
(1)英国の宰相ディスレリいわく、
「嘘には三種類がある。すなわち普通の嘘、ひどい嘘、統計である」
米国では、歯みがきの広告から大統領候補の選挙演説まで統計数字を引用することが多い。そこで、統計数字の意味を理解していないと、容易に絶えずだまされることになる。
(2)『統計でウソをつく法』【注1】には、市民が日常生活で接することの多い統計とそれにもとづく議論の具体例が、よく集められていて、どこにどういうウソやゴマカシがあり、どういう落とし穴がしかけられているかが、面白おかしく説明されている。
その説明の理解には、予備知識を必要としない。本の内容のすべては、つまるところ統計に関わる極めて初歩的な、したがってまた基本的な、原理に帰着するのだ。何も新しいことはない。
しかし、簡単で根本的な理屈を理解してさえいれば、みずから統計を操ってウソをつくことができるし、また逆に、世間に行われている大部分のウソを見破ることができる・・・・ということを鮮やかに示している点で、まことに見事だ。
〈例〉「カゼなどは、適切な手当をすれば7日のうちにも治るだろうが、そのままにしておいてもたかだが1週間ぐずつくくらいのものである」
1週間=7日間という等式(根本的な理屈)を理解してさえいれば、無意味なことをもっともらしく言っていると、すぐわかる。
(3)日本では幸いにして、統計を信仰する市民が、まだ米国ほど多くはないようだ。この国の政治家や広告業者は、統計数字を挙げるよりも、主として情緒に訴える。
しかし、今日の米国の具体的な例のいくつかは、日本の事情とも係わりがなくもない。
〈例1〉「雑誌の編集者が記事の読まれる率を金科玉条とするのは、主として、その数字の意味を理解していないからだ」という文句は、「雑誌の編集者」を「テレビ局」とし、「記事の読まれる率」を「視聴率」とするとき、そのままわれわれにとっても日常的風景の一つだろう。
〈例2〉IQ98の男の子とIQ101の女の子があるとして、男の子の知力を平均以下、女の子の知力を平均以上、と考えるのは、数値の評価に誤差範囲を考慮しない誤りだ。【注2】
〈例3〉大学卒業生の平均収入は、高校卒業生の平均収入よりも高い、として、大学を卒業したから収入が多いと考えるのは、統計の評価に「その後に・だから・その故に」の誤りを冒すものである。a(大学卒業)の後にb(高い収入)が起こったということは、aがbの原因だというための十分な条件ではない。
(4)GDP世界第3位(2015年)・・・は、むろん国民の生活程度の第3位ではなかった。「一人当たり国民所得」は世界第26位(2015年)にすぎない。しかもそれも、それだけでは必ずしも大多数の国民の所得の高さを示さないし、また必ずしも大多数の国民の「生活程度」の高さを示すものではない。
(5)統計を用いてウソをつく習慣が米国から日本に及んだとき、数字にだまされぬために必要なことは、「日本の心」でも「もののあわれ」でも「神ながらの道」でも「怨念」でもない。実に簡単なことの明瞭な理解にすぎず、ただそれだけだ。
【注1】Darrell Huff, How to Lie with Statistics, New York, 1954/ダレル・ハフ(高木秀玄・訳)『統計でウソをつく法 ~数式を使わない統計学入門~』(講談社ブルーバックス、1979)
【注2】実は問題はまだある。測定尺度によって出てくる数値に違いがあり、田中ビネーⅤはWISC-ⅢよりIQ基準で10余り高い数値が出てくる。また、同じシリーズ(例えばWISC-RとWISC-Ⅲ)でも違う数値が出てくる。
□加藤周一「数字の魔力または『統計で嘘をつく法』の事」(『言葉と人間』、朝日新聞社、1977)
□ダレル・ハフ(高木秀玄・訳)『統計でウソをつく法 ~数式を使わない統計学入門~』(講談社ブルーバックス、1979)
↓クリック、プリーズ。↓


