四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

武蔵国城館カードの専用カードフォルダを頂いてきました

2022年11月25日 | 城館雑記


埼玉県比企地区には数多くの中世城館跡が点在しています。
そんなこともあり、昨春頃から比企地区文化財振興協議会と埼玉県立嵐山史跡の博物館が共同で作成した
『武蔵国城館カード』全10種を各市町村と嵐山史跡の博物館で配布されましたので、自身も昨年6月に2日
かけて比企郡市内(含む秩父郡東秩父村)を廻ってカード全10種を頂いてきました。

更に、つい最近である11月14日から県立嵐山史跡の博物館において、「菅谷館」のカード配布の再開とと
もに『武蔵国城館跡カード』を収納できる専用カードフォルダを数量限定で配布するとの情報がありまし
たので早速頂いてきました。
写真は、頂いてきたカードフォルダと昨年6月にゲットした武蔵国城館跡カード全10種で下記の通り順番に
並べてみました。


第一号 小倉城跡(ときがわ町)       第二号 松山城跡(吉見町)
第三号 山田城跡(滑川町)         第四号 腰越城跡(小川町)
第五号 養竹院 太田道灌陣屋跡(川島町)  第六号 青鳥城跡(東松山市)
第七号 安戸城跡(東秩父村)        第八号 杉山城跡(嵐山町)
第九号 熊井城跡(鳩山町)         第十号 菅谷館跡(埼玉県立嵐山史跡の博物館)





上記10種の武蔵国城館跡カードを専用カードフォルダに収めてみました。
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【参 考】
比企地区にある国指定・県指定史跡の城館跡は次の通りです。
 《国指定史跡の城館跡》
  ◇ 比企城館跡群 [菅谷館跡(嵐山町)・松山城跡(吉見町)・杉山城跡(嵐山町)・
             小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)の4城館跡一括指定〕
 《県指定史跡の城館跡》
  ◇ 大蔵館跡(嵐山町)
  ◇ 青鳥城跡(東松山市)
  ◇ 腰越城跡(小川町)
  ◇ 四ツ山城跡(小川町) ※別名:高見城跡

これ以外にも県指定旧跡・県選定重要遺跡・市町村指定史跡となっている城館跡が数多くあります。

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松江城・小田原城の切手

2021年07月17日 | 城館雑記


先日、某お店から届いた封書に貼られていた『国宝松江城天守』の切手です。
発行の経緯を調べてみたところ、本年6月16日に発行された【国宝シリーズ第2集】のモチーフと
なっているの国宝建築物10件の中のひとつでした。
ネットで松江城関連について検索しますと大体この角度からの天守の写真が出てきます。
右の写真は平成25年(2013)の夏、松江城を攻城した際に撮った写真の中から切手に使われている
構図に一番近いものを載せてみました。
ただし、この写真は国指定重要文化財時の松江城天守ですが・・・また、手前に写っている生垣は
現在はないようです。




『小田原城天守』の切手です。
私は、切手コレクターではありませんが、天守のイラストの切手であったことから切り取って保管
してあったもので、やはり、上記お店からの封書に貼られていたもの(3種類の切手を貼って当時の
封書の値段にしてあったうちの1枚)で、
平成12年(2000)発行の ふるさと切手「小田原城」 2種1組のうちのひとつ【天守に菊】です。
もう1種は、【銅門に梅】のようです。
この封書を頂いたのは発行よりだいぶ後の平成30年(2018)のことですが・・・
切手のイラストの天守と同じような写真はないかと探してみたところ、平成26年(2014)9月に攻城
した際の写真の中に、右の写真がありました。
しかし、イラストに描かれたような菊と一緒の構図の写真は当然ながらありませんが・・・




こんな構図の菊と天守が写った写真はありました。上の写真の前の年である平成25年(2013)11月
の攻城時のものです。




この写真も平成25年(2013)11月の攻城時のものです。

以上 無理矢理こじつけの記事を書いてみました11

武蔵国城館カード 第十号「菅谷館跡」

2021年06月18日 | 城館雑記

菅谷館跡 (埼玉県立嵐山史跡の博物館)
      



【本郭小口】と【土橋】、【空堀】




本郭北側の【出桝形土塁】




【出桝形土塁】を季節と向きを変えて




【復元木橋】

菅谷館跡は名称を「館跡」としていますが、形態から言えば「城跡」です。最近では菅谷城跡と
呼ぶことも増えてきましたがそれなりの理由があるようで名称変更にまでは至らないようです。
畠山重忠の館があった場所は特定されていません。時折、本郭が館跡だと説明する方がおります
が、館跡が特定されていない以上は肯定も否定もできませんが、否定の線が強い感じです。
「菅谷館」は続日本100名城に選定されていますので、「杉山城」と併せて、国指定史跡比企城
館跡群の半数が続日本100名城ということになります。

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武蔵国城館カード 第九号「熊井城跡」

2021年06月17日 | 城館雑記

熊井城跡 (鳩山町)
      


                                     2017.10.31撮影
【妙光寺】  この裏手に熊井城はあったと伝わるようです



                                     2017.10.31撮影
山際には削平した平場や堀跡ようなものが散見されますが、平場はその造りから近世のもののよう
に思えますし、堀跡と思えるものも排水等のためのもののように城郭に素人の私には見えました。
遺構こそはっきりとはしませんが、ここに何らかの城館があったことは確かなことかもしれません。

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武蔵国城館カード 第八号「杉山城跡」

2021年06月16日 | 城館雑記

杉山城跡 (嵐山町)
        
     

                                      2021.4.24撮影
旧鎌倉街道上道・旧川越児玉往還(県道296号・菅谷寄居線)付近から望む杉山城跡
「築城の教科書」・「中世山城の教科書」と言われるくらい、地形を巧みに利用した縄張りは屈指
の名城です。お城ファンならだれでも一度は訪れてみたいそんな山城です。
後北条氏の築城か、山内上杉氏によって築かれたのかという「杉山城問題」も発掘調査により山内
上杉氏によってという考えが強くなってきたようです。
続100名城にも選定されました。



                                      2021.4.24撮影
【本郭】(右側)と【切岸】(左側)
テレビでも取り上げられることが増えてきた杉山城。今年に入ってからでも
◎NHKテレビ:3月30日(火)
   「日本「最強の城」スペシャル」第8弾!行ってみたいあの名城の秘密に迫る
     落語会一のお城好き(特に土の城)春風亭昇太師匠も杉山城に出張っていました
◎テレビ東京:5月1日(土)
   出没!アド街ック天国 ~埼玉 嵐山・小川町~ 【8位城跡】で菅谷館跡と共に

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武蔵国城館カード 第七号「安戸城跡」

2021年06月14日 | 城館雑記

安戸城跡 (東秩父村)
      



【本郭】
どこでもそうであるようにこの安戸城も昔は単に「城山」と呼ばれていました。
麓にある保育園の名称は「城山保育園」
「安戸城」と命名した人は・・・あの方です。




本郭に設置された「安戸城」説明板
最初の攻城時に有りませんでした。あればいいなと思っていたところ次の攻城時にはしっかりと・・・

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武蔵国城館カード 第六号「青鳥城跡」

2021年06月12日 | 城館雑記

青鳥城跡 (東松山市)
      



本郭入口に建つ【埼玉県指定史跡 青鳥城阯】碑
かなりの広さがある城域です。宅地化が進んでいますが所々に土塁や空堀が残っています。
行ったことのある人は分りますがとにかく香ばしい臭いが漂ってきますので・・・




本郭の土塁
裏側(外側)は当然空堀になっていますが、朽ちた竹が折り重なるように堀を埋めていましたが、
今も同じような状態でしょうか・・・

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武蔵国城館カード 第五号「養竹院-大田道灌陣屋跡-」

2021年06月09日 | 城館雑記

養竹院-大田道灌陣屋跡- (川島町)
      



太田道灌陣屋跡と伝わる【養竹院】
道灌の死後にその甥で養子でもある岩付城の太田資家が道灌の追善のために、別の伯父である叔悦
禅懌(道灌の実弟)を開山に迎えて開基したと言います。
境内の世代墓地には開基の太田資家とその夫人、また資家の子の太田資頼の墓と伝わる宝篋印塔が
あります。




【太田道灌の陣屋跡】碑

太田道灌と言えば、『太田道灌をNHK大河ドラマに!』ということで道灌ゆかりの自治体、【埼
玉県越生町・・・道灌の生誕地】、【川越市・・・川越城築城】、【神奈川県伊勢原市・・・没し
た地】などが中心になって推進しているようで、賛同自治体25に及び署名も全国から集まっている
ようです。川島町はいかに・・・

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武蔵国城館カード 第四号「腰越城跡」

2021年06月08日 | 城館雑記

腰越城跡 (小川町)
     


                                      2014.1.10撮影
「榎木戸」の地名が残るここが大手口と言われます。
国指定史跡比企城館群の4城館に比べれば小規模の城跡ですが、「囮小口」、「隠小口」、「桝形
小口」など卓越した工夫が凝らされた中世の山城です。
仮に、四つの城館跡で構成されている国指定史跡比企城館跡群にもう1城を追加するということが
あるとすればその1城はこの腰越城以外にはないと・・・



                                      2014.1.10撮影
「本郭」 本郭からは東に小川町の街並みを 西に安戸(大河原谷・東秩父村)を望め、まさに
安戸を守るに最適な位置にあります。
本郭には「腰越城跡」碑のほかに城主山田氏の末裔が建立した「本郭跡」碑もあります。

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武蔵国城館カード 第三号「山田城跡」

2021年06月07日 | 城館雑記

山田城跡 (滑川町)
      



【郭の中心部】  山田城は大きな単一郭のみで周囲を土塁、空堀で囲んでいます。




【空堀】

この城跡を見学するには入園料が必要です。と言いますのも、この山田城跡は「国営武蔵丘陵森林
公園」の中にありますのでまずは入園料を払って「国営武蔵丘陵森林公園」に入らなければなりま
せん。お城好きの方なら城跡を見るためだけに入園すると言う方も中にはあるかも知れません。
この山田城跡の近くには山崎城跡もありますので当然両方を見て歩くでしょう。

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