路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。たとえば、《牛乳を注ぐ女》についてこう書く。
ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。
---(引用開始)---
壺から流れ出る牛乳は地球重力を適格にあらわしている。それは垂直に垂れる牛乳の描写だけで可能だったのではなく、その重さを支える腕の筋肉、腕を保持する人体の緻密なバランス、それらをコントロールしながら牛乳を見守る女の眼差し、そういうすべての微細な力の描写のネットワークがあってこそのものなのだ。
*
■流れ出る無限の時間
傾けた壺の口からは、時間が流れ出ている。白い絵の具で描かれているのは、流れ落ちる牛乳である。でもその牛乳にぴたりと時間が張りついて、いっしょに流れ出ている。
とろとろとろと、いつまでも時間は流れつづけ、牛乳も流れつづける。
壺の中には無限の時間が詰まっていて、無限の牛乳も詰まっているのか、この絵をじーっといつまでも見ていても、牛乳時間は流れつづける。
でもこれは絵である。キャンバスに油絵具で描かれている。流れ出る牛乳の白は、幅広の面積から一本の棒になり、白い垂直線として引かれている。つまり流体の牛乳は、そこで一本の棒として展示されて、牛乳に張りついた時間だけがそのままとろとろと流れつづけて、そうやって17世紀以降300数十年の歳月が流れた。
時間の枝分かれである。フェルメールのセットした時間と、それをセットした世の中の時間と。
フェルメールが塗った、単なるふつうの油絵具が、永遠の瞬間といわれる時間の枝分かれを現実の物にしてしまった。
それを可能にしたのは、フェルメールの奇跡的な描写力だと、いってしまえばそれだけのことになるが、描写力そのものの不思議さについて、これだけ考えさせられる画家は他にいないのである。
でもそういう考えを表に出さなくても、この絵はフェルメールの絵の中でも「デルフトの眺望」に次ぐ大勢の人気をかちえて居る。
*
牛乳という流体に張りついた時間をあらわすためには、固体に張りついた時間の包囲が必要である。パンも籠も壺も、重力的安定を得たところでじっとして、流れる時間に道を開けている。
*
陰の中で照り返る真鍮の輝きをあわらす絵筆もさることながら、壁に一端を留められた籠が、その編み目をやんわりと斜めにずらしながら下に傾く。そのわずかな重力を見つめるフェルメールの眼差しに、自分の心まで見透かされていくようだ。
*
流れ落ちる牛乳を見つめる女の眼差しには、牛乳を見守る暖かさがある。でもそんな微細な暖かさを適確にに描き出してしまうフェルメールの透明な力に、いわゆる人間をちょっと超えた、神の位置エネルギーのようなものを感じてしまうのである。
---(引用終了)---
【資料】
(1)フェルメール展・東京会場
期間:2018年10月5日(金)~2019年2月3日(日)
会場:上野の森美術館
(2)展示作品
1)牛乳を注ぐ女 1660年頃/アムステルダム国立美術館
2)マルタとマリアの家のキリスト 1654-1656年頃/スコットランド・ナショナル・ギャラリー
3)手紙を書く婦人と召使い 1670-1671年頃/アイルランド・ナショナル・ギャラリー
4)ワイングラス 1661-1662年頃/ベルリン国立美術館【日本初公開】
5)手紙を書く女 1665年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
6)赤い帽子の娘 1665-1666年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー【日本初公開】※12/20まで
7)リュートを調弦する女 1662-1663年頃/メトロポリタン美術館
8)真珠の首飾りの女 1662-1665年頃/ベルリン国立美術館
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「15 牛乳を注ぐ女」を引用
【参考】
「【フェルメール】赤い帽子の娘 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】の秘密情報 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《牛乳を注ぐ女》(1657-1658年頃)/アムステルダム国立美術館
本書
ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。
---(引用開始)---
壺から流れ出る牛乳は地球重力を適格にあらわしている。それは垂直に垂れる牛乳の描写だけで可能だったのではなく、その重さを支える腕の筋肉、腕を保持する人体の緻密なバランス、それらをコントロールしながら牛乳を見守る女の眼差し、そういうすべての微細な力の描写のネットワークがあってこそのものなのだ。
*
■流れ出る無限の時間
傾けた壺の口からは、時間が流れ出ている。白い絵の具で描かれているのは、流れ落ちる牛乳である。でもその牛乳にぴたりと時間が張りついて、いっしょに流れ出ている。
とろとろとろと、いつまでも時間は流れつづけ、牛乳も流れつづける。
壺の中には無限の時間が詰まっていて、無限の牛乳も詰まっているのか、この絵をじーっといつまでも見ていても、牛乳時間は流れつづける。
でもこれは絵である。キャンバスに油絵具で描かれている。流れ出る牛乳の白は、幅広の面積から一本の棒になり、白い垂直線として引かれている。つまり流体の牛乳は、そこで一本の棒として展示されて、牛乳に張りついた時間だけがそのままとろとろと流れつづけて、そうやって17世紀以降300数十年の歳月が流れた。
時間の枝分かれである。フェルメールのセットした時間と、それをセットした世の中の時間と。
フェルメールが塗った、単なるふつうの油絵具が、永遠の瞬間といわれる時間の枝分かれを現実の物にしてしまった。
それを可能にしたのは、フェルメールの奇跡的な描写力だと、いってしまえばそれだけのことになるが、描写力そのものの不思議さについて、これだけ考えさせられる画家は他にいないのである。
でもそういう考えを表に出さなくても、この絵はフェルメールの絵の中でも「デルフトの眺望」に次ぐ大勢の人気をかちえて居る。
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牛乳という流体に張りついた時間をあらわすためには、固体に張りついた時間の包囲が必要である。パンも籠も壺も、重力的安定を得たところでじっとして、流れる時間に道を開けている。
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陰の中で照り返る真鍮の輝きをあわらす絵筆もさることながら、壁に一端を留められた籠が、その編み目をやんわりと斜めにずらしながら下に傾く。そのわずかな重力を見つめるフェルメールの眼差しに、自分の心まで見透かされていくようだ。
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流れ落ちる牛乳を見つめる女の眼差しには、牛乳を見守る暖かさがある。でもそんな微細な暖かさを適確にに描き出してしまうフェルメールの透明な力に、いわゆる人間をちょっと超えた、神の位置エネルギーのようなものを感じてしまうのである。
---(引用終了)---
【資料】
(1)フェルメール展・東京会場
期間:2018年10月5日(金)~2019年2月3日(日)
会場:上野の森美術館
(2)展示作品
1)牛乳を注ぐ女 1660年頃/アムステルダム国立美術館
2)マルタとマリアの家のキリスト 1654-1656年頃/スコットランド・ナショナル・ギャラリー
3)手紙を書く婦人と召使い 1670-1671年頃/アイルランド・ナショナル・ギャラリー
4)ワイングラス 1661-1662年頃/ベルリン国立美術館【日本初公開】
5)手紙を書く女 1665年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
6)赤い帽子の娘 1665-1666年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー【日本初公開】※12/20まで
7)リュートを調弦する女 1662-1663年頃/メトロポリタン美術館
8)真珠の首飾りの女 1662-1665年頃/ベルリン国立美術館
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「15 牛乳を注ぐ女」を引用
【参考】
「【フェルメール】赤い帽子の娘 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】の秘密情報 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《牛乳を注ぐ女》(1657-1658年頃)/アムステルダム国立美術館
本書