つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかいて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ(序段)
訳 暇に任せて心に浮かんでは消えて行く、何でもないようなことを何となくかいえているとだんだん自分の頭がおかしくなっていくような気分になる。
著者である吉田兼好は和漢の古典の影響を大きく受けていたそうです。清少納言の「枕草子」鴨長明「方丈記」とならぶ随筆文学の最高傑作といわれる
「徒然草」のなかで兼好が伝えようとしたことはなんだったのでしょうか。
あらゆる縁を捨て去れ
世論に流されるな
知ったような気になるな
不安にさいなまれるな
本当のことを見極めろ
兼好は人の本質を見極めていたそうです。見たことを見たままに伝える。自分が狂っているのか、世の中が腐っているのか自問しながら自分がみたままを語ったといいます。
生きていく上で知識は役に立ちます。そしてその知識のおかげで過ちを犯す。それは今も昔も同じだそうです。今の世界情勢が歴史となってまた未来へと語り継いでいくでしょう。歴史は繰り返す。
大切なのは見識だそうです
「見識」とは物事に帯する判断とそれに対する考え。客観的な事実より主観的な己の行動こそが大事であるといいます。第三者ではない。自分自身の判断。考え、生きざま。だから悩み「あやしうこそものぐるおしけれ」となるのです。
次から次へと浮かんでくるどうでもいいことにたいして書き繕うばかりではなく、自ら考え判断すること。
すなわち自らいきることではないでしょうか。
知ったふりしてなにもしないまま最後の時を迎えることに意味はない。悩みもがき苦しみ叫ぶ。
徒然草とはなばかりの現世に繋がる思想書。それが
「徒然草」