行田市郷土博物館が建って今年で三十周年。昭和六十二年当時自分は忍中学校の二年生だった。博物館建設前は「本丸球場」という野球場があった。入学して野球部に入り忍中学校の特典として、当時の本丸球場で練習することができた。行田市少年野球の聖地だった。
成田記の中に「忍城を攻め落としたならば、その他の城は手を下さずとも降参し、北武蔵を掌握することはたやすいことである」と記されているらしい。忍城の本丸には成田氏築城以来から天守閣はなかった。文明十一年(1479)以前の築城時期に本丸はあったが、天守閣建築はなかったらしい。だから現在の郷土博物館建設時、忍城の当時の様子にそぐわないとの意見の出されたらしい。今となっては、多くの観光客が訪れ埼玉古墳と並ぶ市の重要な施設となった。
本丸跡の石碑は郷土博物館駐車場にある。館内へ急ぐ人々はあまり目を留めていないようだが、緑の芝生に包まれるように静かに建っている。
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