プロ野球の南海・ヤクルト・阪神・楽天で監督を務めた野村克也さんが、還らぬ人となってしまった。84歳だった。
功労者がまた一人この世を去り、寂しさを禁じ得ない。
私が物心つき、野球を始めた頃には南海ホークスでプレイングマネージャーだった。打席に立つ選手に
「奥さん元気か?」
「なんや、膏薬臭いな…どっか悪いんか?」
と絶えず囁くクセのある選手というイメージだった。
平成になり、ヤクルトスワローズの監督となりデータ重視の「ID野球」でチームを3度の日本一に導いた。
正捕手の古田をはじめ、広澤、池山、岡林、高津ら役者が揃った時代でもあり、まさにスワローズ黄金時代を築いた。
その後阪神では同じくデータ重視の「TOP野球」を掲げたが、選手のレベルがそれについて行けなかったのか低迷。楽天でも監督としては目立った実績を残せなかったのだが、着実に若い選手は育てていた。
それが証拠に、阪神でも楽天でもノムさんが退いた直後に故・星野仙一氏が監督を務め、優勝に輝いたのはノムさんの遺産があったのと無関係ではあるまい。
ノムさんの最大の功績は、古田が出したコメントのように
「弱いチームでも、アタマを使えば勝てる」
事を実証した事だ。すなわちデータと心理戦で、強い相手にその力を発揮させないという戦術が有効なのだという事を体現して見せた。
それはまさしく、スピードとパワーが全てと言っても過言ではないメジャーリーグと対をなす、ニッポンの野球なのである。
野茂英雄がドジャースでノーヒットノーランを達成した時、ノムさんは
「メジャーリーグのレベルが、昔ほどではないという事だと…」
とコメントしたが、残念ながらその通りなのだろう。
長嶋茂雄と対極の「月見草」と自らを表現したのはいかにも雪国・京都府峰山町育ちのノムさんらしいが、球史に名を残す名選手・名監督である事に異論を挟む余地は一切ない。
心から、ご冥福をお祈り申し上げます…