群馬県板倉町雷電神社は関東地方の「雷電神社」の総本社とされる。社伝によれば推古天皇六年(598年)当時は伊奈良の沼と呼ばれる湿地に浮かぶ小島であったこの場所に、聖徳太子が神の声を聴き祠を設けその神を祀ったことを起源とする。
延暦二十年(801年)東征した坂上田村麻呂が社殿を造営したところ、祭の夜、境内にあった杉の木の梢に沼の中から灯が上がってきて闇を照らしたと伝わる。板倉町は渡良瀬川、谷田川、利根川に囲まれ、古くからその氾濫に悩まされながら、肥沃な土地の恵みを受けてきた土地柄。町のいたるところに大小さまざまな沼の景観を見ることができる。水神である弁財天を随所に祀り、水の恵みと畏怖を信仰の対象にしてきたと思われる。
一方古くから雷の多い土地柄であり、河川の氾濫ともあって火災や水害も多かった。延宝二年(1674)館林藩主徳川吉綱が社殿を再興し、後に吉綱が徳川5代将軍になるに及んで、次第に神社も繁栄するようになる。また吉綱から葵の紋の使用を許されている。
現在の社殿は天保六年の造営で、左甚五郎から10代目の石原常八の作と伝わる彫刻が施される。
特に本殿東北(丑寅)の方角のは子供が鰻を捕まえる様子が表されていて、その構図は魔性を持つ鰻をとらえることが方位除け(鬼門除け)として彫られているという。
境内地裏には奥社として伊邪那美大神が祀られ、家内円満、子授け、縁結びなどの御神徳を伝えている。
境内末社八幡宮稲荷神社社殿は群馬県内最古の神社建築で国の重要文化財に指定されている。天文十六年(1547)赤井氏旗下篠崎三河守が造営したと伝わり、享保十九年に改修されている。全国に7例しかない正面二間造りの本殿で向かって右が八幡社、左が稲荷社。
現在の主祭神は火雷大神、大雷大神、別雷大神の三柱で、雷除けだけでなく、厄除けや安全祈願の祈祷も多い。
また榛名神社と並んで雨乞いの御神徳もあるという。埼玉県鶴ヶ島市脚折の白髭神社の雨乞い神事は壮大で現在四年に一度の神事であるが、その龍蛇が運んでくる神水はここ板倉雷電神社の神水とされている。
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