忍城主で知られる成田氏は、成田郷上之村の出であったといわれます。忍氏を滅ぼし忍城入城にあたり、一時期皿尾にも居を構えたとされます。忍城から見て戌亥の方角に久伊豆神社を代々勧請し守護した歴史があるようです。
社伝によれば、上之村神社の創建は約ハ百年前。応永年期(1394)成田家中興の祖と呼ばれる12代当主成田家時により再建されたと伝わります。元は久伊豆神社であり、摂社雷電神社と共に、江戸期には上之、箱田、上川上村の鎮守となっていたと新編武蔵風土記稿は記しています。
神社由緒によれば、御祭神は事代主命、大己貴命、大山祇命。明治二年に社名を久伊豆神社から上之村神社へ改称しています。忍領にある久伊豆神社においてご祭神を大山祇命としているのは皿尾だけであり、おそらく平家追討の際伊豆三嶋大社に戦勝祈願し、祀ったことによるものだと考えられます。(久伊豆神社の多くは大己貴命または事代主命をご祭神としています)
境内地の鳥居前には堤が築かれています。十二代成田家時が家来と館東にある祠の前を芦毛の馬に乗り通りがかった際、驚いた馬が跳ね上がり、家時は落馬したといいます。この社は久伊豆社と雷電社で芦毛の馬に乗るものに神罰を加えるといい、家時はその神威に驚き、芦毛の馬を奉納、御神前を通るのを恐れてこの堤を築いたといわれています。
社殿正面の木造鳥居は寛文四年(1664年)の建造を示す墨書が発見され、県内最古の木造鳥居とされます。
社務所に保管されている旧本殿扉は永禄元年忍城主成田長泰が雷電神社の内扉を寄進したものと考えられています。
皿尾久伊豆大雷神社との関係は文献等では確認できませんが、同時期に成田家によって勧請され、御祭神も同じくしていることから両社とも成田家の守護神として古い歴史があります。また皿尾の大祭の夜宮灯篭は古くは成田道(長大道)を通って上之村神社まで続いていたと聞いたことがあります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます