当社には明治の合祀政策によって三社の末社か境内に勧請されている。生駒、神明、天神の三社。それより以前に稲荷、風神の二社がその上座に摂社として祀られている。恐らく稲荷社は江戸期から、風神社については農耕祭祀として嵐よけを古くから行っていたことによるものと思われる。
末社の社殿の中に荒木地区から近衛歩兵の額が奉納されており、戦中の混乱期には多くの人が戦勝や帰還を祈願したことがうかがえる。
神社の数として最も多い八幡社が境内にないのは、実は地区内に合祀されず、個人のお宅で管理する八幡神社があるからだ。代々続く名家で明治期の合祀政策の際にも個人で社地を守ったことが伝えられる。
また火伏せの神愛宕神社は境内地ではなく、社家である私の家に勧請されている。
御幣の裏書には昭和六年の揮毫と祖父の名前が記されていて、本殿の上棟年と一致している。
恐らく竈門の神と共に神社境内地ではなく、自宅に軻遇突智命を祀り、代々氏神様とと家系を火伏せの神に守ってもらいたいと祈ったことだろう。
ロサンゼルスの山火事のニュースに心が痛む。どんなに社会が進歩しても暮らしの中で火の災いと恩恵を共に受けていることを忘れてはならない。
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