昨日は中秋の名月十五夜。生憎月は見れなかったが、翌日の今日は美しい満月が顔を出している。新月から数えて16日目の夜のことを十六夜といふ。月の満ち欠けはおおよそ15日周期で新月から満月へ、そしてまた新月へと繰り返し、15日がほぼ満月となる。
特に旧暦の秋にあたる七月、八月、九月の内真ん中にあたる八月を「中秋」と呼び、特に十五夜に美しい月を愛でる風習が広まったという。そもそも農耕暦に際し、豊作への願いと収穫への感謝が祭として広まったという。十五夜に備えるススキは御幣(幣束)の代用で、特に稲穂がそろう時期の前であったことから、稲穂の代わりに魔除けとして供えられたという。
「十六夜も まだ更科の 郡かな」芭蕉の句にも十六夜が詠まれていて、「昨夜の十五夜は更科で見た、十六夜の今日もまだ去りがたく、更科の郡に留まっていることだ」というように中秋の月の美しさに魅せられて、旅路が進まぬ様子を謳っている。
十六夜は「いざよい」と読み躊躇う(ためらう)という意味からきている。あれこれ迷って決心がつかない様を表すという。
月は一日当たり五十分ほど遅れて出てくることから、十六夜は前日の十五夜に比べて小一時間遅れて出てくることになる。そこで月がためらいがちに空に昇る様子を十六夜=いざよいと表現したといわれている。
『十六夜日記』とは鎌倉時代に書かれた紀行文で、藤原為家の側室阿仏尼によって記されている。為家は鎌倉時代の御家人で、為家の父藤原定家は『小倉百人一首』の撰者とされている。
『十六夜日記は』後に名付けられたと考えられていて、当所は紀行文としてではなく為家没後の所領紛争の様子を描いたものとされている。武家社会となった後、貴族の所領を巡る争いを記した貴重な資料と考えられている。
月、星、太陽といったものに対する信仰は古くから強く、今の様に夜の灯りのない時代においては日ごと変化する月への畏れは、深かったのだろう。