埼玉県内に城郭、館跡、砦などの史跡は数多いが、江戸時代に入って城主がいて城としての役割を果たしていたのは川越城、岩付城、そして忍城の三つで「埼玉三大名城」と呼ばれるらしい。その中でも升形門を構えた城は忍城ただ一つであったという。
升形城門は江戸城大手門の前に残っており、方形に囲い門を二つ設け、向きを南と西に向けている。周りに堀をめぐらし城堀内に「武者留まり」の広場があった。広場に入ることのできる人員を計量する意味合いから升で量る「升形城門」名がついた。升形城門は幅三間、門扉の高さ八尺と決まっていて、騎馬武者が通れるほどで、旗を背にした武者は馬上で後ろへ反って通ったという。
内側の大手門は幅五間と決まっていて入るに困難出るに易しいという防御の兵法による造りだという。
古い成田氏時代の忍城の図に升形城門はなく、内行田あたりは沼の中の浮かぶ島のようだったことから、阿部氏以降の築城と考えられている。
場所は国道125号行田商工センター前駐車場東側の道を南に入ってすぐのところにある。この近辺には足袋蔵や忍城史跡が多く立ち、観光客の見物する姿も多い。
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