語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【江村洋】『ハプスブルグ家の女たち』『ハプスブルグ家史話』

2016年08月26日 | 歴史
  
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 (1)スタンダールを通して見るオーストリア帝国は、警察国家、官僚国家である。権力、権威によって人を駒のように動かす。たとえば、『パルムの僧院』では次のようなくだりがある。
 <彼【デル・ドンゴー侯爵】はもともと事務の才能のない男だったが、十四年間田舎で侍僕、公証人、医師ばかり相手に暮らしていたうえに、突然現れた老人らしい不機嫌も手伝って、まったく無能な人間になっていた。しかるに、オーストリアで一つの要職を維持するのには、この古い君主国の緩慢複雑ではあるが、たいへん条(すじ)の通った行政が要求する、一種の才能なくしては不可能なのであった。デル・ドンゴ侯爵の間違いは下役どもを怒らせ事務を停滞させた。彼の過激な王党的言辞は、惰眠と無関心のうちに眠らせておかねばならないはずの人民をかえって刺激した。ある日彼は陛下がかしこくも彼の辞表を受理せられ、同時にロンバルジア・ヴェネチア王国の副大膳職に任じたもうことを知った>

 (2)だが、『ハプスブルグ家の女たち』は、スタンダール見たオーストリア帝国(スタンダールの死後、1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国が発足)とは異なるそれを見せてくれる。
 すなわち、帝国の華麗な宮廷に綾なす人間模様だ。ハプスブルグ家について、世に知られた言葉がある。
 <戦は他家にまかせておけ、幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ>
 本書は、神聖ローマ帝国(962-1804)からオーストリア帝国(1804-1867)をへてオーストリア・ハンガリー二重帝国(1967-1918)に至るまでの姻戚関係を、主として女性に焦点をあてて綴る。すなわち、フリードリヒ3世(1415-1493)の妻エレオノーレから、女傑マリア・テレジアをへて、最後の皇帝カール1世(1887-1922)の妻ツィタまで。
 帝国において女は皇位継承者を産む道具として扱われてきた。この伝統に叛旗をひるがえして半生を旅に明け暮れたエリーザベトも本書は触れる。実直な夫フランツ・ヨゼフ(1830-1916)は最後まで彼女をかばったらしい。
 皇位継承権より愛する女性を選んだ男たち3名にも言及される。帝国を財政面で支えたヴェルザー家のフィリッピーネと結ばれたフェルディナント大公(1529-1595)、郵便局長の娘アンナ・プロッフルと結ばれたヨーハン大公(1782-1859)、下級貴族の娘ゾフィー・ホテクと7年越しの恋を実らせたフランツ・フェルディナント皇太子。ただし、その妻子はいずれもハプスブルグ家の一員と認められなかった。
 ちなみに、フランツは、火薬庫バルカン半島のサライェボへのこのこと赴き、暗殺されるほど政治音痴だった。これが引き金となって第一次世界大戦が勃発し、戦後まもなくハプスブルグ王朝は6世紀半の歴史を閉じた。

 (3)『ハプスブルグ家の女たち』の続編ともいうべき『ハプスブルグ家史話』は、国家の経営者としての皇帝ないしその一族を物語る。
 帝国には、血族結婚のせいか、ひ弱あるいは奇矯な人物が輩出するが、武断的あるいは有能な統治者もいたらしい。女傑マリア・テレジアや、その5女にしてナポリ王妃カロリーネは、政治的能力に秀でていた。
 本書は、1273年から1918年まで約650年間にわたるハプスブルグ王朝の主要人物を駆け足で素描する。(2)の『ハプスブルグ家の女たち』と記述が重複しないように配慮されているので、併読するに値する。

□江村洋『ハプスブルグ家の女たち』(講談社新書、1963)
□江村洋『ハプスブルグ家史話』(東洋書林、1998)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【杉山章象】『わたしは鍵師』

2016年08月26日 | ノンフィクション

 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 鍵師は、鍵を作り、あるいは他人が作った鍵を解く。地味といえば地味のきわみ、人間ではなくモノが相手の仕事だが、地味に徹し、モノに徹すると、人間的なドラマが向こうからやってくる。
 たとえば、奥さんには見せたくないものを金庫の奥深くしまったのはよいが、開けるに開けられなくなって鍵師を呼ぶはめになった悲劇。依頼を首尾よく果たしたのはよいが、体で支払います、と持ちかけられて、ほうほうのていで逃げだした喜劇。
 一芸に徹すると、じつに意外な世界が広がる。

□杉山章象『わたしは鍵師』(中公文庫、1988)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【マルセル・エイメ】『壁抜け男』 ~幻想小説のリアリティ~

2016年08月26日 | 小説・戯曲
 
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 幻想小説ばかり5編を集めた短編集。
 たとえば「変身」は、オルゴールに魅せられて殺人を犯した精神発達遅滞の男が、神の恩寵により死刑当日に赤子となる。
 あるいは「サビーヌたち」は、無数に分裂した女が多様な人生を同時に生きる。
 「死んでいる時間」は、二日に一日しか生きていない男の悲劇。
 いずれも現実にはありえない話だが、世間噺をするかのようなさりげない語り口にのせられているうちに、読者はいとも自然に架空の世界の扉をくぐり抜けてしまう。
 その架空の世界、小説の中では登場人物は、あくまでも真面目、論理的、日常的なのだ。
 架空の世界の日常性に違和感を感じなくなり、登場人物に共感できたら、幻想はすでに現実となっている。
 主人公は、いずれも冴えない。自在に壁を通過する能力を獲得した「壁抜け男」さえ、一時は神出鬼没のアルセーヌ・ルパン的超人ぶりを発揮するが、やっぱり冴えない結果に終わる。
 幸福は束の間は訪れてくれる。だが、永遠には続かない。よって、どの作品の結末にもペーソスが漂う。
 訳者あとがきによれば、エイメは新聞記者をはじめとする雑多な職業に就き、辛酸を舐めた。シャルル・ペローに傾倒した。こうした経歴がこれら短編にも反映しているらしい。

□マルセル・エイメ(長島良三・訳)『壁抜け男』(角川文庫、2001)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【デキゴトロジー】一覧

2016年08月26日 | ノンフィクション
【言葉】名古屋弁訳『吾輩は猫である』
【震災】激震の神戸で地震に気づかなかった人、知らなかった人
書評:『デキゴトロジー -恋の禁煙室-』
【読書余滴】女が23年間悩みとおしたこと
【読書余滴】時代劇のズサンな時代考証
【読書余滴】会社の怪談、深夜の悲鳴

     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【アゴタ・クリストフ】『悪童日記』 ~内面でなく行動を描く~

2016年08月26日 | 小説・戯曲

 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 前大戦中のハンガリーの田舎町が舞台。父は出征して帰らず、母は生活の資を得るため双子の少年たち<ぼくら>を祖母にあずけて去る。祖母は粗野にして吝嗇。祖母宅には電気は通じておらず、風呂もない。
 <ぼくら>は、大人以上の才覚と行動力で生き抜く。冷静で意志的、計画的で図太い。じつにしたたかなのだ。
 こうした特徴を、独特の文体が際だたせる。<ぼくら>の内面はまったく語られない。その行動と、彼らをとりまく状況が記されるのみだ。だからイメージが鮮明なのだ。
 <ぼくら>を鏡として見ると、大人の人間味、しばしば感情にかられがちな言動が滑稽に見えてくる。たくまざる諷刺だ。いや、諷刺の意図は当然、この亡命作家にあっただろう。
 <ぼくら>は独特の倫理観、行動の格率をもち、その行動には一貫性がある。労働と勉強を自分たちの課題と心得るから模範少年みたいだが、邪魔な人物と見れば平然と殺人を犯したりもする。世相の荒廃ぶりを反映しているにちがいないが、おそるべき目的合理性である。
 戦後、両親と再会するが、戦争の波にあらわれて両親が変わった分、<ぼくら>との間に距離ができていた。<ぼくら>は両親の非業の死を平然と受けとめる。いや、平然どころではなく、両親の死を踏み台にして新しい人生に足を踏み出すのだ。
 このあたり、内心を吐露せずに行動だけを綴る文体が迫力をうむ。米国のハード・ボイルド小説に通じるところがあるかもしれない。
 著者はハンガリー人。1956年の動乱でオーストリアに逃れ、スイスに定住。本書をフランス語で書き、文壇にデビューした。

□アゴタ・クリストフ(堀茂樹・訳)『悪童日記』(ハヤカワepi文庫、2001)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【池澤夏樹】南洋の神話 ~『マシアス・ギリの失脚』~

2016年08月26日 | 小説・戯曲
 
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。以下、刊行当時の所見。

 (1)夏休みには南洋にでかけたい方もいらっしゃるだろう。
 出かけたくとも先立つものがない方もいらっしゃるだろう。
 さいわい、私たちには『マシアス・ギリ』がある。

 (2)いや、たんに『マシアス・ギリ』ならば、南洋の島国ナビダード民主共和国第2、4代大統領の生涯または半生ということになるだろう。
 だが、『マシアス・ギリの失脚』となると、趣がだいぶ違う。まだ読まない先から、ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』のように、宿命づけられた男に宿命的にやってくるであろう結末が予感される。まるで神話である。
 じじつ、神話的な挿話が随所に挿入される。
 マシアス・ギリの失脚の遠因をなす観光バスの失踪(討ち入りした赤穂浪士と同数の47人の日本人が乗車する)からしてそうだ。目には見えないのに、録画されたフィルムにはきちんと映っている。至るところで目撃され、顕微鏡の中にすら目撃される。
 ところが、ケンペー隊はついに捕捉できない。
 ふしぎなことに、帰国が予定された期日には忽然とあらわれ、乗員はみな心と体の健康を取り戻しているのだ。
 ことに神話的な場面は、メルチョール島の8年に一度の祭、ユーカユーマイで見られる。
 主役の大巫女たちは海上を歩き、空を飛ぶ。ただし、誰も見ていないところで。
 古来の共同体を維持する核のごとき長老会議の決議を伝えるのも大巫女の役目である。長老会議は、刑罰をくださない。殺人者に対して「われわれはもうあなたを尊敬しない」告げるだけである。
 近代の市民社会では、この言葉は何ものでもない。自分を尊敬する、あるいは尊敬するふりをする者を他に求めれば足りる。受ける尊敬の有無にかかわらず、市民的生活は維持できる。
 しかし、人口7万人のナビダードでは、そうはいかない。
 長老会議がこれまでマシアス・ギリへ捧げた尊敬を取り下げると、たちまちギリの周りには服従する者はいなくなるのである。権力に対する権威の優位である。

 (3)マシアス・ギリは、戦後日本に渡って夜間高校を卒業し、日本的な商売のコツと清濁併せ飲む政治の技術を身につけた。ナビダードに帰国してから、若輩ながらも商才を発揮し、ついには小さいながらも一国の首長に昇りつめた。要するに、マシアス・ギリは日本的なエコノミック・アニマルであり、密室政治のテクニシャンである。
 その彼が、何の法的裏づけのない長老会議の決議によって自決に追い込まれる。思えば、自殺もまた、きわめて日本的な解決法ではある。

 (4)本書は、南洋の架空の島国を設定し、その鏡に映る日本を諷刺した現代の『ガリバー旅行記』として読める。
 あるいは、入澤康夫の擬物語詩を思わせる幻想的奇譚をたっぷり盛り込んだ散文詩でもある。
 大航海時代を証言する亡霊の口を借りて、アジア人の側からする歴史の見直しの試みでもある。
 著者の父親、福永武彦は性をオブラートで包んだ愛を描く名手だったが、著者は愛なき性をも追求してみせる。
 このようにたいへん欲張った材料とテーマをぶちこんだ作品で、それだけ多面的な読みを許すだけの厚みのある作品だ。1993年度谷崎潤一郎賞受賞作。

□池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』(新潮文庫、1996)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【保健】「みんなにやさしい除草剤」は本当にみんなにやさしいか?

2016年08月26日 | 医療・保健・福祉・介護
 (1)アース製薬「みんなにやさしい除草剤 おうちの草コロリ」は、食品にも含まれる成分が配合され、「最速10分」で雑草を枯らし、しかも毒性が弱いため、子どもやペットがいる家庭でも安心して使える、という。
 この製品の主成分は、ペラルゴン酸だ。ペラルゴン酸は、柑橘類、茶、トウモロコシなどに含まれる飽和脂肪酸の一種。このほかに界面活性剤などが含まれている。
 雑草にスプレーすると、ペラルゴン酸が雑草の葉の表面から取り込まれ、細胞に浸透する過程で細胞壁を破壊し、細胞内のpHの急激な低下が起こり、そのため細胞内の内容物が漏れ出す。その結果、細胞が壊れて、枯死する。これらは短時間で起こるので、最速10分くらいで雑草が枯れてしまう、という。

 (2)これほど植物に対する枯死作用が強いにもかかわらず人間やペットに悪影響がない、というのは本当か?
 ペラルゴン酸は、無色または淡黄色の液体で、人間の加齢臭のような匂いがある。化学式はC2H18O2。なお、ペラルゴン酸は、「脂肪酸類」の一つとして、食品添加物としての使用が認められている。このことが、安全性が高いとされている理由の一つになっている。
 現在、ペラルゴン酸は農薬として登録されていない。だから、農薬として使うことはできない。「みんなにやさしい除草剤 おうちの草コロリ」には、「本剤は農薬ではありません」と表示され、さらに「農産物の栽培・管理に使用すると罰せられます」ともある。つまり、農作物を栽培している畑では使えない。あくまで家の庭や駐車場などの雑草を駆除するための製品だ。

 (3)環境省水・大気環境局土壌環境課農薬環境管理室がまとめた安全性評価資料「ペラルゴン酸及びペラルゴン酸カリウム塩」によると、
  (a)ラットに対してその半数を死亡させるペラルゴン酸の経口投与量は、体重1kgあたり5g以上となっている。ちなみに、塩化ナトリウム(食塩)の場合、ラットを半数死亡させる経口投与は体重1kgあたり3.75gだ。したがって、ペラルゴン酸の急性毒性は塩化ナトリウムより弱いということになる。
  (b)しかし、皮膚や目に対する刺激性がある。同資料によれば、ウサギ3匹に対して、ペラルゴン酸2%乳剤(グリホサートイソプロビルアミン塩1.0%含有)を0.5ml使って、皮膚貼付試験を行ったところ、軽度の刺激性が認められた。
  (c)別の実験では、ウサギに対して、①一方の群にはペラルゴン酸2%乳剤を0.1ml点眼し、②もう一方の群には同様に点眼した後、目を洗浄して観察した。その結果、目に対する軽度の刺激性が認められた。

 (4)「みんなにやさしい除草剤 おうちの草コロリ」には、「眼に入らないように注意してください。眼に入った場合は直ちに水洗し、異常のある場合は眼科医の診療を受けてください」という注意表示があるが、これらの実験結果を考慮してのことと考えられる。
 前述の資料では、これらの実験結果およびEPA(米国環境保護局)とEUの国際的評価書の実験結果などから、「ペラルゴン酸は、皮膚に対して中等度から重度刺激性、眼に対して重度刺激性を示す」という総合評価を行っている。

 (5)慢性毒性や発癌性の経口投与による実験は、これまで行われていない。
 妊娠したラットにペラルゴン酸を経口投与した実験では、母動物毒性や胎仔毒性、催奇形性(胎仔に障害を起こす毒性)は認められていない。
 ちなみに、人間がペラルゴン酸を摂取した場合、体内で脂肪酸として組織に分布し、脂肪として蓄積される。最終的には、水と二酸化炭素にまで代謝される。

 (6)この製品には、ほかに「水、界面活性剤等」が含まれている。界面活性剤等についてアース製薬に照会したところ、回答は、「界面活性剤は、ペラルゴン酸の溶けをよくし、均一に安定化させるために入れている。具体名は社外秘なので、教えられない。このほかに香料をごく少量入れている」とのこと。
 界面活性剤の中には、皮膚や目を刺激するものがあるので、気になるところだ。
 ペラルゴン酸は、飽和脂肪酸の一種ということで、従来の除草剤に比べて毒性が弱いと考えられるが、それでも皮膚や目に対する刺激性が認められている。また、発癌性について調べられていない点も不安を感じさせる。
 これらを考慮すると、容易な使用は控えたほうがよさそうだ。

□渡辺雄二「「みんなにやさしい除草剤」は本当にみんなにやさしいか?  ~新買ってはいけない 223~」(「週刊金曜日」2016年8月19日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【保健】合成甘味料入りで水分補給に不適 ~機能性ウォーター~
【食】「水素水」ブーム便乗商品に気をつけろ ~効果は疑問~
【食】炭酸水の飲み方には気をつけたい ~糖類や食品添加物~
【保健】「新世代エコ洗剤」は本当にエコか ~AESの悪影響~
【食】明太子やたらこも癌リスクを高める ~亜硝酸Na、タール系色素~
【食】「加工肉」の危険性に改めて目を向ける ~発癌性~
【食】一部の「有機ワイン」に入っている添加物 ~亜硫酸塩~
【食】「トクホのノンアルコールビール」 ~その危険性~
【食】新しい「コカ・コーラ」は体にやさしいか ~買ってはいけない~
【食】買ってもいいインスタント食品
【食】「高級インスタントラーメン」に含まれる食品添加物
【食】お手軽「流水麺」の落とし穴