四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

平井城・平井金山城の御城印

2024年05月21日 | 御城印

群馬県藤岡市に所在する『平井城・平井金山城』の御城印を入手(購入)してきました。
平井城は崖の上に築かれた崖城であり、平井金山城は山城で平井城の詰城です。両城は群馬県指定史跡と
なっていますが、それぞれが単体で指定を受けているのではなく、二城を併せて「平井城・平井金山城」
として指定されているものです。
御城印は「関東管領平井城址保存会」が発行販売しているもので、県の史跡指定において二城を併せて指
定したように、単体では販売しておらず、『平井城』・『平井金山城』の2枚をセットで販売しています。
御城印の取り扱い場所は、藤岡市観光案内所(道の駅ららん藤岡)藤岡歴史館など4カ所で、去る5月9日に
藤岡歴史館で購入してきました(販売価格600円)。



『平井城』と『平井金山城』の御城印   セットであるにもかかわらずデザインが全く違っています


御城印に同封されている 関東管領の居城 「平井城」 解説文


平井城址  令和6年(2024)5月9日撮影


平井金山城本丸跡  平成22年(2010)2月7日撮影
やっとの思いで攻城しましたが、あちらこちらに残雪がありました  体力的に今ではとても登れません



平成22年(2010)当時のパンフレットと最近のパンフレット

御城印入手日:令和6年(2024)5月9日(木)

忍城・川越城の御城印

2023年08月24日 | 御城印

埼玉県行田市にある『忍城』と川越市の『川越城』の新たな御城印が販売された(される)ようです。
記憶に間違いがなければ埼玉県の城郭で一番最初に御城印が販売されたのは「菅谷城」、次が「忍城」でした。
その後、「小倉城」「大築城」、「鉢形城」、「杉山城」、「深谷城」などが続いています。これらは城郭と関
係ある観光協会や城郭跡内にある博物館・資料館などの発行によるもので、城郭とは直接関係のない営利団体や
グループ・個人が販売しているものは除いています(そうした類の御城印には興味がありませんので、扱ってい
る城郭やどの程度販売されているのかは調べていませんが)
「御城印」という呼び方が一般的になっていますが、「登城記念印」、「城郭符」などと別の呼び方をしている
ところもあります。また、御朱印と違って直筆いうものはほぼ皆無で予め印刷されたものがほとんどです。
「御城印」は中央に城館名と城(藩)主の家紋を入れており、右側に「難攻不落」などのキャッチフレーズ?を
入れる場合が多いようです。
忍城の御城印は今回が第3弾となりますが、第1弾は御三階櫓のイラストの上に歴代城(藩)主の家紋4種を重ね
たものでした。
今回の第3弾は、白河藩、忍藩、桑名藩『三方領知替』ということで三藩の城主の家紋を入れたものです。忍藩は
6代続けて老中を出していましたが、この三方領知替以降は老中に就く者はありませんでした。

本来なら新しい御城印を入手(購入)してその写真を載せたいところですが、御城印入手を待っていたらいつに
なるかわかりませんので、100名城・続100名城スタンプを載せておきます。



続日本100名城118 忍城 スタンプ     行田市郷土博物館(御三階櫓〔模擬〕)入館券

城 名:忍城(おしじょう)
所在地:行田市本丸
格 式:親藩・譜代  ※太字が親藩
城 主:5家17人
    深溝松平家 1代 ・東条松平家 1代 ・大河内松平家 1代 ・阿部家 9代 ・奥平松平家 5代
指 定:埼玉県指定旧跡 名称「忍城跡」 昭和38年(1963)8月27日指定
選 定:続日本100名城 118 「忍城」 平成29年(2017)3月 公益財団法人日本城郭協会選定


日本100名城19 川越城 スタンプ     川越城本丸御殿入館券 ※川越城本丸御殿は現存4御殿の一つ

城 名:川越城(かわごえじょう)
所在地:川越市郭町
格 式:親藩・譜代  ※太字が親藩
城 主:8家21人
    酒井(雅楽頭)宗家 1代 ・酒井(雅楽頭)別家 2代 ・堀田家 1代 ・大河内松平家 3代 ・
    柳沢家 1代 ・秋元家 4代 ・前橋松平家 7代 ・松井松平家 2代
指 定:埼玉県指定史跡 名称「川越城跡」 大正14年(1925)3月31日指定
選 定:日本100名城 19 「川越城」 平成18年(2006)4月6日 公益財団法人日本城郭協会選定



川越城の御城印に使われている「丸に三つ葉葵」紋の入った鬼瓦。記事にある出土品でありませんが川越城本丸
御殿のいずれかの場所で使用されていたもの。川越藩主8家のうち「丸に三つ葉葵」紋を家紋にしていたのは歴
代藩主家のうち唯一の親藩で、徳川家康の次男結城秀康を家祖とする前橋松平家(大和守)だけです。


本丸御殿前に立てられた歴代藩主の名が入った幟のうちの松平大和守家7人の幟
この写真では全部の名は読めませんが、奥から歴代順に「松平大和守朝矩」・「松平大和守直恒」・「松平大和
守直温」・「松平大和守斉典」・「松平典則」・「松平大和守直侯」・「松平大和守直克」

新田金山城跡の御城印(群馬県太田市)

2021年05月31日 | 御城印


日本城郭協会選定の日本100名城のひとつ『金山城』(群馬県太田市)の御城印を、太田市立史跡金山城
跡ガイダンス施設で頂いて(購入して)きました・・・300円
金山城の説明書もついています。




金山城跡は過去2回攻城していますので今回は体の状況等も考慮して攻城はしませんでした。
   『金山城再攻城』←クリックで記事にリンク




とは言え、全く城跡を無視してくるわけにはいきませんので、ガイダンス施設の道向かいの斜面にある
「桜ノ井戸」を攻略? この大手口石塁の標柱のある所を上がってすぐの場所に




「桜ノ井戸」説明板




「桜ノ井戸」




折角、史跡金山城跡ガイダンス施設まで行きましたので御城印だけでなく「不落の城 新田金山城ガイド
ブック」も併せて購入してきました。

購入日:令和3年(2021)5月20日(木)

深谷城の御城印(埼玉県深谷市)

2021年05月09日 | 御城印


【深谷城】の御城印を購入してきました。何度も行っている深谷城跡ですが、今回も少しだけ散策してき
ました。
「深谷城跡」(深谷市本住町)は、埼玉県指定旧跡で、現在「深谷城址公園」として整備されています。
公園周囲には、堀、石垣、白壁塀が廻っていますが、城址公園として城の雰囲気を持たせたもので復元で
はありません。
御城印は、深谷上杉氏の家紋「竹に雀」を中央に大きく配したものです。




御城印は、深谷城跡の道向かいにある「深谷生涯学習センター ・深谷公民館」(深谷市仲町)内の物産館
で販売しています。
この深谷生涯学習センター ・深谷公民館は、現在、地元出身の渋沢栄一を主人公にしたNHk大河ドラマ
【青天を衝け】のドラマ館として使われています。




販売されている御城印は
 〇 青天を衝け 深 谷 城   〇 上杉兵部小輔房顕  深 谷 城 (春限定品)
 〇 青天を衝け 木 瓜 城   〇 上杉兵部小輔房顕  木 瓜 城 (春限定品) ※木瓜城とは深谷城の別名
の4種類 (このうち上の写真の3種類を購入してきました 本当は1枚で十分なのですが)
他に御城印とは呼べませんが
 〇 青天を衝け    上杉房顕   〇 徳川御三卿  一橋慶喜 
 〇 正二位勲一等子爵 澁澤榮一  〇 道徳経済合一 渋沢栄一 
というものも販売していました。  価格:各440円
NHK大河ドラマ『青天を衝け』にちなんで、こうした何種類のものを販売しているのでしょうが、御城
印とは何なのかと考えてしまいます・・・と言いながら《限定》の言葉にのってしまい3枚も買ってきて
しまったこの矛盾

購入日:令和3年(2021)4月26日(月)


杉山城の御城印(埼玉県嵐山町)

2021年05月01日 | 御城印


続日本100名城のひとつで国指定史跡 比企城館群跡【杉山城】の『御城印』が、4月1日より「嵐山町ス
テーションプラザ嵐なび」で販売が始まったとのことでしたので購入してきました。価格500円
御城印紙は、和紙でなく洋紙が使われており、山内上杉氏の家紋の「竹に雀」が中央に大きく配置され、
【国指定史跡 比企城館群跡 続日本百名城 杉山城】と入っています。




武蔵嵐山駅西口、嵐山町ステーションプラザ嵐なび(らんなび)




今回も杉山城跡を散策して来ました。
杉山城は、高度な築城技術により、「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」、「築城の教科書」とも言われま
す。
また、後北条氏の築城か山内上杉氏の築城かという「杉山城問題」でも有名ですが、発掘調査の出土品か
ら山内上杉氏の築城の可能性が高いと考えられるようになりました。
しかし、それを裏付ける記録はなく確定ではありません。




杉山城跡には何度も訪れていますが、文化財めぐりのメンバーとして参加した時以外はほとんど人に会う
ことはありませんでした。
今回は、入れ替わり立ち代わり登城者が訪れており、相当数の方が訪れたようです。駐車場には県外ナン
バーの車も見られました・
もしかしたら、3月30日(火)に放映されたNHKの「日本最強の城スペシャル第8弾」に、この杉山城も
紹介され、興味を持った方が多かったのではないかと・・・

購入日:令和3年(2021)4月24日(土)

鉢形城の御城印(埼玉県寄居町)

2021年04月27日 | 御城印


日本100名城のひとつで国指定史跡【鉢形城】の『御城印』が、4月1日より鉢形城歴史館で販売が始ま
ったとのことでしたので購入してきました。価格300円
御城印紙は、寄居町に隣接する小川町と東秩父村で漉かれている世界ユネスコ無形文化遺産の『細川紙』
が使われています(厳密には細川紙自体が無形文化遺産に登録されているのではなく、細川紙を漉く手漉
き和紙技術が登録対象ですが)
デザインは、後北条氏の家紋【三つ鱗】、鉢形城主北条氏邦の印判【翕邦挹福(きゅうほうゆうふく)】
と【櫓門】で、【天然の要害 国指定史跡 鉢形城】とあります。




緑が眩しい鉢形城二の曲輪の堀跡 右下の小さな写真は玉淀河原から見た本曲輪の崖

購入日:令和3年(2021)4月23日(金)

大築城の御城印(埼玉県ときがわ町)

2020年07月28日 | 御城印


大築城(おおつくじょう)は、比企郡ときがわ町と入間郡越生町にまたがる城跡ですが、主郭が
ときがわ町分にあることなどから所在地はときがわ町と表示されているようです。
残念ながら私はまだ攻城しておらず、大木戸を見てきた程度ですので大築城訪城記念の御城印を
いいただいて(購入して)よいのか分りませんが・・・
大木戸の写真の中にある大木戸の由来の駒札の説明文を挿入しておきます。

この大築城跡は県指定の史跡や旧跡はおろか町指定の史跡にもなっていないのが現状です。




『大築城跡』御城印と説明書  説明文は下記

〇大築城について
大築城跡はときがわ町の大築山(標高465メートル)の山頂部を中心に戦国時代の占地する
山城です。最高地点の主郭を中心に周囲の斜面には郭やそれを結ぶ通路、防備のための空堀な
どが良好に残っています。また登城路の途中には、モロドノ郭と呼ばれる出城的な場所も存在
し、この遺構も良好に残ります。城跡はコース整備がされており比較的容易に城跡内を巡るこ
とができ、主郭からの眺めも素晴らしく山城の醍醐味を堪能できる埼玉県有数の城跡といえま
す。
大築城は、小田原北条氏の家臣、松山城主の上田朝直が関東屈指の大寺院であった天台宗関東
別院慈光寺を攻略する拠点として使用したとの伝承もあり、現在の残っている資料等から推測
して天文年間後半に北方5キロメートルにのぞむ慈光寺を焼き討ちした際の拠点であったもの
と考えられています。
城跡の周囲には、遠見、馬場、硯水、大木戸などの地名が今でも残っています。

◎御城印デザインについて
埼玉県下有数の中世城郭遺構である大築城跡の実測図をベースに、城跡の規模と大きさと山城
の要害性の高さを表すべくデザイン化を図りあわせて城主であった上田氏の家紋を配しました。

◇和紙について
和紙の歴史は1300年、673年慈光寺が開基されて以降、この地は文化と産業の中心とな
り、建具やお茶、紙漉きも盛んになりました。御城印・御寶印には、原料となる国産の武蔵楮
を用い、ときがわ町で全て手漉きにて仕上げた貴重な逸品です。
                          ときがわ町観光協会

頒布価格800円




国指定史跡とか県或いは町指定史跡といった肩書がありませんので・・・

小倉城の御城印(埼玉県ときがわ町)

2020年07月27日 | 御城印


ときがわ町観光協会では、7月23日(木)から国指定史跡比企城館跡群『小倉城』と、対慈光寺
攻略の城であった『大築城』の御城印を同町西平地内の建具会館で頒布を始めましたので購入し
てきました。
2城の御城印の他に「慈光寺」の『御寳印』の頒布もありましたが、これについては購入見合わ
せとしました。
写真は、小倉城の御城印のデザインのモチーフとなった緑泥片岩の石垣と小倉城阯碑。
小倉城については過去2回攻城しています。

この国指定史跡比企城館跡群『小倉城』の史跡範囲は、ときがわ町・嵐山町・小川町の3町に跨
って指定され告示されていますが、その大部分がときがわ町分であり、主郭等もときがわ町分に
あることなどから所在地はときがわ町とされます。




ときがわ産の武蔵楮(こうぞ) を使用した手漉き和紙による「御城印」と同封の小倉城と和紙につ
いての説明書
頒布価格800円は手漉き和紙ということを考えれば仕方ない値段か・・・




手漉き和紙の雰囲気が少しでも分かればと・・・

『大築城』の御城印は次の更新で載せます

忍城の御城印(埼玉県行田市)

2020年01月22日 | 御城印


公益財団法人 日本城郭協会により、平成29年(2017)3月31日に選定され、4月6日の「城の日」に発表された
『続日本100名城』の一つに選ばれた【忍城】で、お城の朱印状とも呼ばれる「御城印」を頂ける(購入でき
る)ということで頂いて(購入して)きました。
呼び方は「御城印」以外にも、「登閣記念印章」「登城記念御朱印」「城郭符」「御城朱印」等色々あるようで
すが、忍城にあっては「御城印」を使っているようです(ホームページで確認)
現在、こうした御城印を頒布している城郭は209程あるようですが、一部無料の所を除いて、200~300円で頒
布しているところが大半です。また、社寺の御朱印と違って御朱印帳に手書きしてもらうものではなく、印刷物
になっています。
埼玉県内では、ここ忍城と菅谷城(菅谷館)の2か所のみで頒布されていますが、更に増えることを期待します。




「行田市郷土博物館」(忍城御三階櫓)で、1月18日に購入してきました。
他に、「観光情報館 ぶらっと♪ぎょうだ」でも購入できるようですが、御城印ですからお城に行って
購入することに意義ありと・・・




忍城の由来





忍城の御城印は、忍城御三階櫓のイラストの上に歴代城主の家紋、更にその上に忍城と書かれた形のものです。
折角ですから、遊んでみました。
御三階櫓の写真は、御城印のイラストとほぼ同じ方向から撮ったもの。
家紋は、御城印に押されている順番で並べてみました。
実際の歴代藩主の順番は、家紋順ではなく、下記のとおりです。

◎成田氏
  成田氏は、地武蔵国成田郷(現・熊谷市上之)に居館を構えて成田氏を名乗りましたが、十五代親泰が、延徳
  元年(1489)に忍城の忍大丞を攻め滅ぼし、延徳3年(1491)忍城に移り、以後、忍は、豊臣秀吉の小田原征
  伐で開城するまで成田氏の治めるところとなりました。

◎深溝・東条松平氏
  後北条氏滅亡後、関東に入った徳川家康は忍城に四男の松平忠吉を10万石で入れました。しかし、忠吉は11歳
  という幼年であったため、松平家忠(深溝松平氏(ふこうずまつだいらし))が1万石で入りました。

◎大河内松平氏
  寛永10年(1633)、松平信綱が3万石で入る。信綱は老中に昇進して島原の乱鎮圧では総大将として幕府軍を率
  いて乱を鎮圧し、寛永16年(1639)にはその武功により武蔵川越藩6万石に加増移封。

◎阿部氏
   松平信綱の後を阿部忠秋が5万石で入る。文政6年(1823)9代正権のとき、阿部家は陸奥国白河藩へ移封。

◎奥平松平氏
  阿部氏に代わって伊勢国桑名藩より奥平松平忠堯が10万石で入る。第5代藩主・忠敬は明治2年(1869)の版籍
  奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で忍藩は廃藩、代わって忍県が設置された。

登城日:令和2年(2020)1月18日(土)