もののふの 矢橋の船は早けれど 急がば回れ 瀬田の長橋
室町時代の連歌師宗長が詠んだとされる歌が現在の急がば回れの起源となったと言われています。
瀬田の唐橋は琵琶湖から流れ出る瀬田川に懸かる橋です。現在でも交通量が多い反面、歩いても渡れる名所となっています。架橋は667年頃と推定されます。
明治までは瀬田川に架かる唯一の橋で東国から京に入るには琵琶湖を船で漕ぐか、この瀬田の唐橋を渡るしかありませんでした。船の方が短距離でしたが湖上の強風のため橋の方が早く着けるとされました。
交通の要衝であったことから「唐橋を制するものは天下を制す」とも伝わります。飛鳥路代の壬申の乱、鎌倉時代の承久の乱では激戦地となります。戦国期には本能寺の変にあたり焼き落とされています。
京都の宇治橋、山崎橋とならび日本三名橋に数えられ、唐橋と呼ばれるのは架橋当時に遣唐使(659年)が派遣され唐風の技術が伝わったことにもよります。
多くの歴史人が渡った瀬田の唐橋。一度歩いて見たいと思っています。