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当社の正式社名は登記上「久伊豆神社大雷神社合殿」。これはおそらく戦後神社本庁設立後、宗教法人として登記した際に用いた名称だろう。江戸期の縁起(延宝・享保)に記される表記は「武蔵国埼玉郡皿尾村久伊豆雷電両神之縁起」とあることから、少なくとも延宝元年社殿が建立されたのちは「久伊豆雷電神社」と称していたのではないかと比定される。但し久伊豆社は忍城の守護神として、雷電様は村の鎮守としての祀られていたと考えられる。
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久伊豆社は忍城乾(戌亥=北西)の方角に当たり城の守護神として忍城主から厚い信仰を受けた。忍城から北西の先にはさらに成田家出生の地である上之村があり、現在の上之神社はまさしく兄弟社であり勧請時期も同じ久伊豆神社である。忍城の鬼門神(丑寅)が長野の久伊豆神社であり裏鬼門に当たる大宮神社も同じく久伊豆神社である。今でも大宮口と呼び、石田軍との激戦の地であったことが知られている。但し長野と大宮口は12代家時以降の勧請であるから、やや時代としては戌亥の守りより時代が下ったものである。また上之と皿尾はご祭神が事代主神(大山祇神)であり、大宮と長野は大国主である。成田家がいかに忍城の守りを神に祈ったかが伺える。
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一方大雷神社は江戸期までは雷電神社と記し、村の社としてはこちらが信仰を集めた。雷除け、百日咳の神として尊ばれ、子供が百日咳になると神社裏の淀の水を飲んで治し、また神社から人形やでんでん太鼓などを借り、治ると倍にして返したという。
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昭和50年代前半まではこうしたでんでん太鼓や人形が本殿に残っていた(私が子供のころの記憶で確かに残っている)高度成長期以降、農村部の治水区画整備が進み、井戸や淀の水が姿を消したが、確かに水に対する信仰は戦後も長く残っていたのである。
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干ばつの折には社殿正面にあるオミタラセの池を掃除すると必ず三日のうちに雨が降るとされ、雨乞いの習わしとして
泥上げをして水を替えた。境内には春日杉と呼ばれる御神木がありこのあたりの目印になるものであったが、平成三年頃倒木の恐れから伐採している。
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