皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

仕出し弁当ワサオーロ入り

2019-06-09 21:44:09 | 食べることは生きること

週刊誌において食品添加物の摂取を問題視する記事が踊っている。「食べてはいけない○○○」シリーズ。年金、医療、相続といった社会問題と並び、食品に対する安全性を問う記事は繰り返し伝えられる。それだけ多くの人が関心を持っている証拠だ。関心のない問題に読者は食いつかない。過剰な報道なのか、或いは的を得た鋭い指摘なのかは即座には判断できない。但し当事者にとっては死活問題だ。過剰な報道によって商品が全く売れなくなることもあり得る。

 

 昼食にとっている仕出し弁当にワサオーロのシートが入るようになった。以前はあまり見かけなかっただけに初めて見た際は驚いてしまった。

ワサオーロとは三菱ケミカルフーズが販売する食品添加物で、ワサビやからしに含まれるアリルカラシ油を主成分にしている。(HPより)液状よりもガス状(気体)の方がより抗菌効果が高く、食品の味や香りに影響なくその効果を発揮するという。但しワサオーロ本体からはワサビの刺激臭がかなりある。ワサビ好きの人には好いが、そうでない人にはやや抵抗があるかもしれない。

ワサオーロ自体がいつから商品化されたのかはわからないが、特にこのシート状の製品は内食化(総菜等の持ち帰り)の進む食生活にとっては需要が伸びるのではないかと思う。特に宅配の場合届けて顧客が食べる前に異物(小虫など)が混入してしまえばクレームの原因となり、その率が高ければ総じて代金回収にも影響する。心情的には虫くらい除けて食べればよいと思っているが、金銭授受が発生するからにはそうはいかないのが現実だ。「細心の注意を払う」と対応することが多いが、虫よけ効果が期待できる食品由来の添加物であれば、今後も需要は伸びるだろう。

三菱ケミカルフーズは以前は三菱化学フーズという社名だった。食品問屋にいた頃には製菓原料として「オリゴトース」の扱いがあった。でんぷん由良の天然の糖質で保湿性に優れ低甘味のため、砂糖の3割くらいを置き換えると商品の品質が向上するという。

添加物というとマイナスイメージが付きまとうが、様々な添加物によって今の豊かな食文化が形成されているのも事実である。食の安全について食べる本人が意識し学ぶことが問われているのだろう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久喜市 江面 久伊豆神社

2019-06-08 22:32:45 | 神社と歴史

 

久伊豆神社は埼玉県元荒川流域を中心に分布する神社で平安末期の武士団武蔵七党の野与党、私市党の勢力範囲と一致するという。御祭神は大己貴命やその御子事代主命を祀ることが多い。県内流域によって神社の分布も異なり、県内東部の中川流域には鷲宮神社、江戸川流域には香取神社、荒川流域には氷川様が多い。

新編武蔵風土記稿によれば久伊豆神社の総本社は騎西(現加須市)の玉敷神社と考えられており、皿尾久伊豆大雷神社も 「騎西に大社ありて恐らく当社もこれにならん」と記されている。

越谷、岩槻、そして玉敷神社が久伊豆神社の大社として知られているが、この江面(えづら)の久伊豆神社を合わせて「四大久伊豆神社」というそうだ。江面の旧家は名主であった伊呂原家を始め何れも平家の落ち武者を先祖にもち、古くは秩父からこの地に土着したと伝えられている。

久喜市中心地からひと区画離れた地区であり、かつても今も農業区域が広がっているが、間近に久喜インターチェンジが建設されたことで、景観も大きく変わってしまったという。実際に菖蒲方面から久喜市街に抜けるのに高速下を通る際、やや道の不便なところを感じる。

境内地裏口にあたる場所に祀られる弁財天。その裏は畑となっているが、かつては水田であったのだろう。

村の禁忌に神様が嫌うとして小豆や麻を作ることがあったという。江戸時代半ばにこの禁忌が氏子の生活に支障をきたすことから、これを解除するよう求める文言が吉田家から発給された「宗源祝詞」記されているという。麻や小豆は稲作からの転作を意味し、それを戒めるための禁忌であったことが読み取れるが、当時氏子の生活のためには米以外の物の収穫が必要であったのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久喜 愛宕神社

2019-06-08 21:37:22 | 神社と歴史

埼玉県久喜市は人口15万を超える県東部の中核都市として栄えている。平成の合併により旧鷲宮町、菖蒲町、栗橋町と合併し、中心部部はJR宇都宮線東武東上線との乗り換え駅でもあり、交通の便の良さから若い世帯の転入も多い。

久喜は近世においては木綿や穀物といった物資の集散地として栄え、本町では三の市、新町では八日市が立ったという。また新町では古くから火事の多いところで、その鎮守として愛宕神社が祀られたという。御祭神は火之迦具土命で火の神を祀ることで火災を防ごうとしたことが窺える。

久喜新町の鎮守である愛宕神社は久喜駅の北200mの場所にあり、周辺には商店街が広がっている。

久喜は古くは茎と書き、戦前まで多くは農地であった。今でも近隣である菖蒲地区には「芋茎」、その先の騎西地区には「鴻茎」といった地名が残っている。高度経済成長期である昭和50年代以降急速に転入者が増えたという。その中でここ久喜新町は古くからの商業地であり、商売繁盛の神として稲荷神社を信仰する人も多く、仲町商店街では豊川稲荷講を結成して参拝しているという。

現在の社殿の前には中落堀という流れがあり、流れを渡る橋を愛宕橋という。橋をわたったところに玉垣があり、駅前の開発と共に神社周辺も整備された様子がわかる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

響け!trombone~④ 東部支部研究発表会編

2019-06-08 20:12:58 | 日記

埼玉県吹奏楽連盟東部支部研究発表会を鑑賞しました。場所は久喜市総合文化会館です。行田地区は埼玉県内の教育機関の区割りでは東部地区に属します。北埼玉の印象がありますが、高校野球などでも東部地区予選に該当します。久喜市までは約35キロ。中学2年の長女が吹奏楽部に所属し今日の発表会に出場しています。部員25名と顧問の先生が移動しますのでバスを1台チャーターしています。

発表会は今日を含めて今月全五回。多くの学校が参加していますが、今日一日で中学、高合わせて21校が出場しますので、分刻みのスケジュールです。

パンフレットの表紙には「響け!復興のハーモニー」とありました。恐らく東日本大震災からの復興を指していると思われますが、地震の時幼稚園に通っていた長女が、中学二年となりこうした音楽の発表会に出場していることを想うと本当に時の経つのは早いものだと思います。また一方地震の被害でまだまだご苦労されている方もいることを忘れてはならないとも感じます。

 令和改元後ひと月が過ぎますが、その出典が「万葉集」であったことが注目を集めました。今でも書店では万葉集に関する本も多く並んでいます。「令」という字は令冠を被り跪いて神のお告げを受け取る人の形を表しているとの説があるそうです。その姿が美しくまた麗しく神聖なものであることから「ご令嬢」といった表現がなされます。万葉集においては「令月」という熟語で用いられ「良い月」「美しい月」という意味合で読まれるようです。そこで「令和」を英訳する際には「beutiful harmony」とすると決められました。今まさに吹奏楽の時代ともいえます。

私は娘の中学を含めて三校しか鑑賞することができませんでしたが、選曲、表現力など学校により大きく違いがあることを強く感じました。時間、場所、道具、人数、選曲の幅など制約がある中で、各校がそれぞれ特色あるステージを作り上げていました。やはり指導者の力量、経験、熱意などが表れているように思いました。中学、高校ともそれぞれ三年間と短い期間の上、毎年ひと学年ずつ入れ替わる中で各々パートを形成しながら、一つの楽団として仕上げるのは大変な努力が必要なのでしょう。

文化会館ロビーには久喜市名誉市民の額が飾られています。旧久喜町、菖蒲町、鷲宮町と合併している歴史から旧町それぞれから名誉市民として表彰されています。やや気になったのが女性が一人もいない点です。名誉市民は長く行政の長を務めた方や医療や福祉等公共の政策に関して長く貢献した方が選ばれているように思いますが、事実女性の名誉市民が見当たりませんでした。選出基準についての知識がない中で書きにくいのですが、やや戦前から戦後にかけての政治の歴史を象徴しているように感じます。

一方今日の演奏会においては娘も含め多くの女子生徒がのびのびと楽しそうに演奏していました。またたくさんの女性指導者(指揮者)が登壇しています。

勿論男性指導者も、ダイナミックに指揮棒をかざし、男子生徒も懸命にフルートを吹いていました。

男女ともそれぞれがそれぞれの良さを自由に表現できる時代。日本だけではなく世界中が多様性を認められる社会。そして今日の音楽の様に平和で明るい世界が続く「令和」であってほしいと思います。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行田市民大学同窓会~城址の風神社史跡めぐりの旅②

2019-06-06 21:18:03 | 生涯学習

行田市民大学9期生同窓会「城址の風」として2回目の神社史跡めぐりの旅に出かけました。6月とはいえ既に最高気温は30度を超える中、車での移動ではありますが、一日かけ加須、栗橋、鷲宮と巡ってきました。目的地は出雲族の草創に関わる関東最古といわれる鷲宮神社です。

 単に有名神社を巡ることを目的とせず、在学中からの研究テーマである「地域に眠る逸話伝承追う」ことを念頭に今回はグループ5名の1日旅となりました。

行田総合運動公園を出発して約1時間。最初の目的地は栗橋宿総鎮守八坂神社です。利根川の流れに乗って神輿が流れ着いた伝承があります。水に浮く神輿を群がって支えていたのは鯉と亀であったといい、神使は鯉として狛犬の代わりに石像が社殿の前に建っています。

また栗橋町は源義経公の愛した静御前終焉の地として知られ、駅前には静御前の墓碑が建てられています。私も今日初めて行くことができました。行田からそれほど遠い場所ではありませんが、なかなか行く機会もなく、こうして親しい仲間と史跡を訪れることができるのはうれしい事でした。

鷲宮での昼食後、近くにあるポピー畑で花摘みをすることができました。

歴史や自然に触れる喜びもともに旅する仲間がいてこそだと実感した一日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする