語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】ロシアが送り込んだ「曲者」の正体 ~ウラジーミル・ルキン~

2014年05月28日 | 社会
 (1)ウラジーミル・ルキンは、1937年生まれで、いま76歳だ。しかし、実年齢よりずっと若く見える。
 モスクワ教育大学を卒業した後、ソ連革命博物館で勤務し、KGBと関係の深いソ連科学アカデミー(現・ロシア科学アカデミー)世界経済国際関係研究所の大学院を卒業した。
 その後、1987年から外務省に勤務。ゴルバチョフのペレストロイカ政策が始まると、改革派外務官僚として頭角を現した。
 1989年、ソ連最高会議(国会)事務局に転出。翌1990年、ロシア人民代議員選挙に立候補し、当選した。
 その後は、エリツィンを支持する「民主ロシア」に所属し、改革派政治家として認知されるようになった。

 (2)ルキンには、常にインテリジェンス機関の影がつきまとっていた。
 ソ連崩壊後は、エリツィンと一線を画したヤブリンスキーと連携して政党「ヤブロコ」を作った。
 北方領土問題でも、表面は「民主的な解決」を口にしながら、裏では軍や連邦保安庁(FSB)と連携して、日露交渉を妨害した。
 2000年にプーチンが大統領となり、野党、反体制派に対する圧力を強めると、ルキンは政権にすり寄った。
 2004年2月、プーチンによってロシア人民人権委員会代表に指名され、国家院(下院)の承認を得た。ルキンの役割は、諸外国からプーチン政権の人権弾圧を批判されたときに反論することであった。
 ロシアの政治エリートで、ルキンを人権派と見なす人はいないだろう。

 (3)政治的駆け引きや裏工作に長けたルキンだから、ウクライナ危機では出番がある。
 <ロシア通信によるとウクライナ東部スラビャンスク市内を掌握する親ロシア派武装勢力は(5月)3日、拘束していた欧州安保協力機構(OSCE)監視団員とウクライナ軍人の計12人を解放した。ロシアのプーチン大統領の特使として現地に派遣されたルキン元中米大使の説得に応じた。/新政権への徹底抗戦を掲げる親ロ派は4月25日、ドイツ人やウクライナ人の監視団員らを「戦争捕虜」として拘束した。同市の奪回を目指す新政権との解放交渉は難航し、緊張が高まっていた。プーチン政権はこれ以上の親ロ派の国際的なイメージ悪化を避けるため、拘束を解くよう働き掛けたとみられる>【日本経済新報電子版 2014年5月3日】

 (4)ルキンは、北方領土問題についても通暁している。
 口先では日本に迎合するようなことを言っても、大統領が北方領土交渉を動かそうとすると常にブレーキをかける。
 日米同盟に対抗するために、ロシアは中国と提携することが重要である、という変化球を投げてくることがある。
 ルキンは、北方領土交渉の攪乱者である。
 日本人では、丹波實・元駐英大使や袴田茂樹・新潟県立大学教授らがルキンと会食や意見交換を交わした。

□佐藤優「ロシアが送り込んだ「曲者」の正体 ~佐藤優の人間観察 第66回~」(「週刊現代」2014年5月24日号)
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