長野県茅野市中ツ原遺跡出土の国宝土偶。「仮面の女神」
平成12年(2000年)に出土したこの土偶は顔に仮面を纏っている。仮面土偶というのはこれだけに限らないそうだが、その大きさは高さ34㎝とひときわ大きい。縄文時代後期のもので二千年前頃のものと言われている。平成26年に国宝指定。
気温が温暖化し一万二千年前くらいには土器を用いた定住生活を始めたと考えられている。縄文土器と呼ばれる文化は北海道から南西諸島に至る長い長い日本列島各地に広がり、その地域ごとに発展したという。
縄文時代の人々は湧き水のある台地の周縁部部に縦穴式住居をなどをつくって集落で生活した。住居の中央には炉があってその周辺に木の実などを蓄える貯蔵用の穴を掘った。集落の背後には森が多くあり、環状の貝塚なども発掘されることが多い。
祖先礼拝の習俗も生まれ、死者を折り曲げて葬る屈葬も見られるようになる。自然条件に左右される不安定な生活の中で、集団での統制を図るために自然現象に霊的意味合いを持たせて呪術による統治を行おうとしたのだろう。
縄文文化は数千年以上に渡り日本列島に栄えたことから日本民族の原型もこの時代に形づくられたと考えられている。
土器を用いることで人々の食生活は大きく変化する。灰汁や毒を抜くことができ、加熱することで柔らかくなるからだ。土器そのものが人類の歴史を進める画期的な道具であったことがわかっている。また集団生活を送るなかで「女性」の役割が重視され土偶などに女性的な表現が表れる。中ツ原遺跡発掘の「仮面の女神」は丹念に磨きあげられ光沢ある黒色を醸し出している。渦巻きの紋様をまとい、その表情は仮面で隠されている。まさに呪術者としての女性の姿。巫女の存在を思わせるその姿は縄文の時代の女性の地位を表しているようだ。
古代の女性祭司
縄文の首都と呼ばれる長野県八ヶ岳山麓から現れた土偶は2000年の時を超え、古代日本の様子を現在に伝えている。
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