皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

川越八幡神社

2019-02-09 15:41:43 | 神社と歴史

長元元年(1028)下総国千葉城の城主であった平忠常が謀反を起こし、安房、上総、下総の三国を勢力下におき、同三年武蔵国に侵入したという。(平忠常の乱、長元の乱)朝廷は討伐軍を派遣するも三年に渡り、制圧することができなかったという。そこで冷泉院判官代甲斐守であった源頼信に忠常追討の宣下があり、頼信は川越まで陣を進め源氏の氏神であり武神でもある八幡神社に祈願し、忠常軍に斬り込み朝敵を撲滅したという。八幡神誉田別命の御神徳に深く感謝し、社殿を祀ったことを起源としている。

 時代は下り長禄元年(1457)河越城を築いた太田道灌は八幡社を武運の神として崇め、城の守護神とし以来川越城主より代々厚い崇敬を受けたという。

境内末社に多くの信仰を集めるものがある。

目の神様には大国主命と少彦名命を祭る。古事記神話において兄弟の様に力を合わせ国造りをしたという。国々を巡り生活の向上や医療の道を開き、病に苦しむ人々を救ったことから「心身の目」救う神として信仰を集めるという。目のお守りを頂き、心願成就をする人が多い。

本殿前に祭られる民部稲荷社には不思議な逸話が伝わる。

 昔、八王子にあった寺の小僧が、毎晩どこかに出かけるので、不思議に思った住職が小僧に問うたところ、山奥の民部様という武家の所に行くと答えた。住職は小僧がお世話になっている礼を述べたいと民部を寺に招いたという。其の夜民部は共を一人連れ寺に訪れると手厚くもてなされたという。酒がすすんで話題が相撲のことになると、小僧と民部の共のものが相撲を取って、大いに盛り上がったという。

 翌朝小僧と民部の共のものが相撲を取った場所に行ってみると、狐の毛が散らばっており、民部にその旨問うてみると、民部は自分は狐であり、人間と付き合うのが好きで、昨晩は楽しい思いをさせてもらったが、他の狐に人間と付き合っていることを咎められ、八王子にはもう住めなくなったので川越の梵心山に行くと告げていなくなったという。

 その梵心山が川越丸広デパートの付近で、長らく民部稲荷が祀られていたが、明治になって八幡社境内に合祀されたという。丸広デパートにはこの稲荷様が分祀されていて、別名角力稲荷と称して多くの角力の絵馬が奉納されたという。

狐の逸話は各地に残っていて、稲荷神社として現在でも大事に祀られていることが多い。

 

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