(1)「ブラック企業」という言葉は、劣悪な労働条件で働くIT企業の労働者が、インターネットに書き込んだところから広がった。
しかし、彼ら自身が「ブラック企業」という言葉に明確な定義を与えたわけではない。その時点の言説は、抽象的なスラング(悪口)に過ぎなかった。
それでも、小説や映画などに取り上げられて、広がっていった。
(2)定義が曖昧なまま、この言葉が世の中に受け入れられていった背景には、正社員に対する労務管理の変化があった。
事実、震源地となったIT企業は、従来から「新しい働き方」が取りざたされてきた業界だ。正社員雇用でありながら、「日本型雇用」や従来型の労務管理とは異なる働き方が広がっていた。特に、「35歳定年」という言葉がIT業界で流布していた事実は象徴的だ。
(3)その後、「ブラック企業」は就職活動を行う学生の間で広がった。
IT業界だけではなく、外食や小売りなどで急成長した新興企業では離職率が高く、「使い潰し」が日常的に行われていたからだ。「ブラック企業」という言葉が、その内容をはっきり定義される以前から、現実に問題は存在していた。
しかも、その現実に生じていた問題は、2つの意味で広がりと深刻さを持っていた。
(a)ブラック企業は、医療費の増大、税収減、家族の負担増、少子化など莫大な外部不経済を生み出す。この外部不経済は社会のあらゆる層に影響する。
(b)ブラック企業問題は、主として大卒正社員の問題であるため、従来の労働問題以上に深刻な階層統合の危機をもたらした。
(4)(3)-(b)は、これまで若者の労働問題の中心を占めてきた非正規雇用問題と比較するとわかりやすい。
(a)労働政策において、非正規雇用労働者は、主婦(女性)、出稼ぎ(農家)、学生などの労働者が主な担い手なので、「中心的労働」とは区別された。これらの労働者が低賃金・不安定雇用であったとしても社会的な動揺は少ない、と考えられた。同時に、これらの労働者は長期雇用慣行を適用し、長期的な育成の対象とする必要がない労働者層である、とされた(「雇用の調整弁」と呼ばれてきた)。
(b)ブラック企業の労働者は、大卒だ。彼らは産業の長期的な担い手として期待され、高等教育を受けた者たちだ。これらの労働者が「使い潰し」の対象となれば、「中心部」の労働世界が動揺し、ひいては産業社会の根幹を揺るがす事態を招く。だから、ブラック企業は、社会全体の問題となり得る本来的な潜在力を持っていた。かくて、政府の対策を引き出すに至った。
(5)(4)のような潜在的条件があったとしても、自然発生的に社会問題化するわけではない。
当初は、「若者の甘えだ」とか、「パワハラは受け止め方次第」とか、「新型鬱(仮病!)」などよ揶揄されていた。
また、ブラック企業が企業側の問題であると告発されていたとしても、それが「違法行為の問題」と言説化されている間は、多くの人々の関心を呼ばなかった。
(6)ある一つの「事実」は、直接には政治的言語に反映されない。必ず何かの問いの立て方を媒介しなければならない。そうした言説は多様で、常に揺れ動く、偶発的な地平にある。だからこそ、「実践的介入」の余地が無数にあるのだ。
その好例は、2000年代の非正規雇用問題だ。
(a)当時も雇用構造が激変していた。1990年代前半には10%に満たなかった若者の非正規雇用率が、たかだか10年足らずのうちに3割を超えるほど激増していった。だのに、その現象は「若者の劣化」や「人間力不足」としてしか理解されていなかった。
(b)若者の不安定就業者は、「フリーター」という言葉に置き換えられた。彼らには「自由・気ままに働く心理的傾向」という属性が付与された。
(c)若年失業者は、「働く意思のない堕落した人間」であるという属性が付与された「ニート」という言説で説明された。
(a)~(c)の言説の下では、若者たちは「自分が悪い」、「自分は劣っている」というアイデンティティを持たざるを得ない。
親、教育者、行政は、彼らに対して支配・統制する立場を内面化するだろう。
多くの労働組合さえ、非正規・失業者を排除、敵視する側に回っていた。
「堕落した若者」に敵対する情動が人々をとらえ、彼らに敵対する社会的勢力が形成された結果だ。
(7)2000年代中盤、「ワーキングプア」「反貧困」という言葉が生み出された。非正規・失業の問題は、貧困の問題に置き換えられていった。
フリーターは、格差社会の被害者となった。
教師や行政は彼らを助けるべき存在となった。
反貧困という言説の下に結びつき、政治的な勢力となっていった。
言説が人々の情動に基づく敵対関係を変容させたのだ。
(8)(6)および(7)のように、同じ事実であっても、言説化のされ方によって、人々の関係やアイデンティティの構成は大きく変わる。人々の情動に訴えかける言説への実践的介入が、新たな敵対性を構築し、現実の人間相互の関係や社会のあり方そのものをも変質させていくことができる。
事実、非正規雇用問題において「反貧困」という言葉を作り出したのは、多くの個人加盟労働組合、貧困・労働問題に取り組むNPO、弁護士らの社会運動だった。
「ブラック企業」もまさに、このような意味での言説なのだ。
この言葉が企業による若者の使い潰しという問題として再定義されることで、多くの人々のアイデンティティが変容し、結びつき、「反ブラック企業」の社会的勢力を作りだしたのだ。
□今野晴貴「ブラック企業はなぜ社会問題化したか ~社会運動と言説~」(「世界」2014年6月号)
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【参考】
「【【ブラック企業】が社会問題として認知されるまで ~社会運動~」
「【ブラック企業】赤字49億円! 「瀬死」のワタミから人もカネも消えた」
「【ブラック企業】奨学金という貧困ビジネス ~学生の苦難(3)~」
「【ブラック企業】全身就活 ~学生の苦難(2)~」
「【ブラック企業】ブラックバイト ~学生の苦難(1)~」
「【ブラック企業】激変する若年労働者市場 ~労使間の話し合いが不可欠 ~」
「【ブラック企業】調査対象の8割で違法行為 ~厚労省初「ブラック企調査」~」
「【ブラック企業】対策講座 ~騙されないための心得~」
「【ブラック企業】対策講座 ~就活~」
「【社会】ブラック企業大賞2013 ~ワタミフードサービス~」
「【社会】「ブラック企業」への反撃 ~被害対策弁護団が発足~」
「【社会】「ワタミ」の偽装請負 ~渡辺美樹・前会長/参議院議員~」
「【社会】学校もこんなにブラック ~公教育の劣化~」
「【社会】私学に広がる教員派遣と偽装請負」
「【社会】私学に広がる教員派遣と偽装請負・その後 ~裁判~」
「【本】ブラック企業 ~日本を食いつぶす妖怪~」
「【本】ブラック企業の実態」
「【社会】若者を食い潰すブラック企業 ~傾向と対策~」
「【本】ブラック企業の「辞めさせる技術」 ~違法すれすれ~」
「【心理】組織の論理とアイヒマン実験 ~ブラック企業の心理学~」
「【社会】第二回ブラック企業大賞候補 ~7社1法人~」
「【社会】ブラック企業における過労死、ずさんな労務管理 ~ワタミ~」
「【社会】ブラック企業の見抜き方 ~その特徴と実例~」
しかし、彼ら自身が「ブラック企業」という言葉に明確な定義を与えたわけではない。その時点の言説は、抽象的なスラング(悪口)に過ぎなかった。
それでも、小説や映画などに取り上げられて、広がっていった。
(2)定義が曖昧なまま、この言葉が世の中に受け入れられていった背景には、正社員に対する労務管理の変化があった。
事実、震源地となったIT企業は、従来から「新しい働き方」が取りざたされてきた業界だ。正社員雇用でありながら、「日本型雇用」や従来型の労務管理とは異なる働き方が広がっていた。特に、「35歳定年」という言葉がIT業界で流布していた事実は象徴的だ。
(3)その後、「ブラック企業」は就職活動を行う学生の間で広がった。
IT業界だけではなく、外食や小売りなどで急成長した新興企業では離職率が高く、「使い潰し」が日常的に行われていたからだ。「ブラック企業」という言葉が、その内容をはっきり定義される以前から、現実に問題は存在していた。
しかも、その現実に生じていた問題は、2つの意味で広がりと深刻さを持っていた。
(a)ブラック企業は、医療費の増大、税収減、家族の負担増、少子化など莫大な外部不経済を生み出す。この外部不経済は社会のあらゆる層に影響する。
(b)ブラック企業問題は、主として大卒正社員の問題であるため、従来の労働問題以上に深刻な階層統合の危機をもたらした。
(4)(3)-(b)は、これまで若者の労働問題の中心を占めてきた非正規雇用問題と比較するとわかりやすい。
(a)労働政策において、非正規雇用労働者は、主婦(女性)、出稼ぎ(農家)、学生などの労働者が主な担い手なので、「中心的労働」とは区別された。これらの労働者が低賃金・不安定雇用であったとしても社会的な動揺は少ない、と考えられた。同時に、これらの労働者は長期雇用慣行を適用し、長期的な育成の対象とする必要がない労働者層である、とされた(「雇用の調整弁」と呼ばれてきた)。
(b)ブラック企業の労働者は、大卒だ。彼らは産業の長期的な担い手として期待され、高等教育を受けた者たちだ。これらの労働者が「使い潰し」の対象となれば、「中心部」の労働世界が動揺し、ひいては産業社会の根幹を揺るがす事態を招く。だから、ブラック企業は、社会全体の問題となり得る本来的な潜在力を持っていた。かくて、政府の対策を引き出すに至った。
(5)(4)のような潜在的条件があったとしても、自然発生的に社会問題化するわけではない。
当初は、「若者の甘えだ」とか、「パワハラは受け止め方次第」とか、「新型鬱(仮病!)」などよ揶揄されていた。
また、ブラック企業が企業側の問題であると告発されていたとしても、それが「違法行為の問題」と言説化されている間は、多くの人々の関心を呼ばなかった。
(6)ある一つの「事実」は、直接には政治的言語に反映されない。必ず何かの問いの立て方を媒介しなければならない。そうした言説は多様で、常に揺れ動く、偶発的な地平にある。だからこそ、「実践的介入」の余地が無数にあるのだ。
その好例は、2000年代の非正規雇用問題だ。
(a)当時も雇用構造が激変していた。1990年代前半には10%に満たなかった若者の非正規雇用率が、たかだか10年足らずのうちに3割を超えるほど激増していった。だのに、その現象は「若者の劣化」や「人間力不足」としてしか理解されていなかった。
(b)若者の不安定就業者は、「フリーター」という言葉に置き換えられた。彼らには「自由・気ままに働く心理的傾向」という属性が付与された。
(c)若年失業者は、「働く意思のない堕落した人間」であるという属性が付与された「ニート」という言説で説明された。
(a)~(c)の言説の下では、若者たちは「自分が悪い」、「自分は劣っている」というアイデンティティを持たざるを得ない。
親、教育者、行政は、彼らに対して支配・統制する立場を内面化するだろう。
多くの労働組合さえ、非正規・失業者を排除、敵視する側に回っていた。
「堕落した若者」に敵対する情動が人々をとらえ、彼らに敵対する社会的勢力が形成された結果だ。
(7)2000年代中盤、「ワーキングプア」「反貧困」という言葉が生み出された。非正規・失業の問題は、貧困の問題に置き換えられていった。
フリーターは、格差社会の被害者となった。
教師や行政は彼らを助けるべき存在となった。
反貧困という言説の下に結びつき、政治的な勢力となっていった。
言説が人々の情動に基づく敵対関係を変容させたのだ。
(8)(6)および(7)のように、同じ事実であっても、言説化のされ方によって、人々の関係やアイデンティティの構成は大きく変わる。人々の情動に訴えかける言説への実践的介入が、新たな敵対性を構築し、現実の人間相互の関係や社会のあり方そのものをも変質させていくことができる。
事実、非正規雇用問題において「反貧困」という言葉を作り出したのは、多くの個人加盟労働組合、貧困・労働問題に取り組むNPO、弁護士らの社会運動だった。
「ブラック企業」もまさに、このような意味での言説なのだ。
この言葉が企業による若者の使い潰しという問題として再定義されることで、多くの人々のアイデンティティが変容し、結びつき、「反ブラック企業」の社会的勢力を作りだしたのだ。
□今野晴貴「ブラック企業はなぜ社会問題化したか ~社会運動と言説~」(「世界」2014年6月号)
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【参考】
「【【ブラック企業】が社会問題として認知されるまで ~社会運動~」
「【ブラック企業】赤字49億円! 「瀬死」のワタミから人もカネも消えた」
「【ブラック企業】奨学金という貧困ビジネス ~学生の苦難(3)~」
「【ブラック企業】全身就活 ~学生の苦難(2)~」
「【ブラック企業】ブラックバイト ~学生の苦難(1)~」
「【ブラック企業】激変する若年労働者市場 ~労使間の話し合いが不可欠 ~」
「【ブラック企業】調査対象の8割で違法行為 ~厚労省初「ブラック企調査」~」
「【ブラック企業】対策講座 ~騙されないための心得~」
「【ブラック企業】対策講座 ~就活~」
「【社会】ブラック企業大賞2013 ~ワタミフードサービス~」
「【社会】「ブラック企業」への反撃 ~被害対策弁護団が発足~」
「【社会】「ワタミ」の偽装請負 ~渡辺美樹・前会長/参議院議員~」
「【社会】学校もこんなにブラック ~公教育の劣化~」
「【社会】私学に広がる教員派遣と偽装請負」
「【社会】私学に広がる教員派遣と偽装請負・その後 ~裁判~」
「【本】ブラック企業 ~日本を食いつぶす妖怪~」
「【本】ブラック企業の実態」
「【社会】若者を食い潰すブラック企業 ~傾向と対策~」
「【本】ブラック企業の「辞めさせる技術」 ~違法すれすれ~」
「【心理】組織の論理とアイヒマン実験 ~ブラック企業の心理学~」
「【社会】第二回ブラック企業大賞候補 ~7社1法人~」
「【社会】ブラック企業における過労死、ずさんな労務管理 ~ワタミ~」
「【社会】ブラック企業の見抜き方 ~その特徴と実例~」