加須市花崎の地名は、古利根川の流れに鼻のように突出している地形に由来するという。「鼻先」から「花崎」へ、更に埼玉県で初めて甲子園を制覇した名門花咲徳栄高校は神社のすぐ先に校舎を構えている。時代と共に地名が美しく進化しているようで非常に興味深い。
花崎は『鷲宮神社領書上』にその地名が記され古くから開けた土地と考えられているが、上組、下組に分かれていて、上組には曹洞宗牛頭山法泉寺持ちの八坂社が祀られていた。一方下組には鷲明神として祀られていたが明治の神仏分離によって八坂社は合祀されている。よって本殿の主祭神は天穂日命、武夷鳥命、素戔嗚尊の三柱となっている。
更に明治41年には八坂社に関わる仏教色の濃いものは境内で焼かれてしまったという。現在氷川様が末社として大きく本殿裏にお祀りされているのはその名残だろうか。
氏子は花崎全域に及び戦前までは農家が多かったというが、昭和56年以降区画整理によって工業団地等の誘致も進み市街地化が顕著になっている。一方古くからの農家を中心に作神信仰から屋敷神を稲荷神社として大事にするところが多く、本殿にも合祀されている。末社の一つに三峰社も祀られていて、北埼玉の他地域に見られる三峰講、榛名講なども見られるという。
正月の習わしに三が日には餅の代わりにうどんを打って食べるという。うどん打ちの前には風呂に入って身を清めたともいう。大晦日から三が日まで早朝風呂をたてて近所にもらい湯をする風習は禊の形態の一つとして考えられている。
加須市はここ数年で加須市、騎西町、大利根町、北川辺町と合併し県北東部の中核都市として発展しているが、地形的に考えるとここ花崎あたりまでが鷲宮神社の神領として属す一方、ここから西部にむかうと旧騎西町の大社、玉敷神社が鎮座していて神域的には久伊豆神社の区域になるように思う。よって行田市には登記上『鷲宮神社』はなく、隣羽生市も一社のみとなっている。平安期後半から鎌倉室町にかけて武蔵を中心に勢力を伸ばした武蔵七党の内、私市党は玉敷神社を中心に久伊豆神社を信仰していてその神域は元荒川流域沿いに広がっていて、鷲宮神社との境がここ花崎あたりであったと考えられる。
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