四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

牟礼の双体道祖神

2024年01月31日 | 史跡・遺跡・文化財

埼玉県大里郡寄居町大字牟礼(むれい)地内の県道赤浜小川線の端に石造の『双体道祖神』が祀られている
ことをひょんなことから知りました。
道の端といってもちょっとした高台です。このすぐ下では道路工事が行われておりますので。邪魔になら
ない時間を見計らって訪ねてきました。
あるコラムによれば寄居町には9基の道祖神が確認されているそうで、そのうち7基は「道祖神」等と文字
が刻まれたもので像刻塔は2基しかないとのことです。
そのうちの1基が、ここ牟礼にあるもので、寄居町の指定文化財になっています。



「道祖神とは」についてはこの説明版に解説がありますので省略します。


双体(男女)の形には色々あるようですが、これは手をつないだ形でしょうか?

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
牟礼の双体道祖神を訪ねたついでに、近隣にある双体道祖神を調べたところ幾つかありましたので、そう
遠くない範囲で行ける場所を探して・・・


普門山千手院 比企郡嵐山町千手堂759 参道を上がってすぐのところ


男女が肩を抱き手を繋いだもの


裏には地蔵菩薩が刻まれています  年代は不詳


同じく千手院の本堂近くの参道端に祀られた双体道祖神  電柱の背後に見えるのが本堂


座ってお互いの肩を抱き手を繋げている姿です
金婚を迎えたご夫婦が寄進したもので2008年4月21日の日付とお名前が裏面に刻まれています


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

石青山 威徳院 大聖寺 (通称:下里観音) 比企郡小川町下里1857  参道端の双体道祖神
近年のもののようですが年代は不明



双体道祖神の隣には大聖寺のご詠歌の石碑


鐘楼門
この大聖寺には国の重要文化財『石造法華経供養塔』(その形から「六面幢」あるいは「六角塔婆」とも
呼ばれる:旧国宝)と、『板碑』が保存されています。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

金鑚神社(かなさなじんじゃ) 児玉郡神川町大字二ノ宮751 
平成28年(2016)12月、鏡岩へ向かう山道の最初の場所にある数多くの句碑に混じってあったものをたま
たま撮っていたもので、一応、参考までに。このころは道祖神には関心がありませんでした。


散策日:令和6年(2024)1月31日(水)

小川町で一番古い板碑と一番大きい板碑

2023年11月03日 | 史跡・遺跡・文化財

                                  《太子堂の板碑》
『国指定史跡 下里・青山板碑製作遺跡』がある埼玉県小川町には1,000基を超える板碑が確認され
ていると言います。
そんな数多い板碑の中で紀年銘がある一番古い板碑と一番大きな板碑を訪ねてみました。


ここは小川町大字木呂子地内です。昔は木呂子村と言い、明治の大合併で他5村との合併で竹沢村
となり、昭和の大合併で小川町となりました。位置的には小川町の西端にあたります。
確認されている範囲で一番古い板碑は木呂子の太子堂にあるということで、その太子堂はどうもこ
の山の辺りのようでした。


麓の坂道を登っていきましたが、民家に突き当たってしまいましたので引き返し・・・


ここかもしれないと階段を上ってみることに


階段が終わったところを右に進むと・・・


見えました。太子堂のお堂のようです。手前には写真で確認してきた板碑があります。


風化が進んでいるようで陰刻がほとんど消えかけています。
この板碑は建長年間(1249~1256)ということでしたので、紀年
銘を探してみましたがどこにあるのか探せませんでした。


かろうじて阿弥陀三尊種子(キリーク)がわかります。


横から見た状況  欠けている部分は自然? 故意?


取り合えず小川町内では一番古いとされる板碑を確認できましたので、次に一番大きい板碑に向か
うことに。


麓には庚申塔、出羽三山(羽黒山・湯殿山・月山)供養塔などが集められています。三猿もありま
す。


1基1基見たわけではありませんからいつのものかはわかりません。


左から2番目のものが三猿庚申塔


天台宗 薬王山瑠璃光院普光寺(ふこうじ)
先ほどの木呂子太子堂とは反対方向、つまり小川町の市街地を挟んで東方にあります。
西から東へと長い距離を移動してきました(とはいえ同じ町内ですから)
ここは小川町大字中爪  昔は中爪村 明治の大合併で中爪村等8村が合併し八和田村となり、昭
和の大合併で旧・小川町,大河村、竹沢村との1町3村の合併により現在の小川町となっています。


厄除け元三大師  小川厄除大師  中爪の大師様と呼ばれています


中央にあるのが小川町内では一番大きな板碑といわれるものです。


横から見てみましょう。
高さがどれだけあるのか資料がないのでわかりませんが、大きいことはお判りいただけるかと思い
ます。但し・・・


このように阿弥陀三尊種子を残し「二十二夜待供養塔」に転用されていますので、いつの板碑か全
くわかりません。 ※寶暦二壬申年・・・1752年
このことから板碑と呼んでよいのかちょっと迷いますが、元は板碑であり、今も板碑のカタチを残
していますので、一応、町内では一番大きな板碑としているようです。
2番目に大きな板碑は、小川町大字青山地内(青山村→大河村→小川町)の大橋堂阿弥陀三尊板石
塔婆(板碑)で、高さが2.93mあり町指定文化財になっていますが、一番古い太子堂板碑と一番大
きいこの普光寺の板碑(二十二夜待供養塔)については文化財指定はありません。
今でこそ同じ小川町ですが、これら板碑が建立されたときはみんな違う村だったわけでして・・・


茅の輪は一年中あるようです。


山門を潜ると参道両側にも板碑が並んでいます。


本堂に向かって左側


本堂に向かって右側


鐘楼


本堂と石灯篭
左右の石灯籠は、芝・増上寺の徳川将軍家霊廟に奉献されたもので、有章院(徳川家継)に一柳因
幡守直卿、阿部因幡守正良からのものです。
増上寺の石灯篭が何故ここにという話をすると長くなりますので省きます(本題から逸れてしまい
ますし)


本堂


普光寺の左隣にある 中爪 八宮神社 かつては寺(普光寺)持ちでしたが、明治以降は神仏分離
により一社となりました。


因みにこれが小川町で2番目の大きさを誇る大橋堂の阿弥陀三尊板石塔婆(板碑)です。
名 称:大橋堂 阿弥陀三尊種子板石塔婆
建 立:正慶2年( 1333)4月15日(鎌倉時代末期 )
形 状:緑泥片岩、高さ 293Cm 下幅 67Cm
指 定:小川町指定有形文化財(考古資料)昭和53年(1978)3月17日指定
所在地:比企郡小川町青山1520

散策日:令和5年(2023)11月2日(木)

国指定史跡 下里・青山板碑製作遺跡 -割谷地区-

2023年10月20日 | 史跡・遺跡・文化財

                                                         
鎌倉時代から戦国時代の板碑製作遺跡である『国指定史跡 下里・青山板碑製作遺跡』を訪ねてき
ました。
詳細は小川町のホームページからの引用と下の方に載せた現地説明板の内容を見ていただければと
思いますが、下里・青山地区で確認された採掘の可能性がある19か所のうち、
  比企郡小川町大字下里字林殿谷(りんでんやつ) 
  比企郡小川町大字下里字西坂下
  比企郡小川町大字下里字内寒沢(うちかんざわ)
の3か所が平成26年(2014)10月6日に国の史跡に指定されました。
今回はこの3か所のうち過去2回(いずれも平成27年・2015年)訪ねた-割谷地区-を久しぶりに
訪ねてきた次第です。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
鎌倉時代から戦国時代の板碑製作遺跡です。13世紀頃から関東では仏教信仰の高まりを受け、寺院建立に加え緑泥
石片岩製の石塔である「板碑」の造立が盛んになりました。小川町は板碑石材の有力な産出地と考えられており、
平成13年に下里地内で加工石材が採集されたことを契機に、小川町教育委員会が調査を開始したところ、採掘の可
能性がある地点が、割谷(わりや)地区、西坂下前A地区、内寒沢(うちかんざわ)地区など19箇所確認されました。
割谷地区では、緑泥石片岩の露頭や、大小のズリによって形成された幅50m、奥行き45m程の平場がみられます。
発掘調査では、矢穴痕が残る岩塊や板碑形のケガキ線や溝状の彫り込みの残る石材、平ノミによる削り痕がある石
材等が確認され、採掘から板碑形へ加工するまでの工程が明らかになりました。また、出土した未成品の大きさや
加工技術を町内外にある板碑と比較検討した結果、割谷地区における採掘の最盛期が関東で最も多く板碑が造られ
られます。板碑の生産と流通だけでなく、板碑に象徴される中世の精神文化を知る上でも重要な遺跡です。
                                   《小川町のホームページから引用》

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

-


小川町下里地区です。国指定史跡 下里・青山板碑製作遺跡 -割谷地区-は標識にあるよう右折して進みます。
右の方にそのまま進行すると嵐山町遠山地区に入り、国指定史跡比企城館跡群小倉城跡にも通じています。


駐車場に到着です。ここは数台しか駐車できませんが、ここまで来る途中にかなりの台数が止められる下里・青
山板碑製作遺跡見学者用の駐車場がありますが、そこからですとかなり歩かなければなりません。


この先は通行止めとなっていますが、「徒歩入れます「とあります。


右手は、下里・青山板碑製作遺跡 -割谷地区の山の斜面で、ズリ(不用石材の破片)が覆っています。


ここから見学(散策)開始です


ロープの内側は遺跡保護のため入れません


ロープに沿って外側を登っていきます


登っていく途中の左手に緑泥石片岩の露頭があり、「矢穴」が確認できます


ズリ平場


沢山のズリですが、中央辺りにあるのは板碑の上の部分にあたる「山形」を呈しています


1号トレンチ(試掘坑)の手前に「説明板」が設置されました
過去2回訪れたときはありませんでしたので、説明板が設置されるのを待ち望んでいましたが、気付いたのがち
ょっと遅かったかと





1号トレンチ


同上


同上 矢穴が見えます


ズリ平場

散策日:令和5年(2023)10月20日(金)

橋屋遺跡

2023年08月15日 | 史跡・遺跡・文化財


全国1都1道2府43県に店舗を展開するファッションセンターしまむら。その一店舗である「しまむら花園店」に
行ってきました。この花園店は店舗名が示す通り、「しまむら」発祥の地・比企郡小川町の隣の隣にある旧大里
郡花園町、現在の深谷市に所在します。勿論、お店に寄らせていただきましたが、本来の目的は『橋屋遺跡』の
場所確認にありました。実はファッションセンターしまむら花園店はこの『橋屋遺跡』の上に建っているのです。

名 称:橋屋遺跡(はしやいせき)
概 要:荒川中流域左岸の河岸段丘上にある。県北を代表する縄文時代晩期の遺跡。
種 類:集落跡
時 代:縄文時代
出土品:縄文土器、石器、土製品、石製品
選 定:埼玉県選定重要遺跡 名称:橋屋遺跡 昭和51年(1976)10月1日選定
所在地:埼玉県深谷市小前田字橋屋408-1ほか (旧・花園町)



橋屋遺跡の範囲は概ねではありますが赤線で囲った範囲となっています。
橋屋遺跡の第1次発掘調査は平成 5年(1993)に花園町教育委員会(当時)によって行われています。(無論、
遺跡範囲全体 ということではなく一部分ですが)
更に、平成17年(2005)にこの遺跡上にしまむらの店舗建設の計画が明らかになり株式会社しまむらと花園町教
育委員会(当時)との協議の結果第2次発掘調査が行われました。調査経費は事業主体の株式会社しまむらが負担
しています。
これらの経緯と調査結果は、【埼玉県深谷市埋蔵文化財報告書第97集 橋屋遺跡(第2次) 2008.3 深谷市教
育委員会】に詳細があります。
なお発掘当時の平成17年(2005)は大里郡花園町でしたが、平成18年(2006)1月1日に旧・深谷市などとの合併
により新・深谷市となったことから報告書は深谷市教育委員会となっているわけです。



橋屋遺跡とされる場所です。
これを見ただけではただの更地で縄文時代の集落跡とは考えにも及びません。
実際、自身においても知らない場所ではありませんでしたが、過日、埼玉県選定重要遺跡について調べている際
に初めて遺跡(橋屋遺跡)と知った次第です。
一応、説明板とか標柱といった類のものが設置されているか探してみましたがありませんでした。



畑や更地の写真を載せて何になるのと思われるでしょうね。
しかし、遺跡とはこんなところに眠っているのだという参考になればと思いまして。
何気なく歩いている場所が、文化財指定・選定の有無は別として、遺跡だったりするかもしれませんね。


写真下側が荒川に通ずる緩い坂(段丘)です。

散策日:令和5年(2023)8月6日(日)

埼玉県選定重要遺跡 5⃣

2023年08月08日 | 史跡・遺跡・文化財


埼玉県選定重要遺跡 5⃣
この5⃣で一応訪ねたことのある埼玉県選定重要遺跡のうち何カ所かを除いた大方の紹介を終えることになります。
説明板の写真と現地の写真1枚程度で遺跡の状況なんて分からないとお叱りを受けるかもしれませんね。しかし、
今回の一連の投稿は、「埼玉県選定重要遺跡」とは何? 「埼玉県選定重要遺跡」にはこうした遺跡が選定され
ているということで、自身が訪ねたことのあるものを目録的に紹介したものです。
個々の遺跡の状況については、過去記事を見ていただければ幸いです。たいした内容ではありませんが、遺跡の
状況をお分かりいただけるかと思います。
各選定重要遺跡の[概要]は、『埼玉県文化財目録』(埼玉県教育委員会)に記載されたものを引用させていた
だきました。※は管理人の補足コメントです。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 西別府祭祀遺跡 


名称・形態:西別府祭祀遺跡  【祭祀遺跡】
所 在 地:熊谷市西別府 1575 ほか
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:湯殿神社に隣接する湧水地から多数の石製模造品が出土。古墳から平安時代。(一部国指定史跡)
     ※西別府祭祀遺跡は深谷市・熊谷市に所在する国指定史跡幡羅官衙遺跡群を構成する遺跡のひとつ。
市町村指定:-


この湯殿神社の裏に、水辺の祭祀(湧泉祭祀)の跡であります。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 宮塚古墳群 


名称・形態:宮塚古墳群  【古墳群】
所 在 地:熊谷市広瀬字山王
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:国指定史跡宮塚古墳(上円下方墳)を中心とする古墳群。現存9基。
     ※宮塚古墳群で検索しても該当するものがありませんが、古墳群を構成する古墳が広瀬古墳群と一
       致します。宮塚古墳群の名称は重要遺跡に選定当時の名称で、現在は広瀬古墳群に変更されたも
       のと考えられます。但し、その後、遺跡の名称変更があっても埼玉県選定重要遺跡での名称は選
       定当時の名称ままで変更はしないようです。

市町村指定:-


古墳群全部の古墳を一緒に撮るのは不可能でこれが精一杯。と言ってもほかの古墳の写真は撮って
いませんが。
宮塚古墳は単体で国の史跡に指定されたもので、説明するまでもなく宮塚古墳群(広瀬古墳群)が
国指定史跡ということではありません。


広瀬4号墳

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 権現坂埴輪窯跡 


名称・形態:権現坂埴輪窯跡  【生産遺跡】
所 在 地:熊谷市千代字富士山下 731 ほか(旧・江南町)
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:現存9基。江南台地上、谷を挟み東西支群がある。西支群発掘調査。(市指定史跡)
     ※昭和37年(1962)に、埼玉県教育委員会の発掘調査で5基の埴輪窯跡を確認したが、この部分が
      「権現坂埴輪窯跡跡」の名称で埼玉県選定重要遺跡に選定されたものと思います。その後の江南町
       の発掘調査によって確認された開析谷西側の約10基の埴輪窯跡の部分を江南町(当時)が「権現
       坂埴輪窯跡跡群(西群)」の名称で江南町指定史跡としたようです

市町村指定:熊谷市指定史跡 名称:権現坂埴輪窯跡群(西群) 平成10年〔1998〕2月10日指定


窯跡を示す表示がないので(私有地ですから無理か)窯跡の位置が分かりませんでしたが、この
辺りかと思い撮ったものです。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 野原古墳群 


名称・形態:野原古墳群  【古墳群】
所 在 地:熊谷市野原字境田、宮脇ほか(旧・江南町)
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:和田川左岸の江南台地上に分布する終末期古墳群。現存 26 基。
     ※「踊る埴輪」(東京国立博物館蔵)が出土した古墳群として知られています。
市町村指定:-


八幡神社の社殿裏にある古墳群。この写真よりも広い範囲が古墳群ですが、素人には古墳と盛土の
区別が難しいです。


八幡神社境内(説明板の脇)に最近(2022年4月)建立された2体の踊る埴輪のモニュメント。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 庁鼻和城跡 


名称・形態:庁鼻和城跡  【城館跡】
所 在 地:深谷市国済寺
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:室町時代。庁鼻和上杉4代(憲英・憲光・憲長・憲信)の居城。(市指定史跡)
     ※庁鼻和城は上杉氏が深谷城に移る前の居城です。
市町村指定:深谷市指定史跡 名称:庁鼻和城跡  昭和34年(1959)11月3日指定


国済寺三門(深谷市指定文化財・昭和46年(1971)11月3日指定)


館跡北側の土塁 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 寅稲荷塚古墳 


名称・形態:寅稲荷塚古墳  【前方後円墳】
所 在 地:深谷市岡字二の丸 1685 (旧・岡部町)
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:全長 51m、高さ 3.5m の前方後円墳。一部発掘調査。(市指定史跡)
     ※旧大里郡岡部町(現・深谷市)では、お手長山古墳に次ぐ2番めの規模を誇る古墳
市町村指定:深谷市指定史跡 名称:寅稲荷塚古墳  昭和54年(1979)4月1日指定


古墳くびれ部に寅稲荷神社が祀られています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 畠山館跡 


名称・形態:畠山館跡  【城館跡】
所 在 地:深谷市畠山字八幡 520 ほか(旧・川本町)
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:館跡内に県指定史跡畠山重忠墓がある。館跡北辺の堀発掘調査。
     ※畠山重忠の父・秩父(畠山)重能が男衾郡畠山郷(現深谷市畠山)に所領を得て、畠山を名乗っ
       た時の居館跡と伝わります。重忠はここで生まれたとされ、菅谷館に移るまでの拠点。

市町村指定:ー


右奥の覆屋の中に伝畠山重忠と家臣の墓(五輪塔)があります。県指定史跡

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 本田城跡 


名称・形態:本田城跡  【城館跡】
所 在 地:深谷市本田字西上本田 5032 ほか(旧・川本町)
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:荒川右岸の江南台地の南緩斜面に築かれた居館跡。土塁、空堀残存。
     ※畠山重忠の重臣本田近常の居城(館)跡。現在も後裔の方が居住。
市町村指定:ー


本田家家人の承諾を得て遺構を見学させていただきました。堀跡? 土塁?

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 花園城跡 


名称・形態:花園城跡  【城館跡】
所 在 地:大里郡寄居町末野字城山、清見寺、浦山
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:戦国時代の山城で、武蔵七党猪俣党藤田氏十五代の居城。複雑な堀割と曲輪の配置や
      石積みが良好に残る。
     ※規模の大きい城跡ですが整備が全くされていませんので上るのも下るのも大変でした。城域が広い
       だけに迷い込む恐れ多大(自身の経験からの独り言)

市町村指定:寄居町指定旧跡  指定年月日等は調べたが不明
      町指定史跡に準ずるものとして指定旧跡制度を設けたようですが、市町村で指定旧跡
      を設けるのは稀です。


本郭と二の郭との間の堀切

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 旧盛徳寺跡 


名称・形態:旧盛徳寺跡  【寺院跡】
所 在 地:行田市埼玉字下埼玉 1118 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:埼玉古墳群の東方 1.5km に造営された奈良時代の寺院跡。礎石が残る。
     ※盛徳寺は、埼玉山若王院盛徳寺と称し、県内でも最古の寺といわれる。

市町村指定:ー

本堂前に残っている旧盛徳寺の礎石の一部。
礎石は、旧盛徳寺礎石の名称で、行田市指定文化財になっています。昭和30年〔1955〕8月8日指定

埼玉県選定重要遺跡 4⃣

2023年08月07日 | 史跡・遺跡・文化財


埼玉県選定重要遺跡 4⃣
1⃣で記したように埼玉県選定重要遺跡には161件の遺跡が選定されていますが、古墳関係が多く、次に城館跡や
集落跡といったところが多くなっています。
古墳類の場合は、程度の差はありますが古墳の形が残されていますので現地で確認することが可能です。しかし、
集落跡となると発掘調査後は埋め戻しがされて更地になったり住宅地等になっていることが多いため、どこが遺
跡の場所なのか分からなかったり、場所が特定できたとしても、遺跡範囲が分からなっかり、遺跡とは想像がつ
かないのが実情です(故に埋蔵文化財と言われるわけですが)。他の遺跡も地表に現れている部分がほとんどな
いことから、遺跡と認識するのは厳しいのではないかと思えます。
各選定重要遺跡の[概要]は、『埼玉県文化財目録』(埼玉県教育委員会)に記載されたものを引用させ
ていただきました。※は管理人の補足コメントです。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 十郎横穴群 


名称・形態:十郎横穴群  【横穴群】
所 在 地:比企郡鳩山町石坂字重郎
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:山稜斜面を利用して穿ったもの。現在 3基が開口。(町指定史跡)
     ※横穴墓とは、国指定史跡吉見百穴(吉見町)に代表される古墳時代後期の墓制のひとつで、比企
       地区には多くの横穴墓が存在し十郎横穴墓群はその一つ。
市町村指定:鳩山町指定史跡 名称:十郎横穴墓群 昭和54年(1979)4月25日指定


三基ある横穴のうち向かって左側のものは崩れていました(訪問時)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 旧慈光寺跡 


名称・形態:旧慈光寺跡  【寺院跡】
所 在 地:比企郡ときがわ町西平字都幾山ほか(旧・都幾川村)
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:現慈光寺を中心に一山七五坊の痕跡が明らか。約 150 haの範囲 130 ヶ所余りの削平地が僧坊跡と
      して雛壇造成されている。平安時代から江戸時代までの遺物が山内に散布する。ところにより礎石
      あり。
     ※上の写真は慈光寺本堂の下にある駐車場に設置されている案内図。埼玉県指定重要遺跡と書かれて
      いますが、選定だとわかりにくいので指定としたのだと好意的に解釈しています。

市町村指定:ー


数ある僧坊あとの一つの削平地  「僧坊跡」と刻まれた石標があります。


こちらは「念仏堂跡・伝女人堂跡」の僧坊跡 かなり広い平場(削平地)です。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 諏訪城跡 


名称・形態:諏訪城跡  【城館跡】
所 在 地:秩父市大野原字蓼沼 3228 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:南北朝時代。鉢形城家臣諏訪氏居城と伝える。土塁、堀一部残存。
     ※荒川に横瀬川が合流する地点の比高約30mの急崖上にあります。
市町村指定:ー


内郭跡には諏訪神社が建立されています。社殿後方の両側は急崖。右側に見える高まりが土塁の一部か?

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 永田城跡 


名称・形態:永田城跡  【城館跡】
所 在 地:秩父市上寺尾字永田 3600 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:室町時代。居住者不詳。土塁、堀一部残存存。
     ※荒川左岸の比高46mの段丘上にあり、跡地には秩父三十四ヶ所観音霊場22番札所童子堂 (栄福寺)
      がある。城跡を示す説明板等はないが、栄福寺の説明板の中にここが永田城跡である旨が書かれ
      ています。

市町村指定:ー


主郭南西側に残る空堀と土塁。左側の一部切れているところが小口で左方向が主郭跡。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 秋山古墳群 


名称・形態:古墳  【円墳】
所 在 地:本庄市児玉町秋山字田中沢、甲斐(旧・児玉町)
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:市指定史跡庚申塚古墳(円墳)を中心とする古墳群。15 基現存。(市指定史跡)
     ※古墳群である秋山古墳群のほか、秋山庚申塚古墳も単体で「秋山庚申塚古墳付出土品」の名称で
       市指定有形文化財・史跡となっています

市町村指定:本庄市指定史跡 名称:秋山古墳群 昭和40年(1965)3月1日指定


秋山庚申塚古墳

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 五明廃寺跡 


名称・形態:五明廃寺跡  【寺院跡】
所 在 地:児玉郡上里町五明字若宮 760 ほか
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:神流川の扇状地に造営された奈良時代の寺院跡。
     ※道路拡張工事に伴い発掘調査したとあります。寺域は不明。
市町村指定:ー


寺域は不明とのことですが、ここが寺域の一部のようです。説明板がなければただの空地にしか見えませんが、
ここに限らず遺跡とはそうしたものです。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 羽黒山古墳群 


名称・形態:羽黒山古墳群  【古墳群】
所 在 地:児玉郡美里町白石字羽黒
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:丘陵上に分布する古墳群。約8基現存。土地改良事業にかかり発掘調査。
     ※現存するのは約8基とありますが、現在、完存するのは6基程度と認められ、大半が半壊、一部残存、
      消滅となっているようです。

市町村指定:ー


この時の羽黒山古墳群散策では次の4基を確認してきました。
これ以外にも畑の中に緑のこんもりした所が数か所見られましたが、古墳なのか、単なる雑木林なのか暑さに負
けて確認するまでには至りませんでした。
   名  称    墳形   規模     築  造      立地  現況
■ 羽黒山5号墳  円墳  径24m  6世紀半~7世紀代  丘陵  半壊
■ 羽黒山13号墳  円墳  径15m  6世紀半~7世紀代  丘陵  半壊
■ 羽黒山14号墳  円墳  径10m  6世紀半~7世紀代  丘陵  完存
■ 羽黒山15号墳  円墳  径35m  6世紀半~7世紀代  丘陵  完存

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 駒衣廃寺跡 


名称・形態:駒衣廃寺跡  【寺院跡】
所 在 地:児玉郡美里町木部字上谷 49-1 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:台地上に造営された奈良・平安時代の寺院跡。
     ※別名:大仏廃寺跡。場所については、この写真の「美里町遺跡の森館」の西方に当りますが、その
      範囲は定かではありませんし、現地説明板もなく、遺構も見られません。

市町村指定:ー


説明板等が一切なく史跡の範囲を示すものがありませんでしたので、遺跡地図からおおむねの遺跡範囲を割り
出しました。この写真が遺跡範囲と判断したうちの一部です。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 広木大町古墳群 


名称・形態:広木大町古墳群  【古墳群】
所 在 地:児玉郡美里町広木
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:両子塚古墳(前方後円墳)を主墳とする古墳群。現存8基。
     ※この説明板の背後に小規模な円墳7基があります。
市町村指定:美里町指定史跡 名称:広木・大町古墳群 昭和59年(1984)2月29日指定


7基が集中するところから東方約400mにある両子塚古墳(ふたごづか・二子塚古墳とも)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 横塚山古墳 


名称・形態:横塚山古墳  【前方後円墳】
所 在 地:熊谷市中奈良字横塚 511 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:利根川・荒川の沖積地に築造された前方後円墳。朝顔形埴輪が出土。(市指定史跡)
     ※この横塚山古墳は下野国の国造の任を終えて当地を開拓した奈良別命の墓所だとの伝承が奈良神社
      にあるようす。

市町村指定:熊谷市指定史跡  名称:横塚山古墳 昭和44年(1969)9月11日指定


西方から望む横塚山古墳。東側は国道407号妻沼バイパスの建設に伴い後円部の一部が削り取られています。

埼玉県選定重要遺跡 3⃣

2023年08月05日 | 史跡・遺跡・文化財


城館跡や古墳などの史跡等を訪ねると現地に当該城館跡などのことが書かれた看板があったりします。これらは
「案内板」とか「解説板」とか呼ばれていますが、当ブログにおいてはほとんどで「説明板」という表現を使っ
ています。これは見学には大変役立つものですが、すべての場所に設置されているわけではありません。
今回の『 埼玉県選定重要遺跡』シリーズ?では、説明版の設置されているところは説明版の写真をメインに紹介
する形をとっているところです。
説明板の説明文の冒頭に、「〇〇市指定史跡 指定年月日」等と記される場合がほとんどですが、市町指定と県
選定重要遺跡が重複している場合、両方を併記しているのは極めて稀で、「〇〇市(町)指定史跡」と市(町)
指定を優先してそちらだけを表記しているのが大半です。そのため、県選定重要遺跡でもあるということが知ら
れません。無論、県選定重要遺跡の選定だけの場合は、県選定重要遺跡と記していますが。
ですから、これまでに紹介したものやこれから紹介するであろう説明板にはそうしたものが多いわけです。
なお、写真を縮小している関係で説明文が判読できないものが多々あると思いますが、こうした説明板が設置さ
れているんだという参考にしていただければと思います。
各選定重要遺跡の[概要]は、『埼玉県文化財目録』(埼玉県教育委員会)に記載されたものを引用させていた
だきました。※は管理人の補足コメントです。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 高坂館跡 


名称・形態:高坂館跡  【城館跡】
所 在 地:東松山市高坂 834 ほか
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:高坂台地端部にある崖縁城。現在のような形状となったのは戦国期と考えられる。
      土塁、空堀の一部が残存。
     ※前の訪問時にはなかった説明板が設置されたので、それを確認したく最近再訪してきました。
市町村指定:-


土塁の左側に空堀が残っていますが、この写真では僅かしか写っていませんね。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 三千塚古墳群 


名称・形態:三千塚古墳群  【古墳群】
所 在 地:東松山市大谷
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:雷電山古墳等約 20 基が現存する群集墳。川越カントリーゴルフ場内に所在。(市指定史跡)
     ※雷電山山頂の雷電山古墳を中心に、9の支群に分かれて250基の古墳が分布していたようですが、
      ゴルフ場開発でほとんど消滅でしょうか?

市町村指定:東松山市指定史跡 名称:三千塚古墳群  昭和31年(1956)2月6日指定


三千塚古墳群の主墳とされる雷電山古墳。墳頂に大雷神社が祀られています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 行人塚古墳群 


名称・形態:行人塚古墳群  【古墳群】
所 在 地:比企郡小川町上横田字峰、新屋敷 686 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:古墳群として選定されたが、その後の調査により、10 数基からなる近世塚群である
      ことが明らかとなっている。
     ※「埼玉県指定史跡 方墳 行人塚」と刻まれた石碑がありますが、かつては県指定史跡だった?
市町村指定:小川町指定史跡 名称:行人塚塚群  平成14年(2002)3月13日指定  


説明板と石碑がある塚を中心に撮った写真です。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 青山城跡 


名称・形態:青山城跡  【城館跡】
所 在 地:比企郡小川町下里城山 2787 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:室町時代の築造。土塁、空堀一部残存。
     ※小川町青山と下里の大字境に位置し、青山側では青山城、下里側では割谷城と呼ばれています。
市町村指定:小川町指定史跡 名称:青山(割谷)城跡  平成4年(1992)3月25日指定  


本郭南側の石積みの様子。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 旧平沢寺跡 


名称・形態:旧平沢寺跡  【寺院跡】
所 在 地:比企郡嵐山町平沢字入 977 ほか
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:平沢寺本堂のほか、不動堂、白山社、経塚、井戸、湧水池。
     ※旧平沢寺は浄土庭園を持ち、かつては広大な寺域をもつ「七堂伽藍」の大寺院であったと伝えら
       れる。また、畠山重忠の曾祖父である秩父重綱とも密接な関係を持っていた。.

市町村指定:ー


現在の平沢寺 背後の山の途中に白山神社が鎮座しています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 稲荷塚古墳群 


名称・形態:稲荷塚古墳群  【古墳群】
所 在 地:比企郡川島町下小見野
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:荒川右岸自然堤防上の古墳群。緑泥片岩製の箱式石棺が出土。
     ※古墳群と言えど源蔵はほとんど消滅し,僅かに残る程度。
市町村指定:ー

探すのにだいぶ苦労しました。見ての通り古墳群とは見えない状況で、標柱があったので何とか見
つけましたが・・・

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 和名埴輪窯跡群 


名称・形態:和名埴輪窯跡群  【生産遺跡】
所 在 地:比企郡吉見町和名字神明前1016ほか
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:和名沼に面する台地の南斜面、多数埋没。昭和 49 年に一部発掘調査。
     ※訪問時は草に覆われていましたが、窯跡の位置が杭で表示されていたものの視認が難しかった。
市町村指定:ー


窯跡群の斜面上から見た模様。道路を挟んだ先に和名沼。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 山田城跡 


名称・形態:山田城跡  【城館跡】
所 在 地:比企郡滑川町山田字城山1924 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:戦国時代の築造。居住者不明。土塁・空堀等の保存状態は良好。
     ※国営武蔵森林公園の中にあり、よく整備されています。但し、森林公園に入るのに入園料がかかりますが。
市町村指定:ー


周囲を土塁、空堀が巡る単曲輪。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 月輪古墳群 


名称・形態:月輪古墳群  【古墳群】
所 在 地:比企郡嵐山町川島字屋田 2153ほか、比企郡滑川町月輪字西新井前 733 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:昭和 26年の調査では44 基確認。現存27基平成8年からの調査で、54 基が消滅、現存10基。
     ※余談ですが大字と付くのが「月輪」、区画整理して〇丁目と付く所は「月の輪」に変更。
市町村指定:ー


この「こふん公園」には2基の古墳が保存されています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 羽尾城跡 


名称・形態:羽尾城跡  【城館跡】
所 在 地:比企郡滑川町羽尾字金光寺 5344ほか
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:松山城家人山崎若狭守居城と伝える。天正 18 年落城。
     ※城は滑川町の南端の市野川に面する台地上に築かてれ、3つの郭を中心に造られている。
市町村指定:ー

空堀跡と思われる場所。

埼玉県選定重要遺跡 2⃣

2023年08月03日 | 史跡・遺跡・文化財

的確な表現ができませんが、国指定史跡、県指定史跡・旧跡、市町村指定史跡は縦の関係にあり、同じ線上にあ
ります、仮に市町村指定史跡が県指定史跡に格上げになった場合、史跡という同じ文化財種別ですから、市指定
は県指定に吸収されて消滅しますので、県指定史跡と市町村指定史跡の重複指定はありません(県指定から国指
定への場合も同様)
しかし、埼玉県選定重要遺跡と史跡では文化財種別が異なりますので、選定と指定が重複するものがあります。
大体が市町村指定史跡との重複ですが、面白いことに各市町村のHPで文化財一覧を見てみますと、重複するもの
は市町村指定史跡として掲載し、埼玉県選定重要遺跡に選定されていることは触れていない。また、重複してい
るわけでもないのに、埼玉県選定重要遺跡については文化財一覧表に掲載していないというのも見受けられます。
無論、埼玉県選定重要遺跡として誇りをもって堂々と掲載しているところも多くありますが・・・
各選定重要遺跡の[概要]は、『埼玉県文化財目録』(埼玉県教育委員会)に記載されたものを引用させていた
だきました。※は管理人の補足コメントです。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 勝呂廃寺 


名称・形態:勝呂廃寺  【寺院跡】
所 在 地:坂戸市石井字石井 354 ほか
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:飛鳥時代創建の寺院跡。礎石、古瓦、瓦塔片、相輪等が出土している。
     ※埼玉県における最古のひとつ。柱の穴跡に擬木を立てて建物の一部を再現。   
市町村指定:ー


擬木を立てて建物の一部の形を再現しています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡  斎藤氏館跡 


名称・形態:斎藤氏館跡  【城館跡】
所 在 地:入間郡毛呂山町平山 1-45-14ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:室町時代。斎藤美濃守富長とその子孫の居館と伝える。
     ※屋敷の周囲に土塁が残っています。    
市町村指定:ー


西側の土塁を北方から 写真の右側は空堀跡か? この土塁の北西隅が一番高く残っています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡  毛呂氏館跡 


名称・形態:毛呂氏館跡  【城館跡】
所 在 地:入間郡毛呂山町小田谷 698
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:毛呂氏が創建した長栄寺の裏山に残る中世城館跡。「コ」の字状の土塁・空堀・平場
      が現存。
     ※毛呂氏は藤原鎌足の後裔が毛呂郷に移住して毛呂氏を称したのが始まりとされ、毛呂
       季光を祖として15代が、この毛呂氏館に居住したといわれています.
   
市町村指定:ー


削平された平場 曲輪跡でしょう。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 竜ヶ谷城跡  


名称・形態:竜ヶ谷城跡  【城館跡】
所 在 地:入間郡毛呂山町阿諏訪 1561-2ほか
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:室町時代の築造か。空堀一部残存。
     ※竜ヶ谷城跡はゴルフ場の中にあります  
市町村指定:ー


本郭と伝わる平場。右奥に雷電神社・稲荷神社が鎮座しています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 大寺廃寺跡 


名称・形態:大寺廃寺跡  【寺院跡】
所 在 地:日高市山根下大寺 1312
      入間郡毛呂山町葛貫 1125-1 ほか
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:奈良から平安時代。布目瓦、須恵器片散布。建物跡を日高市分で3棟、
      毛呂山町分で1棟確認。(一部市指定史跡)
     ※今でこそ大寺廃寺跡は日高市と毛呂山町にまたがっている形になっていますが、元は同じ山根村
       葛貫でした。昭和14年(1939)4月1日、山根村は毛呂村(毛呂山町)に編入しましたが、大字葛貫
      のうちの一部が高麗川村(現在の日高市)に編入し、大字山根となったものです。ひらたく言えば
      大寺廃寺跡のある場所が日高市と毛呂山町に分かれてしまったということになります。
    
市町村指定:日高市指定史跡  名称:大寺廃寺跡  平成2年〔1990〕3月10日指定
      所在地:埼玉県日高市山根字大寺1316  (日高市分のみ指定)


ここに写っている礎石は、日高分の内の1棟 東西3間、南北3間の建物跡の礎石

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 五領遺跡  


名称・形態:五領遺跡  【集落跡】
所 在 地:東松山市若松町2丁目ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:弥生時代末期から古墳時代前期の集落跡。古墳時代前期の「五領式土器」の標式遺跡。
      (市指定史跡)
     ※まだ生徒と呼ばれる年代のころ、東松山市で遺跡の発掘をしているから見に行こうと同級生数人
       と電車に乗って東松山市まで行き、歩いて発掘現場に行った思い出があります(私事ですみません)
   
市町村指定:東松山市指定史跡 名称:五領遺跡  昭和36年〔1961〕3月8日指定


道路のあたりが東松山台地の付け根部分にあたり、この上の台地が五領遺跡ですが、今はすっかり
住宅地に変わっています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 比丘尼山横穴群 


名称・形態:比丘尼山横穴群  【横穴群】
所 在 地:東松山市大谷字花木265ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:比丘尼山の南斜面に現在3基開口。他にも多数埋没。(市指定史跡)
     ※比丘尼山は、源頼朝の乳母で流人時代の頼朝を援助し続けたという比企尼が、夫比企
       掃部允の没後に草庵を営んだという伝承のある場所。

市町村指定:東松山市指定史跡  名称:比丘尼山と横穴墓群  昭和32年〔1957〕11月29日指定


比丘尼山遠景


開口している横穴募

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 旧正法寺跡  


名称・形態:旧正法寺跡   【寺院跡】
所 在 地:東松山市岩殿字藤井
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要: 現在、正法寺と観音堂の他、正存院・正覚院・熊野神社等がある区域。
     ※かつては賑わっていた門前町(参道)。各戸に屋号を書いた木札が吊るされています。
       正面が正法寺の山門(仁王門)   

市町村指定:ー


左上:参道入り口前に建てられている門前町並の案内板
右上:正学院学院   左下:正存院  右下:熊野神社

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 小代氏館跡  


名称・形態:小代氏館跡  【城館跡】
所 在 地:東松山市正代字中形
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:高坂台地東端に位置する方形館。土塁、堀の一部が残存。
     ※小代氏館跡には青蓮寺が建っています。小代氏は、武蔵七党の児玉党の入西資行の次男遠弘が、
       小代郷に住して小代を名乗ったことに始まります。    

市町村指定:ー


小代氏館跡(青蓮寺)の南隣にある御霊神社。この辺りまでが小代氏館跡と言われます。
源義朝の長子悪源太源義平は、久寿2年(1155)叔父の帯刀先生源義賢(駒王丸・木曽義仲の父)を
大蔵館(嵐山町)に攻め滅ぼした時に、この地に居館を構えて居住していた。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 野本氏館跡  


名称・形態:野本氏館跡   【城館跡】
所 在 地:東松山市下野本662ほか(無量寿寺)
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:鎌倉時代の野本氏の居館と伝えられるが 不明。 土 塁、 空堀の一 部残存。(市指定史跡)
     ※館跡は、現在、無量寿寺の境内地となっています。  
市町村指定:東松山市指定史跡  名称:野本館跡  昭和49年(1974)7月10日指定


本堂北側にわずかに残る土塁

埼玉県選定重要遺跡 1⃣

2023年08月01日 | 史跡・遺跡・文化財


折を見ては史跡、城館跡、古墳、神社仏閣等を訪ね、その状況を当ブログに掲載していますが、そうして訪ね歩
いた中から、埼玉県内の国指定史跡・埼玉県指定史跡・旧跡を一覧表の形で最近投稿してきました。
今回は、『埼玉県選定重要遺跡』を数回に分けて今まで同様に一覧表形式で紹介したいと思います。
『埼玉県選定重要遺跡』とは、埼玉県の教育委員会が、歴史上または学術上の価値が高いものとして選定した埼
玉県内の遺跡(周知の埋蔵文化財包蔵地)です。昭和44年(1969))10月1日と昭和51年(1976)10月1日の2回
の選定により、計161遺跡が重要遺跡として選定されています。
対象となるものは考古学における遺跡(集落跡・貝塚・古墳・城跡など)で、文化財としての種別は、文化財保
護法および埼玉県文化財保護条例に定める埋蔵文化財(土地に埋蔵された文化財)にあたります。
その中で埼玉県教育委員会が特に重要と評価したものを選定し「重要遺跡」として呼称・把握した埼玉県独自の
保護制度です。
そのため、国・県・各市町村が指定(あるいは登録・選定・選択・認定)した他種別の文化財(記念物の史跡・
旧跡など)と重複して選定されているものも相当数存在します。

   《参考資料》『埼玉県文化財目録』(埼玉県教育委員会)・『ウィキペディア(Wikipedia)埼玉県選定重要遺跡』
それらは先に市指定史跡になっていたものが「埼玉県選定重要遺跡」に選定されたもの、また逆に「埼玉県選定
重要遺跡」に選定された後に市指定史跡となったものなど様々です。
自身が訪問したことのある県選定重要遺跡は161件中の約3分の1で、県選定重要遺跡ということで訪問したもの
や、市指定史跡ということで訪ねてみたところ県選定重要遺跡と重複していたなどと訪問の状態は様々ですし、
すべてを見ることはほとんどなく一部だけを見て帰ることの方が多いようです。古墳群は特に広範囲ですから。
訪問した遺跡の全部を紹介できれば良いのですが、紹介のしようがないようなところもあり、できる範囲で紹介
させていただきます。遺跡名称で県選定と市指定では若干異なる場合もあります。入力ミスではありませんから。
各選定重要遺跡の[概要]は、『埼玉県文化財目録』(埼玉県教育委員会)に記載されたものを引用させていた
だきました。※は管理人の補足コメントです。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 岡の城山 


名称・形態:岡の城山  【城館跡】
所 在 地:朝霞市岡 3-386 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:時代の築造。平山城。土塁・空堀がよく現存。
     ※城山公園として整備されている。別名:岡城
市町村指定:-


物見櫓跡

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡三嶋神社古墳 


名称・形態:三嶋神社古墳  【前方後円墳】
所 在 地:鴻巣市明用 123 ほか (旧・吹上町)
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:荒川の自然堤防上に築かれた前方後円墳。(市指定史跡)
     ※墳丘は社殿により大きく削られている。石室の石材が境内に残されている。
市町村指定:鴻巣市指定史跡 名称:三島神社古墳  昭和34年(1959)1月16日指定


元の形を残していないが石祠のあるところが後円部とみられます。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 原山古墳群 


名称・形態:原山古墳群  【古墳群】
所 在 地:桶川市川田谷 7312 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:荒川左岸の台地上に立地。円墳 9 基残存。(市指定史跡)
     ※皿を伏せたような高さのない墳丘で草の繁茂する時季は確認できない。
市町村指定:桶川市指定史跡  名称:原山古墳群 昭和46年(1971)4月26日指定 


右側の台地が原山古墳群。訪問時はこの通り草木が繁茂していて、墳丘の場所を示す「1号墳」、
「2号墳」・・といった標柱さえも全部は探せなかった。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 三ツ木城跡 


名称・形態:三ツ木城跡  【城館跡】
所 在 地:桶川市川田谷字城山 2572 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:室町から戦国時代の築造。三角形の囲郭。
     ※城山公園となっいて公園はよく整備されていますが城跡はは未整備
市町村指定:-


藪をかき分けて何とか撮った空堀跡

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 石戸城跡 


名称・形態:石戸城跡  【城館跡】
所 在 地:北本市石戸宿 6-2 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:室町時代の築造。本郭を中心として土塁・空堀残存。
     ※北条軍が一夜にして築いたとの伝承がある一夜堤(土橋)がある。別名:天神山城
市町村指定:-


三の郭跡

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 八重塚古墳群 


名称・形態:八重塚古墳群  【古墳群】
所 在 地:北本市荒井 6-102
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:荒川下流左岸の群集墳。現存は4基のうち2号墳のみ。3号墳からは、大型の須恵器
      甕出土。
     ※現在は、北里メディカルセンター病院前の看護学校の前庭に2号墳の1基が遺るのみですが、北里
       研究所の御厚意により綺麗に現状保存されています。

市町村指定:-


2号墳

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 滝之城横穴群 


名称・形態:滝之城横穴群  【横穴群】
所 在 地:所沢市大字城 535 番地
選定年月日:昭和51年(1976)10月1日  
概   要:柳瀬川に面する台地南斜面に所在。1基調査。隣接斜面にも多数存在と推定される。
     ※
市町村指定:所沢市指定史跡  名称:滝之城横穴墓群 昭和51年(1976)年4月1日指定
※写真の説明板では「滝の城横穴墓群」と表記されていますが、市指定での正式史跡名称は「滝之
城横穴墓群」です。
なお、城跡自体は、「滝の城跡」の名称で県の指定史跡となっています。


埋め戻されてから年数もだいぶ経過しており、見ただけでは特定できませんが、石段を上った右
側の斜面あたりに横穴群があるようです。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 城山砦跡 


名称・形態:城山砦跡  【城館跡】
所 在 地:狭山市柏原 2346-2 ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:上杉氏が北条氏康の侵攻に備えて築造したとされる砦。土塁・空堀残存。(市指定史跡)
     ※別名:柏原城跡・上杉城・上杉砦     
市町村指定:狭山市指定史跡  名称:城山砦跡 昭和48年〔1973〕3月1日指定


本郭跡

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 金子窯跡群 


名称・形態:金子窯跡群  【生産遺跡】】
所 在 地:入間市仏子、新久、小谷田ほか
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:加治丘陵の広町・新久・谷久保・前内出等に分布する瓦・須恵器の窯跡群。
    ※金子窯跡群を構成する窯跡を個別に市指定史跡としている     
上掲写真は、金子窯跡群にする窯跡の一つで、
市町村指定:入間市指定史跡 名称:新久窯跡 昭和53年〔1978〕12月21日指定
      所在地:埼玉県入間市新久870-6  入間台遺跡公園(窯跡公園)


金子窯跡群に属する窯跡の一つの『八津池窯跡』所在地:埼玉県入間市小田谷1518 八津池公園
市の指定はないようです。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県選定重要遺跡 田波目城跡  


名称・形態:田波目城跡  【城館跡】
所 在 地:坂戸市多和目字城山
選定年月日:昭和44年(1969)10月1日  
概   要:城主・築造年代ともに不明であるが、土塁・堀が残存する。
     ※別名:多和目城跡。坂戸市内においては最高位を示す標高113mの丘陵上に築かれた中世の城跡。         
市町村指定:ー


高麗川の対岸から望む田波目(多和目)城跡

埼玉県指定旧跡について 3⃣

2023年07月19日 | 史跡・遺跡・文化財


埼玉県指定旧跡は80件あり、うち39件については訪問済ですが、未訪問の41件は次の通りです。
名称と所在地市町名のみを記載しておきます。


・小谷場貝塚(川口市)・赤山城跡(川口市)・見性院の墓(さいたま市緑区)・権田直助生地(毛呂山町)
・岡登景能生地(本庄市)・栗橋関跡(久喜市)・小島庄右衛門の墓(春日部市)・阿久原牧跡(神川町)
・川俣関所跡(羽生市)・秩父道志るべ(熊谷市)・三峰施宿供養塔(秩父市)・小谷三志居宅(鳩ヶ谷市)
・吉田市右衛門墓(熊谷市)・秩父絹発祥地 城谷沢の井(横瀬町)・根岸友山墓(熊谷市)
・奥貫友山墓(川越市)・斎藤義彦墓(小鹿野町)・福島東雄墓(鴻巣市)・神道無念流戸賀崎氏練武遺跡(久喜市)
・万葉遺跡 占肩の鹿貝塚(川越市)・万葉遺跡 葛飾早稲産地(三郷市)・田代三喜生地(越生町)
・渋江鋳金遺跡(さいたま市岩槻区)・森玄黄斎墓(小鹿野町)・中島孝昌墓(川越市)・高山繁文墓(川越市)
・梵語学者盛典墓(桶川市)・元杢綱夫妻の墓(嵐山町)・寿能城跡(さいたま市大宮区)
・三富開拓地割遺跡(所沢市・三芳町)・普寛行者生地(秩父市)・旧利根川堰堤跡(加須市)・井上如常墓(秩父市)
・飯倉御厨跡(本庄市)・影森用水(秩父市)・平田篤胤仮寓跡(越谷市)・川俣締切跡(羽生市)
・安行苗木開発の祖吉田権之丞の墓(川口市)・忍領石標(熊谷市)・日下部博貞墓(寄居町)・江ヶ崎城跡(蓮田市)

なお、これら80件の指定旧跡の中で最も多かったのが、墓・供養塔類で約25件 次が城館陣屋跡で約14件 万葉
遺跡が約7件と続きます。
約としたのはそれぞれ微妙なところがあり、とりあえずはここに分類しておこうとしたためです。他についても
形態が多岐にわたり複雑なため分類が難しいので敢えて数は載せないでおきます。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 金窪館跡   



所在地:児玉郡上里町金久保1626-4ほか
指定日:昭和10年(1935)3月31日  指定替:昭和37年(1962)10月1日
概 要:治承年間築城と伝える。新田義貞の臣、畑時能等の居館。
   ※石碑の建つところに残る土塁くらいしか遺構はありません。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 山口城跡   



所在地:所沢市山口1517ほか
指定日:昭和17年(1942)3月31日  指定替:昭和37年(1962)10月1日
概 要:武蔵七党の一つである村山党の一支族、山口氏の居館跡。
   ※山口氏は、平高望を祖とする桓武平氏の流れを汲み、平良文の後裔です。平成12年(2000)になり商
     業地として開発されることとなり、当初は遺構を取り壊して完全に整地される計画でしたが、遺構の保
     存を求める運動が起こされ、商業地として開発される敷地のうち一部が整備されて保存されることにな
     りました。現在は城跡であった部分の殆どは整地されて商業施設となっており、保存運動によって残存
     した土塁や空堀のごく一部分が保存されているにすぎません。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 中山家範館跡   



所在地:飯能市中山496-2ほか
指定日:大正13年(1938)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:天正の頃、中山勘解由左衛門家範の居館跡。
   ※戦後までは北堀及び西堀の一部が残されていたようですが、宅地化が進んだ現在は写真のように空堀が
     北西部隅に僅かに残されるのみです。傍らに説明版と石碑が建っていますが、石碑には「中山家範館跡
     大正十三年三月三十一日 埼玉県指定史跡」と刻まれています。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 黒川丹波守正直墓   1基 



所在地:坂戸市石井2332 大智寺
指定日:昭和5年(1930)3月日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:五輪塔、高さ約3m。県内に領地を持ち、長崎奉行・大目付を歴任した旗本黒川正直(延
    宝8年5月没)の墓。
   ※大智寺の墓地内にあります。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 加賀爪氏累代墓   6基 



所在地:東松山市高坂834 高済寺
指定日:大正13年(1924)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:宝篋印塔。加賀爪政尚、同夫人、その子直澄等の墓。
   ※高坂館跡である高済寺の本堂の左手の土塁上に加賀爪氏累代の墓があります。高済寺は埼玉県選定重要
     遺跡に選定されていますが、山門前に「埼玉県指定旧跡加賀爪氏累代墓」の標柱が建っていることから
     混同して、「高坂館跡」を埼玉県指定旧跡と勘違いしている方が見受けられます。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 畑時能供養祠   1基 



所在地:児玉郡上里町金久保701 陽雲寺
指定日:昭和5年(1930)3月27日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:供養塔。時能は秩父出身の武将。新田義貞軍に従ってしばしば軍功があった。延元4年戦死。
   ※陽雲寺(金窪南城)の参道脇に建立されています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  猪俣小平六墓   1基



所在地:児玉郡美里町猪俣1575 高台院
指定日:大正13年(1924)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:五輪塔。小平六は、猪俣党、猪俣時範四代の子孫。建久3年没。
   ※墓は一族と共に高台院の一隅にあります。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  荘小太郎頼家供養塔   1基



所在地:本庄市栗崎155 宥勝寺
指定日:大正14年(1925)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:五輪塔。荘小太郎は、武蔵七党の児玉党から出た荘太郎家長の子で、一の谷合戦で戦死。
   ※荘小太郎頼家供養塔は宥勝寺本堂西北の墓地内にあります。元は「荘小太郎頼家の墓」としていたよ
     うですが、平成8年(1996)3月27日に「荘小太郎頼家供養塔 」に名称変更されたものと考えます。
     墓と呼ぶには無理があったのかもしれませんね


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  榛沢六郎供養塔   1基



所在地:深谷市後榛沢437
指定日:大正14年(1925)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:榛沢六郎供養塔 元久2年、二俣川で戦死。供養塔は享保7年建立。銘「奉建立石塔為成
    清菩提也」
   ※榛沢六郎の母は武蔵武士の鑑と言われた畠山重忠の乳母であり、成清と重忠とは乳兄弟になります。
     成清は重忠に従い重臣として重忠を守り、二俣川で重忠ととにも討ち死にしています。
     榛沢六郎供養塔と言われるものは、鳥居の間に見える社(覆屋)の中に祀られている自然石(かろう
     じて成清の文字が読める)と私は理解しているのですが、この社(覆屋)の横にある五輪塔を 榛沢六
     郎供養塔として紹介しているサイトが複数ありますがどちらが正しいのでしょうか?


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  忍城跡  



所在地:行田市本丸634-1
指定日:昭和16年(1941)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:15 世紀後半、成田顕泰の築城と伝える。廃藩置県と同時に廃城。土塁の一部が残存。
   ※豊臣方石田三成の水攻めでも有名な忍城跡は関東七名城にも数えられ、続日本100名城にも選定された
     城跡で、城址公園としては立派なものです。しかし、再建された御三階櫓(市立博物館)は模擬櫓で
     あり、建っている位置も本来の場所とは異なり、鐘楼においてもしかりで、文化財的価値としてみると
     評価が低くななってしまうかなと、あくまでも私見ですが。
     なお、近年では平成29年(2017)4月28日に、「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」が『
     日本遺産』に認定されましたがこの構成資産の一つに忍城跡が含まれています。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  上杉憲英墓   1基



所在地:深谷市国済寺521 国済寺
指定日:昭和10年(1935)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:宝篋印塔、高さ1.7m。応永11年銘。憲英は庁鼻和城に住す、庁鼻和上杉氏の祖。応永 11年没。
   ※中央の覆屋にあるのが上杉憲英の墓。手前には、深谷上杉氏一族の墓が並んでいます。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  板石塔婆石材採掘遺跡墓   



所在地:秩父郡長瀞町上下郷1082
指定日:昭和22年(1947)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:主として板石塔婆の材料として用いられた緑泥石片岩、雲母岩等の原産地。
   ※関東地方の板碑は、そのほとんどがここの石材が使われたとされて来ましたが、小川町の「下里・青山
     板碑製作遺跡」(国指定史跡)が表面化したことで、この説は見直しされ始めています(私見)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  渋沢栄一生地   



所在地:深谷市血洗島247-2
指定日:昭和26年(1951)3月31日  指定替:昭和58年(1983)3月22日
概 要:わが国財界の偉人、渋沢栄一(天保 11 ~昭和6年)の生地。
   ※旧渋沢邸「中の家(なかんち)」。現在の主屋は、渋沢栄一の妹夫妻が明治28年上棟した建物で、栄一
     が帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所です。


なお、これら旧跡の写真は古い写真(13年前~2年前のもの)を使っていますので、中には現況と
は違うものがあるかもしれません。
                                      〈了〉