四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

シンポジウム「埼玉古墳群 史跡から特別史跡へ」資料集

2020年03月30日 | 講演会・講座


埼玉古墳群は令和2年3月10日付け文部科学省告示第16号において、特別史跡として正式に指定
されました。
本指定は、令和初の特別史跡指定であり、埼玉県において初めての特別史跡となります。
特別史跡指定を記念した式典・シンポジウム「埼玉古墳群 史跡から特別史跡へ」が3月21日(土)
に行田市内で予定されていましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、残念ながら中
止となってしまいました。
私もこのシンポジウムに参加(聴講)予定でありましたが、3月28日(土)に、埼玉県立さきた
ま史跡の博物館より、当日配布予定であった資料集が完成したからとお送りいただきました。

講演予定であった
 『古代史研究と埼玉古墳群』   
      東京大学名誉教授・人間文化研究機構理事 佐藤 信 氏
 『国指定史跡から特別史跡へ』 
      大阪府立弥生文化博物館長 禰宜田 佳男 氏
 『埼玉村古墳群から埼玉古墳群へ』 
      埼玉県立さきたま史跡の博物館主席学芸主幹 関 義則 氏 

の解説文を初めとし、カラー写真を多用した30ページに及ぶ大変立派な資料集です。

深谷グリーンパークのチューリップ

2020年03月28日 | 花・鳥・風景


深谷市の『深谷グリーンパーク』のチューリップがほぼ咲き揃い、サクラも満開を迎えたとのこと
から、今期も訪ねてみました。
プールのある屋内施設・アクアパラダイス パティオ(通称パティオ)は、新型コロナウイルスの影
響で閉館になっていますが、チューリップとサクラ目当ての方たちが訪れていました。
ただ、平日であることと新型コロナの件もあり例年よりはだいぶ少なく、駐車場も余裕がありまし
た。








 ♪ さいた さいた チューリップの 花が
        ならんだ ならんだ  赤 白 黄色
          どの花みても  きれいだな  ♪








散策日:令和2年(2020)3月26日(木)

熊谷桜堤

2020年03月26日 | 花・鳥・風景


熊谷市の荒川堤の桜が満開を迎えました。

ここには何度か訪れたことがありますが、桜目的で訪れたのは初めてでした。
短時間とは言え、外出自粛が要請されている中での桜見学は不謹慎だったかもしれません(反省)




「熊谷桜堤」の石碑




さくら名所100選の地 熊谷桜堤   の銘板


















散策日:令和2年(2020)3月26日(木)

若雷神社古墳(埼玉県本庄市)

2020年03月25日 | 古墳


名 称:若雷神社古墳(わかいかずちじんじゃこふん)
別 名:-
墳 形:円墳 
規 模:直径20m、高さ3m 横穴石室?(未調査)
築 造:6世紀後半
指 定:―
所在地:埼玉県本庄市東五十子10(旧本庄市)

本庄市東五十子にある若雷神社古墳を訪ねてみました。




【若雷神社 御由緒】
冒頭で五十子陣に触れています。また、別当であった「増国寺」は、この前の道路を挟んだ反対側
(東側)にあります。

関東管領である上杉房顕が、古河公方である足利成氏との対決に際し、当地に陣を構え、長禄元年
(1457)頃に築いたものが五十子陣ですが、
ここ若雷神社古墳も陣の中に組み込まれていたのかどうか興味ある所です。




東側から『若雷神社古墳』を




削平された墳頂部に鎮座する『若雷神社』




扁額『若雷神社』




石段を登り切った所に大きな石材が・・・石室に使われた石材?




北側から




南方の道路から若雷神社を

散策日:令和元年(2019)12月6日(金)

西光寺のカタクリ

2020年03月23日 | 花・鳥・風景


山一面に咲く西光寺(埼玉県小川町小川)のカタクリです。
この付近にはここ以外でもカタクリの群生が見られます。




石造物があちこちに放置状態でありますが、もしかしたら昔むかしの墓地の跡。
それとも、ここに集めたのでしょうか?












散策日:令和2年(2020)3月20日(金)

西光寺の枝垂桜

2020年03月21日 | 花・鳥・風景


前日は、頭に「東」に付くお寺さんの枝垂桜を観に行ってきましたので、翌日は「西」が付く
西光寺(埼玉県小川町小川)の枝垂桜を観に行ってきました。
東昌寺と同じ曹洞宗のお寺さんで、山号は瑞龍山。

数年前に幹を半分程切ってしまったため以前ほどではありませんが、それでも十分に楽しめます。












本堂入り口にある提灯には「五三桐紋」が入っていました。曹洞宗の宗紋(總持寺の寺紋)は、鐘
楼門の幔幕にあるよう「五七桐紋」が正しいはずですが、五七では格式が高すぎて遠慮して敢えて
五三にしたなんてことはないですよね・・・余談と冗談です。






この西光寺は枝垂れ桜の他にも「カタクリの花」も有名で、本堂の左手の山に咲いています。

東昌寺・西光寺と方位を示す文字の付いたお寺さんの枝垂桜を見て歩きましたが、寺号に「東」、
「西」の文字が使われているところは多く、西光寺(院)は宗派を問わず相当な数です。「南」の
入った寺号もありますが、なぜか調べた範囲では「北」が入った名のお寺さんは見当たりませんで
した。
何故、お寺の名に「北」の文字を使わないのでしょう? 「北枕」に関係あるのかもしれません。
また、「北」は負け(敗北)を表す文字でもありますから、それを避けて?
ただ山号までは調べていませんが、山号については場所(地名)を使うことが多いのでもしかした
ら、北の付いた山号があるかもしれません。(理由を知る人がいたらこっそり教えてください)
なお、「北」の付くお寺さんは見つかりませんでしたが、川越市に「喜多院」というのがあります。
この「喜多院」元は「北院」という名称でした。
北院・中院・南院(廃寺)と並んでいたものですが、中院については、移転して現在の場所に。
「北」の付くお寺は見当たらないと書きましたが、これは唯一の例外かもしれません。

※ 更に北海道や東北について調べてみましたところ、北の付く寺院がありました。しかし、これ
は北三条支院、北九条支院、東北別院などといった地名を冠したもので、北寺や北寺などとい
ったものではありませんから、寺号に「北」を入れたのとはちょっと違うようです。

散策日:令和2年(2020)3月20日(金)

氏邦桜

2020年03月19日 | 花・鳥・風景


今季もまた、日本100名城のひとつ「鉢形城」跡(埼玉県寄居町)の『氏邦桜』(エドヒガン)を
観に行ってきました。




例年なら、緋毛氈が敷かれた縁台が用意され、さくら茶のおもてなしがされていますが、今年は、
新型コロナウイルスの影響で中止になったようです。
それでも、『氏邦桜』の見学者が次から次へと訪れていました。




愛称である氏邦桜の氏邦とは、鉢形城の城主であった北条氏邦のことで、無論、氏邦がこの鉢形領
を支配していたころにはこのエドヒガンはここにはありませんでしたが。






土塁にはカタクリが咲き始めていましたが、ちょっと早かったせいか、まだ、一面にとまではいき
ませんでしたが。
カタクリは、ここ鉢形城のある寄居町の「町の花」でもあります。






散策日:令和2年(2020)3月19日(木)

花は根に鳥は古巣に

2020年03月18日 | 花・鳥・風景




花桃






ラッパ水仙






ジョウビタキ






木蓮






ヒガン桜とメジロ







シジュウカラ






木瓜

ここ1週間ほどの散歩道で出会った花と鳥たちです。
昨日、同じ散歩道を歩いたところ、既に、木蓮は枯れ始めていましたし、ヒガン桜は葉桜に変りつ
つありました。
これらの花は昨年も見ました。また来年の同じ時季に見ることが出来るでしょう。木は年輪を一つ
増やしているでしょうが・・・

  『花は根に鳥は古巣に帰るとも 人は若きに帰ることなし』
二十代初めのころ、ある場所である老人から1枚の紙片を渡されました。そこに書かれていたのが
この歌でした。(この経緯については長くなるので述べませんが)
その後しばらくして、【千載和歌集】に「崇徳院」の歌で、
  『花は根に鳥は古巣に帰るなり 春のとまりを知る人ぞなき』
というのがあることを知りました。
この歌(ことわざ)を、理解できたのかと聞かれれば、今でも半分だけとしか答えられません・・・

鵜森浅間神社古墳(埼玉県本庄市)

2020年03月16日 | 古墳


名 称:鵜森浅間神社古墳(うのもりせんげんじんじゃこふん)
別 名:-
墳 形:円墳 
規 模:直径約15m、高さ約4m 
築 造:6世紀後半
指 定:―
所在地:埼玉県本庄市鵜森248(旧本庄市)

本庄市鵜森にある鵜森浅間神社古墳を訪ねてみました。
五十子城砦の要害の砦の地とも。また、古墳ではないとの説も。




東方から鵜森浅間神社の杜を 畑の中にポツンとありますので目立ちます




鵜森浅間神社鳥居  この石鳥居の神額には「富士山」とあります
正式な社名は「浅間神社」ですが、地名を冠して鵜森浅間神社と呼んでいるようです。




鵜森浅間神社境内  社殿は南東を向いて土盛りの上に鎮座




【浅間神社 御由緒】
高さ10メートルほどの土盛りの上に本殿があるため・・・とあり古墳の「こ」の字もありません。
やはり古墳ではないという説は正しいのか?




社殿  社殿の左側には、八坂神社、天手長男社の石祠と大黒天の石碑
    社殿右下には、天照皇大神宮、天神社の祠等があります




社殿前から境内を見下ろしてみました




社殿裏側(北西側)




【水神精霊御池】
水はなく、枝下ろしした枝で埋まっています。更に、この社殿裏側一帯に枝下ろしした枝や刈られ
た篠がありました。刈られた篠の切り株が靴の底を刺して歩くのも大変。




【浅間大神】石碑




北西から




北方の道路から

古墳かどうかはともかく、この場所が陣(城)の一部であったとすれば、五十子の戦いでは、この
古墳(土盛り)物見台としての役割を十分に担えていたでしょう。

散策日:令和元年(2019)12月6日(金)・9日(月)