関東最古の古社鷲宮神社から県道152号線を東へ2キロほど行くと、幹線道路県道3号線さいたま栗橋線に出る。ここを左に曲がると国道125号線に出て、下総国古河へと向かう。非常に交通量も多く日光街道に次ぐ県東部の主要街道だ。さいたま栗橋線に沿うように湘南新宿ラインJR宇都宮線が南北に走っていて、ここを境に地域が二分されているようだ。
古くは大輪村と称し一つの村であったところ、寛永十八年(1641)利根川の河川改修に伴い、東大輪村、西大輪村に分かれたところであるという。風土記稿によれば東大輪村の神社は『八幡社』西大輪村の神社は『鷲明神』であったという。
明治四十二年東大輪の八幡神社に、西大輪の鷲明神を合祀し、大輪神社と改称している。但しここ西大輪の鷲神社社殿は『お仮屋』と称して旧地に残されている。しかしながら合祀によって鎮守の御魂を失ってしまったため、祭典ごとに東大輪から御霊をお仮屋に招いて祭典を継続し、近年になって氏子の尽力によって大輪神社より御霊を遷し、正式に西大輪神社としている。平成十九年のことと石碑に記されている。
境内地東側には雷電社が鎮座する。古くから雷の神様として、降雨や雷除けが祈願されてきたという。今でこそ幹線道路沿いには商業施設や住宅も増えているが、かつては田園地帯が広がる農業地域で、落雷も多かったという。雷の落ちたところに注連縄を張り、祓いをする習慣もあったという。これらは北埼玉に多く見られ、当社(皿尾)や上之雷電神社、川を渡った群馬の板倉雷電神社などに見られる。
西大輪神社の境内地は、西大輪砂丘と呼ばれる中川低地の河畔砂丘として県の天然記念物にも指定されている。
側道のさいたま栗橋線と比べて明らかに高く砂が積もった様子がわかる。寒冷期の強い季節風によって利根川の旧河川沿いに吹きためられて形成された内陸性の砂丘であるという。周辺の低地部と比べて高低差が6メートルもあるという。
古くからの村が利根川の開発により東西に分かれ、自然の砂丘も戦後の開発によってその姿を狭めているが、祭祀は受け継がれ、砂丘も近年県の天然記念物に指定され、保存されようとしている。