四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

足利氏館-鑁阿寺-(栃木県足利氏)

2012年11月25日 | 日本100名城


足利氏館

館をつくった足利氏は鎌倉幕府の有力御家人で、尊氏のときに室町幕府を開いた。足利氏館の創築者には諸説あるが、足利氏2代目義兼説が有力である。
水堀と土塁に囲まれた方形の館跡は、鎌倉時代の地方武士の館の姿を今に伝える貴重な遺構である。建久7年(1196)、義兼が館内に持仏堂をつくった。
これが鑁阿寺(ばんなじ)という足利氏一門の氏寺となり、現在にいたっている。    (「日本100名城公式ガイドブック 15足利氏館」より引用 ) 




縄張図・・・「大日苑散策マップ」より     

「日本100名城」のひとつに選定されているこの足利氏館跡(鑁阿寺・ばんなじ・国指定史跡)を訪れたのは、2年半前(2010年3月)に続き今回が2度目でした。
今はかつての居館の姿はなく、寺院関連の建物ばかりでありますが、上記解説にもあるように水堀と土塁に囲まれた方形の館跡は、たしかに素晴らしい遺構です。 






太鼓橋(反橋)山門




水堀と太鼓橋  




西門




北門




東門 




本堂  




鐘楼 




不動堂




経堂




足利氏宅跡の看板 




大銀杏




多宝塔   
  
大銀杏をはじめ境内の樹木が見事に色づいていました。そんな大銀杏や楓にレンズを向けている人が多かったです。




足利尊氏公銅像

山門前の石畳通りの一角に建立されている室町幕府初征夷大将軍足利尊氏公の銅像
足利尊氏は、義兼から数えて8代目で、足利氏のふるさとであるこの足利市に居を構えたことはないようですが鑁阿寺にはいろいろと
寄進されていたもようです。、足利氏一門といえば尊氏がその代表的な存在ですから銅像が建てられても何の不思議もありませんが・・・ 

訪館日:2012年(平成24年)11月24日(土)            

フラワーファンタジー2012-13

2012年11月24日 | まち歩き


足利市の「あしかがフラワーパーク」において、イルミネーション『フラワーファンタジー2012-13』を開催中とのことでしたので、今夕、観に行ってきました。
フラワーパーク敷地いっぱいに設けられた数々のイルミネーション。帰ってくるのが勿体ないくらいの見事さでした。
冒頭の写真は、藤をイメージした藤色のイルミネーションの大藤の藤棚です。 






光のピラミッド・・・池に写ってとても綺麗です 




日本の四季「こころの故郷」・・・四季折々の風景に変わります  






スノーワールド・・・山際に設けられています
  



レインボーマジック・・・雨になったり、雷さんが登場したりと変化します  






23mのイルミネーションタワー




やはり池に写っています 
  



これもイルミネーションタワー




そして中から上を覗くとこんな風に 












これらの他にもたくさんの風景(イルミネーション)を楽しめました

散策日:2012年(平成24年)11月24日(土)            

長町武家屋敷跡(石川県金沢市)

2012年11月22日 | 100名城以外の城館跡


金沢城攻城、兼六園散策に続く金沢紀行の最終章は、『長町武家屋敷跡』の散策
長町はかつては、平士と呼ばれる加賀藩では中位の藩士(中級武士)の居住地。土塀や石畳が、往時を想像させてくれます。










両側に土塀が連なる細い道は、突き当たっては曲がる。戦の際に敵に一気に侵入されないようにとの構造。






今にも武士が出てきそうな長屋門・・・  




たまたまこんな場面にも遭遇しました。土壁の塗り替えでしょうね?




一般公開(有料)されている「野村家跡」 




復元された「高田家屋敷」の『長屋門』 




同長屋門の内側 
仲間(ちゅうげん)や武家奉公人などが住み込んでいた
中クラス以上の屋敷には、こうした長屋門や厩を付けることが認められていたとのこと  






大野庄用水  

散策日:2012年(平成24年)11月13日(火)           

兼六園(石川県金沢市)

2012年11月22日 | 史跡・遺跡・文化財


六つのすぐれた景観、「六勝」を兼ね備えていることからこの名がつけられた日本三名園のひとつ『兼六園』。
金沢城に隣接するこの名園、元々は金沢藩主の大名庭園です。城と庭は一体のものですから、金沢城を見て
この兼六園を散策しないなんてことは考えられません。そんな晩秋の兼六園をちょっとばかり歩いてみました。
兼六園といえば[徽軫灯籠](ことじとうろう)がその代名詞でしょう。  






徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています












庭園の木々の葉も色づいています










そして兼六園・金沢といえば『雪吊り』
11月1日から始まった雪吊り。丁度、作業中の光景を見ることができました
写真ではよくわからないと思いますが、上に乗っているのは作業中の職人さんです 






最近話題となってテレビのニュース等でも流れた兼六園「瓢(ひさご)池」の鯉
約100匹いる鯉の中に白い鯉が1匹いて、この鯉の頭に赤いハートの形をした斑点があることから、鯉→『恋』に通ずると人気を集めている
運よく出会えるかわかりませんでしたが「瓢(ひさご)池」に行ってみました。普段の行いがよいせいか(?)、橋の下を行ったり来たりするハートの鯉に出会えました。
でも、今の私に『恋』は・・・  
  
雨も降ってきましたのでここらで一休みと園内のお店に寄って




「抹茶」をいただきました。金沢だけに『金箔』が・・・  

散策日:2012年(平成24年)11月13日(火)                

金沢城(石川県金沢市)

2012年11月21日 | 日本100名城


金沢城

金沢城は天正8年(1580)、加賀一向一揆の拠点であった金沢御堂を織田信長軍の佐久間盛政が陥落させ、そこに城を築いたことに始まる。
天正11年(1583)、前田利家が加賀に入封して犀川と浅野川にはさまれた小立野台地上の金沢城を加賀支配の拠点とすべく近代城郭へと改修した。
基本的な縄張りを行ったのはキリシタン大名の高山右近といわれる。天守は慶長7年(1602)の落雷により焼失。残念ながらその姿については記録が
なく不明である。名城の姿を壮美にするために取り入れたといわれる鉛瓦や海鼠壁、唐破風付出窓や二重二階の多聞櫓なども、加賀百万石の
居城にふさわしい格調の高さと美しさを見せている。            (「日本100名城公式ガイドブック 35金沢城」より引用 )




金沢城石垣 




保存修理工事中の「石川門一の門」と「付属太鼓塀」




保存修理工事中の「左方太鼓塀」  

金沢城を攻城するに当たり、現在の状況を調べることもなく出かけましたが、そうしたところ、国指定重要文化財である石川門が50年に1度という保存修理工事中でした。
まあ、一日や二日で終わるような工事ではありませんから、攻城時期を多少ずらして行ったところで状況は同じはありますが。




石川門二の門






復元された「河北門二の門」




同じく復元された「河北門一の門」 




三の丸広場から見た「河北門」 

3年前(2009年10月)に、この金沢城を攻城したときには「河北門」はまだ見ることができませんでした。
復元整備は、2007年11月から始まり、2年半の歳月をかけた2010年4月に完成したとのことです。
つまり、前回私が訪れた時は復元工事中であったわけです。そういえばこの河北門のある辺りは囲いがされていたような記憶が蘇ってきました。






二の丸菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門一の門(平成13年復元)




菱櫓    




橋爪門二の門と桝形土塀の復元整備工事中 




二の丸  




三十間長屋(国指定重要文化財)




鶴丸倉庫(国指定重要文化財) ・・・  武具土蔵  




丑寅櫓跡  




辰巳櫓跡  




辰巳櫓跡から見た復元された「鯉喉(りこう)櫓台跡」と「いもり堀」




「辰巳櫓跡」と「鯉喉(りこう)櫓台跡」




前田利家公銅像
前回の金沢城攻城の際はお会いできなかった前田利家公(銅像)でしたが、今回はしっかりと会ってきました。
白鳥堀跡に建っていました。  
  
金沢城を攻城することを決めていながら情報収集(下調べ)もせずに出かけたものですから、最初の方でも述べたように、石川門が保存修理工事中であったり、
河北門が復元されていとことさえ知らずにいましたか、行ってみて半分がっがりした反面には儲けものをしたと思いもあります。
まあ、こんないい加減な城攻めですと戦国時代ならとても勝てませんね・・・

攻城日:2012年(平成24年)11月13日(火)            

福井城(福井県福井市)

2012年11月20日 | 続日本100名城


福井城跡の石垣、水堀

福井城
1601(慶長6)年、越前68万石の領主となった結城秀康によって福井平野に築かれた平城。織田信長の家臣・柴田勝家が本拠とした
北ノ庄城を取り込む形で建設され、縄張りは秀康の父である徳川家康によるものといわれている。工事開始から5年後の1606(慶長11)年、
本丸を中心に幾重もの曲輪(区画)と水堀が巡るという、徳川家康の城に共通する特徴を持つ巨大城郭が完成した。当初は北ノ庄城と呼ばれていたが、
康の子である松平忠昌が城主たなった際、福居(後に福井)城に改められたといわれている。本丸には4重5階建ての壮麗な天守が建てられていたが、
1669(寛文9)年の火災により焼失し、その後は再建されなかった。明治維新まで代々越前松平家が城主を務め、廃城後は城趾の市街地化が進み、
現在はかつての本丸にのみ堀と石垣が残されている。            (【戦国武将データファイル】名城コレクション・福井城)から引用  
  



本丸跡には福井県庁・警察本部が建っている








平成19年に復元された御廊下橋 






福井城天守台 




福井地震で崩れた天守台の石垣  




天守台登り口脇に設置されている「福井城天守」の説明板  




山里口門跡の石垣   
   
福井市を訪れたのは、隣接する坂井市にある現存天守12城のひとつ「丸岡城」の攻城を目的としてでした。
そして、できれば福井市内にある「一乗谷城(跡)」、「福井城(跡)」も攻城したいと考えました。
しかし、乗車する列車は既に決まっておりましたから、散策できる時間には制限がありました。
主目的の丸岡城攻城もじっくりと攻めるどころか時間に追われるようにして福井駅まで帰還した次第で、
とても「一乗谷城(跡)」まで行く余裕はありません。列車に乗るまでの僅かな時間で行けるとすれば
「福井城(跡)」しかありませんでした。この「福井城(跡)」の本丸跡には、現在、福井県庁、
福井県警本部が建っており、見どころとしては天守台と石垣、そして、復元された御廊下橋くらいかもしれません。
とにかく行って来ようと福井城跡に足を向けました。行ってく来るだけであって、行って見て来るというまでには至りません。
そんな次第でしたから、天守台まで行ってすぐに福井駅まで戻り、次の目的地に向かいました。 

攻城日:2012(平成24)年11月12日(月) 続日本100名城選定前    

丸岡城(福井県坂井市)

2012年11月19日 | 現存12天守


丸岡城(霞ヶ城)

今から430余年前の天正3(1575)年、織田信長は越前の一向一揆を平定するため大軍を派遣し、当時丸岡の東北4kmの山中にあった
豊原寺を攻略し寺坊を悉く焼き払った。信長はこの恩賞として柴田勝家に越前之国を与え、北ノ庄(今の福井市)に築城を命じた。
勝家は甥の勝豊を豊原に派遣し豊原城を構えたが、翌天正4(1576)年豊原から丸岡に移り城を築いた。これが現在の丸岡城である。
勝豊以後、安井家清)、青山修理亮、同忠元、今村盛次、本多成重以下4代、有馬清純以下8代の居城を経て明治維新となった。
大正中期より昭和の初期にわたり濠は埋められ、現在は本丸と天守閣と僅かに石垣を残し城域は霞ヶ城公園となっている。
昔の城郭は五角形の広い濠を有し外郭に侍屋敷を配地し、さらに河川を利用し外濠を設け寺院民家を包容し城下町を形成していた。
丸岡城は現存する天守閣の中で最も古い建築で、外観は上層望楼を形成して通し柱がなく、一層は二階三階を支える支台をなし、屋根は二重で
内部は三階となっている。又、屋根が全部石瓦で葺かれているのが全国にも稀な特徴である。このような古調に富んだ望楼式天守閣は後の時代の
松本城、彦根城、姫路城など層塔式天守閣と比較すると、いかに城郭建築の初期のものであるかがうかがえる。昭和9年国宝に指定されたが、
昭和23年福井大震災により倒壊した。昭和25年重要文化財の指定を受け、昭和30年に修復再建された。 (「越前 丸岡城」リーフレットから引用)


現存天守12城のひとつである『丸岡城(別名 霞ヶ城)』(福井県坂井市丸岡町霞)を攻城してきました。
交通の便や、前後の行程の都合で約1時間しか城攻めの時間がありませんでしたので、見落としも多く、天守以外(資料館等)を見てくる余裕もありませんでした。




丸岡城天守(北東面)  




野面積みの天守台  




丸岡城天守(南面)  






丸岡城天守(西面)




天守1階内部 




天守2階内部




天守3階内部 




天守3階回廊




「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の碑  




余談ですが、JR北陸本線「福井」駅前から京福バスで「本丸岡行き」に乗り、40~45分で「丸岡城」停留所に。この目の前に丸岡城天守が・・・  
  
攻城日:2012(平成24)年11月12日(月)           

紅葉見ナイト2012

2012年11月19日 | 花・鳥・風景
昨11月18日夕刻から、国営武蔵丘陵森林公園へ「紅葉見ナイト」を見に行ってきました。     
てっきり「コウヨウ ミナイト」かと思っていましたら、場内放送で「モミジ ミナイト・・・」と。
近くにいた見物の方も、「え! コウヨウでなくモミジだったの」と、同じ勘違いをしていたようでした。 
リーフレットをよく見てみますと、「紅葉見」のところに「もみじみ」とルビがふってありました。
昨年も一昨年も「コウヨウ ミナイト」を見に行っていた私です(笑)

(写真調整中)

散策日:2012年(平成24年)11月18日(日)