公益財団法人 日本城郭協会により、平成29年(2017)3月31日に選定され、4月6日の「城の日」に発表された
『続日本100名城』の一つに選ばれた【忍城】で、お城の朱印状とも呼ばれる「御城印」を頂ける(購入でき
る)ということで頂いて(購入して)きました。
呼び方は「御城印」以外にも、「登閣記念印章」「登城記念御朱印」「城郭符」「御城朱印」等色々あるようで
すが、忍城にあっては「御城印」を使っているようです(ホームページで確認)
現在、こうした御城印を頒布している城郭は209程あるようですが、一部無料の所を除いて、200~300円で頒
布しているところが大半です。また、社寺の御朱印と違って御朱印帳に手書きしてもらうものではなく、印刷物
になっています。
埼玉県内では、ここ忍城と菅谷城(菅谷館)の2か所のみで頒布されていますが、更に増えることを期待します。
「行田市郷土博物館」(忍城御三階櫓)で、1月18日に購入してきました。
他に、「観光情報館 ぶらっと♪ぎょうだ」でも購入できるようですが、御城印ですからお城に行って
購入することに意義ありと・・・
忍城の由来
忍城の御城印は、忍城御三階櫓のイラストの上に歴代城主の家紋、更にその上に忍城と書かれた形のものです。
折角ですから、遊んでみました。
御三階櫓の写真は、御城印のイラストとほぼ同じ方向から撮ったもの。
家紋は、御城印に押されている順番で並べてみました。
実際の歴代藩主の順番は、家紋順ではなく、下記のとおりです。
◎成田氏
成田氏は、地武蔵国成田郷(現・熊谷市上之)に居館を構えて成田氏を名乗りましたが、十五代親泰が、延徳
元年(1489)に忍城の忍大丞を攻め滅ぼし、延徳3年(1491)忍城に移り、以後、忍は、豊臣秀吉の小田原征
伐で開城するまで成田氏の治めるところとなりました。
◎深溝・東条松平氏
後北条氏滅亡後、関東に入った徳川家康は忍城に四男の松平忠吉を10万石で入れました。しかし、忠吉は11歳
という幼年であったため、松平家忠(深溝松平氏(ふこうずまつだいらし))が1万石で入りました。
◎大河内松平氏
寛永10年(1633)、松平信綱が3万石で入る。信綱は老中に昇進して島原の乱鎮圧では総大将として幕府軍を率
いて乱を鎮圧し、寛永16年(1639)にはその武功により武蔵川越藩6万石に加増移封。
◎阿部氏
松平信綱の後を阿部忠秋が5万石で入る。文政6年(1823)9代正権のとき、阿部家は陸奥国白河藩へ移封。
◎奥平松平氏
阿部氏に代わって伊勢国桑名藩より奥平松平忠堯が10万石で入る。第5代藩主・忠敬は明治2年(1869)の版籍
奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で忍藩は廃藩、代わって忍県が設置された。
登城日:令和2年(2020)1月18日(土)