東照宮の北側の入り口に立つ諏訪曲輪御門跡。本丸の北東を包む一大曲輪の北口として軍事上重要な御門であった。明治に入り下荒井の地より東照宮を遷し徳川家康画像を御神体とした。
もともと諏訪神社は忍城守護の神として持田村にあったものを、十五代成田親泰がこの地に遷している。東照宮も下荒井にあったものを忍城取り壊しの明治政府の命で遷したものだ。家康画像は四十二歳の壮年期の家康を描いたとされ、長女亀姫が駿府城にに訪れた際『何か欲しいものはないか』と尋ねられ『時々会いたくても会えないので家康の絵が欲しい』と答えた為画家に描かせて贈ったという。普段の平穏な家康を描いた生前唯一の画とされる。
諏訪神社裏の土手は諏訪曲輪の名残で大木は忍城当時のものらしい。
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