姫路城の創築は南北朝時代の初めとされる。羽柴(豊臣)秀吉が姫山に三重の天守を築いて近世城郭としての体裁を整え姫路城と改称した。
今日に残る城の形にしたのは徳川家康の娘婿池田輝政で、9年の歳月を費やして慶長14年(1609)、五重六階地下一階の大天守に3基の
小天守を結んだ天守群を中心に、多くの櫓と門が並び建つ大城郭を築き上げた。その後本多忠政が西の丸などを増築し、複雑な縄張をもつ名城が完成した。
明治時代に失われた部分もあるが、昭和の大修理が施され、平成5年に日本を代表する城として世界遺産に登録された。 (「日本100名城公式ガイドブック」より引用)
「昭和の大修理」から半世紀が過ぎ、大天守には傷みや汚れが目立つようになったことから、屋根、壁面の修復を主工事とした「平成の大修理」が
平成21年(2009)に着手され、現在も修理中ですが、ほぼ終了したようです。大天守が見られない、天守に入れない。そんな姫路城に行っても
仕方ないので修理が終えてから行けばよい。と思う反面、修理を終えた姫路城ならいつでも訪ねられるが、修理しているところ、ましてや天守の屋根を
目の前に出来ることなどこの先ない。見ておけば良かったと後悔することになるかもしれない。ということで・・・
姫路駅から姫路城に徒歩にて。 連日、猛暑の下にいたので体がへばりきっていました。そして、この日も猛暑でした。
桜門橋の向こうに見えるのが大修理中の大天守
素屋根
鉄骨トラス構造で建設された素屋根は、備前丸からの高さが約52mになり、13階建てのビルの高さに相当します。素屋根の壁面には約800枚の
メッシュシートが取り付けられ、南側と東側には実物大の姫路城大天守の線画を描いています。この線画はギネス級の巨大なもので、素屋根に隠された
大天守の存在感をアピールしています。 (パンフレット「白鷺の大天守ふたたび」より引用)
大手門から三の丸跡へ
「世界遺産 姫路城」の石碑の先に天守群が
大修理中の大天守と小天守群
入城券売り場
ここで入城券とともに予約してあった「天空の白鷺」入館券を購入
菱の門
いの門
ろの門
ぬの門
備前門
この備前門から、素屋根の内部に設けられた姫路城大天守修理見学施設「天空の白鷺」へ向かいます。
見学予約をしてありましたので、ほとんど待つことなくエレベーターに乗れ8階に行けました。
天空の白鷺8階の見学窓から見た「最上層の大屋根」の修理状況
この日は作業が行われておりませんでした。また、ほとんど修理完成の状態でした。
修理が終えてしまうと、こうして目の前に大屋根を見ることはできません。
屋根目地漆喰
7階の見学窓からは壁面修理の模様が見られますが、こちらもほとんど終えていたようです。
1階見学スペースから見た大天守の石垣
天空の白鷺8階から城内を見下ろす
画像に線が入っているのは、窓のガラスに線が入っていたためです。
7階から
こうした櫓なども見て歩く予定だったのですが・・・
小天守
水の三門
水の二門
水の一門
ほの門
にの門
にの門 東方下土塀
はの門
ここで今回の姫路城攻城は取りあえず終わりに。
門ひとつ撮るにも、ひっきりなしに往来する見学者が切れる一瞬を待つのですが、なかな人の流れは切れず人が入ったままのものが多くなりました。
あまりの暑さとのどの渇きから、帰り際に、普段は食べることのないものを「氷」ののれんのお店で。
来年1月15日で「天空の白鷺」は閉館になり、その後1年半をかけて素屋根の足場などが解体されるそうです。そして、再来年には大修理なった
大天守が見られるようようですので、もし、再攻城の機会を得られれば、今回見られなかったところも合わせて見学したい。そう思う私です。
攻城日:2013年(平成25年)8月13日(火)