四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

胴山古墳(埼玉県坂戸市)

2019年06月28日 | 古墳


名 称:胴山古墳(どうやまこふん)
別 名:―
墳 形:前方後円墳
規 模:全長63.2m・後円径20m 高さ2.75m・前方幅30m 高さ2m
築 造:6世紀後半(推定)
指 定:―
所在地:埼玉県坂戸市石井新町

坂戸市石井新町に所在する胴山古墳を訪ねてみました。ナビの案内で辿り着いたところは鬱蒼とした山林で、こ
こが古墳かと疑って他の所ではないかと付近を探し回ったものの、結局は最初の場所に。
上の写真は北側の状況を西方から東方に向けて撮ったもの。




これは西側の前方部を撮ったつもりですがなんだかわからない写真になってしまいました。
道幅の狭い所で正面から撮ったためです。斜めに撮ればまだどうにか見れたかもしれませんが・・・




東側の後円部を撮ったものですが、かなり削り取られてしまっています。




北東方から後円部を覗いた状況です




一応墳頂部方向に進入してみました。ワイヤーが2か所ほどに張られています。これに吊り下がって遊ぶのでしょ
うか。それともドッグラン用のものなのでしょうか。
写真では分りませんが、荒れ放題の状態ですから、少し歩いただけでもズボンには蜘蛛の巣やごみがいっぱい付
いてしまい落すのに一苦労。




この辺りが墳頂部でしょうか。何も確認しないで外に戻りました。

実はこの時点では古墳という確証もなく、後円部だとか墳頂だとかは分らなかったのです。
これだけの写真を撮ったところで、たまたまご近所の方に出会いましたので、「ここが古墳でいいのですか?」
とお聞きしたところ、その通り古墳であるとのことでした。
また、こちらから聞いたわけでもないのですが、かつて案内板があったが、それが無くなった理由や、荒れ放題
の状態に関する裏話を話してくれました。
話の内容についてはここに書けませんが、話を聞いてこれ以上の散策はやめようと撤収しました。

散策日:令和元年(2019)6月4日(火)

新山2号墳(埼玉県坂戸市)

2019年06月27日 | 古墳


名 称:新山2号古墳(にいやま2ごうふん)
別 名:―
墳 形:方墳
規 模:一辺約50m 高さ約1.4m
築 造:古墳時代終末期・7世紀末
指 定:―
所在地:埼玉県坂戸市清水町

坂戸市清水町の住宅街に遺る古墳「新山2号墳」を訪ねて来ました。
入口を除く四方をフェンスで囲まれていることから古墳の雰囲気を感じられませんが、これも住宅街の中にあっ
ては仕方ないことでしょう。




見学者の利便を考えて階段になっています




「新山2号墳」説明板




新山2号墳測量図  これを見ると約半分が消滅しているようです




新山古墳群の12基のうち現存するのはこの2号墳を含めて3基のみ




墳丘の周囲はロープで囲繞されていますので墳丘・頂に上がることはできません




同上




住宅街ですから見るからに古墳というよりは、古墳マニア(研究家と言った方がよいかも)にはちょっと残念で
しょうが、こうしてフェンスで囲まれていれば景観を損なうこともないかと思います。

散策日:令和元年(2019)6月4日(火)

稲荷塚古墳(埼玉県坂戸市)

2019年06月26日 | 古墳


名 称:稲荷塚古墳(いなりづかこふん)
別 名:浅羽野2号墳
墳 形:円墳 
規 模:径:20m 
築 造:不詳
指 定:―
所在地:埼玉県坂戸市中富町

通称稲荷塚古墳は、浅羽野古墳群のうちの1基で浅羽野2号墳と言い、東武東上線の線路沿いにあります。
案内板等はなく詳細を知ることはできませんでした。
東側正面からの写真です。




鳥居の社号額には「一位込道稲荷大明神」と揮毫されています




南東から見ています




南西から 墳丘斜面の樹木が邪魔して墳頂が隠れています




北側から見ています  同じく墳丘斜面の樹木が邪魔して墳頂が隠れています




南側から墳丘の西側半分を見ています




西側から墳丘を見ています  小ぶりながらも古墳であることが分ります




墳頂部です 




墳頂から古墳の東側を走っている東武東上線の線路を・・・

散策日:令和元年(2019)6月4日(火)

土屋神社古墳(埼玉県坂戸市)

2019年06月25日 | 古墳


名 称:土屋神社古墳(つちやじんじゃこふん)
別 名:浅羽野1号墳
墳 形:円墳 (帆立貝形古墳との説もあり)
規 模:径:約50m  高さ:約5.4m 横穴式石室
築 造:7世紀前半
指 定:―
所在地:埼玉県坂戸市浅羽野2-2

土屋神社は古墳の上に鎮座しており、社名の「土屋」は古墳内に石室があることに由来するようです。
そんな土屋神社となっている土屋神社古墳こと浅羽野1号墳を神社と併せて散策して来ました。




一の鳥居の社号額




参道




二の鳥居前の境内 右端の建物は社務所




二の鳥居




「土屋神社神木スギ 埼玉県指定天然記念物」説明板




手水舎




二の鳥居




二の鳥居社号額「土屋神社」と揮毫されている




土屋神社拝殿




神楽殿




境内社:浅間神社




本殿




墳頂に建つ本殿の下に横穴式石室がある。開口されているが入口は閉鎖されおり、石室内部を見ることはできない




社殿左側にある境内社:天満宮・稲荷神社




土屋神社神木スギ 




本殿背後(北側)の墳丘斜面  




社殿左側(西側)の墳丘斜面




社殿北側の墳丘斜面




社殿東側の墳丘斜面
こうして社殿の横側や背後から見ると社殿が墳頂の上に建っているのがよくわかります




社殿西側の緩やかな斜面




南西方から土屋神社の森を見ています

散策日:令和元年(2019)6月4日(火)

義家塚古墳(埼玉県坂戸市)

2019年06月24日 | 古墳


名 称:義家塚古墳(よしいえづかこふん)
別 名:塚越3号墳・義家塚・塚越神社
墳 形:円墳 
規 模:径:9m? 高さ1m? 横穴式石室 
築 造:6世紀半から7世紀初半
指 定:―
所在地:埼玉県坂戸市塚越南馬場

鳥居が建っていなければ見逃してしまいそうな小規模の古墳・神社である「義家塚古墳」を訪ねてみました。




「塚越神社」説明板  塚越神社の謂れが書かれています  古墳に関する記述は残念ながらありません
通称八幡太郎で知られる義家ですが、「義家が・・・した」と言われる伝承地は各地にあるようです。




「塚越神社」の社号額




墳頂の小さな石祠




墳丘を背後から




北西方向から  道路によって墳丘の一部が削られているようです
この義家塚古墳は、塚越地内の「塚越古墳群」3基のうちの1基ですが、他の2基については機会を見て・・・

散策日:令和元年(2019)6月4日(火)

雷電塚古墳(埼玉県坂戸市)

2019年06月23日 | 古墳


名 称:雷電塚古墳(らいでんつかこふん)
別 名:雷電1号墳
墳 形:前方後円墳 
規 模:全長47m
築 造:古墳時代後期(6世紀中頃)
立 地:平地 
指 定:埼玉県指定史跡(名称:前方後円墳 雷電塚古墳 昭和33年(1958)3月20日指定) 
所在地:埼玉県坂戸市小沼字田島

雷電塚古墳は、坂戸市内の雷電塚古墳群内にある前方後円墳で、後円部墳頂に雷電社が祀られてい
ることから雷電塚古墳と称される。



東側の道路から墳丘全体を


前方部が一部入っていませんが、上の写真とほぼ同様の位置から


『雷電塚古墳』説明板


説明板の「雷電塚古墳 推定復元図」


北側の道路から


北側道路から見た後円部


西方から見た後円部


古墳を西側から  左側が後円部


西側から見た後円部


墳丘くびれ部あたりから後円部を


後円部墳頂に鎮座する祠  『雷電社』


前方部


この宝篋印塔は江戸期の建立のもの

散策日:令和元年(2019)5月30日(木)

雷電神社裏古墳(埼玉県美里町)

2019年06月21日 | 古墳


名 称:雷電神社裏古墳(らいでんじんじゃうらこふん)
別 名:― 
墳 形:円墳 横穴式石室  
規 模:径10m 高2m
築 造:6世紀半~7世紀代
立 地:丘陵
現 況:山林、畑 
指 定:― 
備 考:消滅
所在地:埼玉県児玉郡美里町中里

この雷電神社裏古墳について最初は、雷電神社が征夷大将軍坂上田村麻呂にまつわるものだと知り、次に、神社
西側の道路が旧鎌倉街道と知り、更に、古墳だったと知るに至ったものですが、カテゴリを神社仏閣・鎌倉街道・
古墳のどれにするかおおいに悩みましたが(冗談)、取り敢えず「古墳」で・・・




雷電神社の東側を走る国道254号線の歩道上から撮りましたが、小規模の神社ですから存在を知っていない限り
は気付かずに通り過ぎるでしょう。




雷電神社の由緒書
冒頭に征夷大将軍坂上田村麻呂との関係が記されています。こうした坂上田村麻呂の関わりを謳った神社はあち
こちにありますが、果たして真偽のほどは・・・




神社のあるあたりは国道側より明らかに高く、丘陵であることが分ります。




覆屋と覆屋の中に鎮座する雷電神社(右下の枠の中)




神社西側の道路 これが旧鎌倉街道ですが、社のある場所より更に高くなっています。
古墳は社裏あたりからこの旧鎌倉街道にかけてあったものと思われます。
コンクリートの土留め壁は丘陵(古墳)が削られたことを裏付けるものでしょう。




東西に道路が横切り丘陵部を分断しています




逆方向(北方から南方向)から見るとこんな感じです




更に北方から見てみます 
道路左側(東側)に更に高いコンクリートの土留め壁があり墳丘ようのものがあります。




碗を伏せたような土盛りの上に「浅間大神」の石碑が建っています




墳丘を裏側(北側)からみています
素人の私には正しいことは分りませんが、ここも古墳跡(半壊)のようです。
但し、雷電神社裏古墳の一部でないことは距離的に見ても違うことは確かです。

散策日:令和元年(2019)5月27日(月)

羽黒山古墳群(埼玉県美里町)

2019年06月20日 | 古墳



名 称:羽黒山古墳群(はぐろやまこふんぐん)
墳 形:円墳、方墳、前方後円墳
築 造:不詳なるも古墳時代後期か
指 定:埼玉県選定重要遺跡(名称:羽黒山古墳群 昭和44年(1969)10月1日選定)
概 要:丘陵上に分布する古墳群。約8基現存。土地改良事業にかかり発掘調査。
所在地:埼玉県児玉郡美里町白石字羽黒

羽黒山古墳群は、羽黒山15号墳(羽黒神社古墳)を中心に、羽黒山1号墳から羽黒山25号墳までの25基の古墳
からなっていました。方墳1基、前方後円墳1基を除いたすべてが円墳のようです。
しかしながら、完全な形で現存するのは、埼玉県選定遺跡の選定概要では約8基が現存とありますが、現在、完存
するのは6基程度と認められ、大半が半壊、一部残存、消滅となっているようです。




今回の羽黒山古墳群散策では次の4基を確認してきましたので地図に書き込んでみました。
これ以外にも畑の中に緑のこんもりした所が数か所見られましたが、古墳なのか、単なる雑木林なのか暑さに負
けて確認するまでには至りませんでした。

   名  称    墳形   規模     築  造      立地  現況

■ 羽黒山5号墳  円墳  径24m  6世紀半~7世紀代  丘陵  半壊
■ 羽黒山13号墳  円墳  径15m  6世紀半~7世紀代  丘陵  半壊
■ 羽黒山14号墳  円墳  径10m  6世紀半~7世紀代  丘陵  完存
■ 羽黒山15号墳  円墳  径35m  6世紀半~7世紀代  丘陵  完存




羽黒山5号墳  東方から




羽黒山5号墳  南西方から




羽黒山5号墳  西方から




羽黒山13号墳  東方から




羽黒山13号墳  南方から




羽黒山13号墳  西方から




羽黒山13号墳の西側にある道を挟んで鳥居がありますが、羽黒神社が羽黒山15号墳(羽黒神社古墳)の墳頂に鎮
座します。
ここ一帯が羽黒山公園となっています。




公園ですので一応遊具もあります




羽黒山14号墳  西方から




羽黒山14号墳  南方から




羽黒山14号墳  墳頂  「富士浅間大神」の石碑が建っていますので富士塚にしていたようです




羽黒山14号墳と羽黒山15号墳(羽黒神社古墳)の位置関係




羽黒山15号墳(羽黒神社古墳)  南東方から




羽黒山15号墳(羽黒神社古墳)  南側 「羽黒山公園」の看板があります




羽黒山15号墳(羽黒神社古墳)  南西辺の裾部分




羽黒山15号墳(羽黒神社古墳)  南方下から墳頂を見上げます
階段は設けられてはいませんが、ここが登り口のようです




羽黒山15号墳(羽黒神社古墳)墳頂  羽黒神社  覆屋がだいぶ傷んでいます
当墳の北側に「美里町就業改善センター」の建物がありますが、現在は運営されていないようで、ロープで囲繞
されています。




羽黒山15号墳(羽黒神社古墳)  西辺の裾部分

散策日:令和元年(2019)5月27日(月)

長坂聖天塚古墳(埼玉県美里町)

2019年06月19日 | 古墳


名 称:長坂聖天塚古墳(ながさかしょうてんづかこふん)
別 名:-
墳 形:円墳
規 模:直径50m、高さ4.5m
築 造:5世紀前半
指 定:埼玉県指定史跡(名称:長坂聖天塚古墳  昭和50年年(1975)3月31日指定)
所在地:埼玉県児玉郡美里町関2044-1

児玉郡美里町と旧大里郡岡部町(現深谷市)に跨る諏訪山古墳群の中にある長坂聖天塚古墳を訪ねてみました。




西側からみた長坂聖天塚古墳の墳丘
『長坂聖天塚古墳』説明板と『史跡 長坂聖天塚古墳』石標




説明板にある発掘時の写真と出土した『方格規矩鏡』写真




説明文




南側から墳丘を




南東側から墳丘を




墳丘南側の模様




墳頂にある『遺跡原点』標




墳頂から西方向を望む




古墳北側を東方から西方に

散策日:令和元年(2019)5月13日(月)

嵐山町のあじさい寺 金泉寺

2019年06月18日 | 花・鳥・風景


今年も嵐山町越畑にある嵐山町のあじさい寺こと『金泉寺(きんせんじ)』を訪ねてみました。
訪ねた時は、まだ3分咲程度で、山の斜面一面にあじさいが咲く姿までには至ってはいませんでしたが、それな
りの見学者が訪れていました。




本堂前に並べられた鉢植えのあじさいは綺麗に咲いていました










山の斜面 いくらかは咲いていましたが、色とりどりのあじさいが咲くのはもう少し先のようです。














散策日:令和元年(2019)6月9日(日)