応徳三年(1086)藤原清衡は源義家と共に清原家衡討伐に向かうのです。
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