四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

栄華を極めた名城 姫路城

2011年03月29日 | 城郭関係テレビ番組


昨夜はBS朝日の「日本の城紀行」で【姫路城】が。そして今夜もBS-TBSの「【にっぽん百景】栄華を極めた名城」で【姫路城】が
紹介されました(これも再放送と思いますが)。同じ姫路城を扱っていても番組の作り方が異なっておりますので、またまた勉強になりました。

これでまた姫路城に登城してみたいという想いが一層強くなってきました。 

投稿日:2011年(平成23年)3月29日(火)           

日本の城紀行 姫路城

2011年03月29日 | 城郭関係テレビ番組


姫路城の創築は南北朝時代の初めとされる。羽柴(豊臣)秀吉が姫山に三重の天守を築いて近世城郭としての体裁を整え姫路城と改称した。
今日に残る城の形にしたのは徳川家康の娘婿池田輝政で、9年の歳月を費やして慶長14年(1609)、五重六階地下一階の大天守に3基の
小天守を結んだ天守群を中心に、多くの櫓と門が並び建つ大城郭を築き上げた。その後本多忠政が西の丸などを増築し、複雑な縄張をもつ
名城が完成した。明治時代に失われた部分もあるが、昭和の大修理が施され、平成5年に日本を代表する城として世界遺産に登録された。
           (「日本100名城 公式ガイドブック 59姫路城」 より引用転記)

昨28日午後11時からのBS朝日「日本の城紀行」は【姫路城】でした。敵からの防御のために数々の工夫がされています。
それこそ”本丸”を落とすのは至難の業でしょう。また、そうした防御のために設けられた門や櫓が防御のためを超えてひとつの”美”になっています。
この別名白鷺城といわれる【姫路城】は現在大天守保存修理工事中ですが、4年後の春にはまた素晴しい大天守が姿を現すでしょう。

実は、この4月初旬に姫路城登城を計画していたのですが、諸般の事情から取りやめになりました。また機会を見て登城計画を起てましょうか・・・   

投稿日:2011年(平成23年)2月29日(火)            

川越城本丸御殿 修理完了(埼玉県川越市)

2011年03月26日 | 日本100名城


今朝の新聞で「川越城本丸御殿 修理完了」が報じられています。今日から一般公開されるようです。

修理工事中に何度か本丸御殿に行っておりますが、近いうちまた訪問し、修理されたばかりの姿を見てみたいものです

投稿日:2011年(平成23年)3月26日(土)           

日本の城ミステリー紀行 会津若松城

2011年03月25日 | 城郭関係テレビ番組


今夜10時からのBS朝日「坂東三津五郎が行く 日本の城ミステリー紀行」は【会津若松城】でした。
今回は城の特徴もさることながら、会津若松城にまつわる話に重きが置かれていたようである。
会津若松城の別名は「鶴ヶ城」である。鶴ヶ城といえば「白虎隊」であるが、飯盛山で白虎隊が自刃したのは鶴ヶ城が燃えているのを
見たからというのが通説になっているが、実は本当の理由は別のところにあったという。生き残った白虎隊員が書き残した文書が見つ
かり自刃の理由が示されていた。また、会津若松城が何ゆえに維新軍の攻撃の対象になったのか等、私には大変ためになる情報であった。 

放送を見終えてすぐにこれを書き込みましたので、めちゃくちゃな文章ですけれど(まあ普段からですが)・・・

投稿日:2011年(平成23年)3月25日(金)            

にっぽんの名城 最終回は

2011年03月24日 | 城郭関係テレビ番組


今夜の「直伝和の極意 体感・実感! にっぽんの名城」最終回(第12回)は、【「縄張り図」をかいてみましょう!】でした。
城博士・千田嘉博さんと歴ドル・美甘子さんが大阪府河内長野市にある烏帽子形城跡に登城して縄張り図を描くというものでした。私にも出来そうかな?
「直伝和の極意 体感・実感! にっぽんの名城」テキスト(雑誌)にも詳しく説明されているようですので後日目を通してみましょうか。

先週木曜日に11回【「縄張り図」を読む 鹿背山城】が放送される予定でした。しかし、震災の影響で放送されませんでしたが本日昼間放送されました。
昼間のため見ることは出来ませんでしたが録画してありますので後で見てみます。

城に関する番組がこれでひとつ終了してしまいました。ちょっと残念です。 

投稿日:2011年(平成23年)3月24日(木)             

水戸城

2011年03月23日 | 城館雑記


鎌倉時代初頭、源頼朝の家臣・馬場資幹が館を構えたのが起源とされ、1426(応永33)年に江戸通房が奪った後、その本拠として拡張した平山城。
那珂川と千波湖に挟まれた天然の要害である台地に、土塁と堀のみで築かれた。1590(天正18)年、江戸重通に勝利した佐竹義宣がその翌年に入城
すると、近世城郭として城下町も含めて整備。関ヶ原の戦い後、義宣が出羽国秋田(秋田県秋田市)に本拠移転を命ぜられたため、徳川家康の五男・信吉、
十男・頼宣が続けて城主となり、水戸徳川家初代となった十一男・頼房が城主となると徳川家一門の居城としてさらに拡張されたが、石垣も天守も持たな
いまま幕末まで使用された。廃城後は、残されていた三階櫓も戦災で焼失。現在は城門と堀と土塁、三の丸に設けられた藩校・弘道館が残されている。
   (「戦国武将データファイル43 名城コレクション 水戸城 」より引用転記)

本日、毎週発刊されている「戦国武将データファイル」43号を購入してきたが、今号の名城コレクションは「水戸城」であった。ここにも書かれている
弘道館は今月11日に発生した大地震の影響を受けて一部損壊したとの報道である。被害はこの弘道館に限らず、鉄道、市街地受けたようである。
実は地震発生の翌日に当たる3月12日(土)に、私は水戸市を訪ねる予定でいた。某旅行会社企画の貸切列車を利用して水戸市に行き、
偕楽園梅まつりや水戸城跡等を見て歩く計画をたて、この企画に申し込みをし代金振込み済みであった。
ところが前日に地震発生となり、この企画は中止となった。このときはまだ被害の大きさが分からず、正直な話、水戸行きが出来ないことを残念に思ったのである。
しかし、日を経過するに伴い、水戸市を含む茨城県下も大きな被害を受けたことが分かり、地震がもう1日後に起こっていたら私は水戸市にいたわけであり、
考えただけでもぞっとしてきた。
今回の災害から復興までには長い道程があるかもしれないが、水戸市を訪れることが許される時がきたら再度水戸散策を計画したいと考えている・・・・   
    
投稿日:2011年(平成23年)3月23日(水)           

日本の城紀行 熊本城

2011年03月22日 | 城郭関係テレビ番組




昨夜は11時からBS朝日で「日本の城紀行 熊本城」が放送(再放送かも)されたので遅い時間帯であったが観てみた。
ナレーションは流れず静かなBGMが流れる中、熊本城の映像が流れ、所々で解説の字幕が流れるという本当に映像を楽しめる放送であった。
まあ、番組開始当初に地震速報が流れたが、これは時がときなので仕方あるまい。熊本城は説明するまでもなく加藤清正が築いた城で、
日本3名城のひとつである。もう一度映像でなくこの目で見てみたいと思うのだが・・・

放送日:2011年(平成23年)3月22日(月)           

将軍の城・江戸城 再び

2011年03月18日 | 城郭関係テレビ番組


今夜10時からBS朝日で、「坂東三津五郎が行く 日本の城ミステリー紀行【将軍の城・江戸城】」が放映されたので視てみた。
先々週の4日に放映されたものの再放送であったが、前半を見損なっていたのであらためて視聴した次第です。
この2日後の3月6日(日)江戸城散策をしてきたばかりであるので、テレビ画面に映し出される門や石垣などがすぐに目に浮かんだ。
当日、時間等の関係で歩きそこなった(見損なった)ところがまだまだ沢山あるので、機会をみて、また江戸城に登城してみたいものである。

現在の非常事態が良い方に終息してからの更に先のことになるでしょうが。

投稿日:2011年(平成23年)3月18日(金)             

栄華を極めた名城 彦根城

2011年03月15日 | 城郭関係テレビ番組


彦根城は、徳川四天王の一人、井伊直政が琵琶湖湖畔の磯山の地に城を築こうとしたことに始まる。直政が死んだため築城は計画のみに終わったが、
直政の遺志を継いで子の直継は彦根山(金亀山)を城地と定めて、慶弔12年(1607)に天守など主要部を完成させた。築城は徳川家康の支援を受けて
天下普請で行われ、また佐和山城や大津城など周辺の廃城から用材や石材を調達、急ピッチで進められた。しかし城下町まで含む城の完成には20年あま
りの年月を要した。三重三階、華麗な装飾を施された天守は明治維新の廃城令も戦災も免れ、旧国宝保存法による城郭国宝の第1号に指定された。
                        (日本100名城 公式ガイドブック 彦根城の項目から引用転記)

今夜のBS-TBSの「【にっぽん百景】栄華を極めた名城」は「彦根城」でした 国宝指定4城のうちのひとつで、解説にもあるとうり用材・石材を
リサイクル使用したという他の城に類を見ない城である。番組では内部の様子を見せてくれたが、確かに梁等に以前使用の痕跡がある。
これも素晴しい城である。

実はこの素晴しい城・彦根城を本年4月初旬に訪城する予定であったが、今回の大震災を含む諸般の理由により中止となった。時がときだから仕方ない。
また、行けるような条件が揃ったら行けば良いと思っている。 

画像は、放送された映像の一場面です。

投稿日:2011年(平成23年)3月15日(火)