長引く目眩症の経過診察で壮行会病院へ。午前10時の予約で向かうと、クリニックの受付、各診療室前の待合の椅子は既に沢山のひとで溢れていた。社会保障費、とりわけ医療費の社会的な増加に伴って、近年かかりつけ医の推進が取られているそうで総合病院は二次診察、専門治療へとシフトしたいようだが、地方都市の中核病院となると、駐車場も年ごとに拡張され、病棟も年々増えているのように思う。
基本的に、初診でなければ受付も診察券を機械に入れるだけで、当日の受付番号を発券される。また診察、診療が終われば、薬の処方箋も、会計も機械対応になっている。勿論窓口での対応もしているが、極力医療行為以外は機械化しようとしてるのがよくわかる。
診察の呼び出しも受付番号の掲示と案内音でされるが、必要に応じて看護士さんが呼び出す場合もある。その際基本的には番号で呼び出している。『1234番の方〜』『受付番号○○の方〜』といった呼び方だ。しかし聴き取れない方も多く、その際は名前で呼ぶことになる。病院のルールなのだろうか、名前で呼ぶ際に、『お名前で失礼します。○○様○○様』と呼んでいる。病院という施設の特殊性なのか、名前を呼ぶのに失礼しますというのに異様な違和感を感じてしまう。個人情報の保持は大事な事で、様々な観点からこうした対応をしてると理解できるが、やはり人と人との会話の中で、機械的な番号よりも、名前で呼ぶ方が自然のよう思う。
若い頃は親への反発から、自分の名前があまり好きではない頃があった。
『名』は『音』『ね』が転じたもので、そもそも人は自分以外の誰かに対して呼び名、即ち『音』をつけなければ、その人が誰かを判別できない。『名』は『夕』と『口』に別けられて、即ち夕刻、暗くなってから口にするもの、要するに暗くなって姿か見えない相手を探すためのものだったという。(諸説あり)
『前』は『一人前』などと言ったように整った様子や物事を表している。名前というのは、その人がその人であるために、他の人から授かるかけがえののない存在価値。またその理由だ。
自分が歳を重ねる毎に授けてくれた両親への感謝が深くなったように思う。
人の名を呼ぶのに配慮が必要な場合もあるだろう。世の中のあり方も時代によって変化する。名前の扱い方ひとつで思いを巡らせていた。