城 名:五覧田城(ごらんだじょう)
別 名:五乱田城
形 態:山城 標高593m・比高300m
指 定:市指定史跡(平成4年(1992)6月22日指定)
所在地:群馬県みどり市東町萩原(旧勢多郡東村)
【五覧田城址】
五覧田城は、沼田方面からの敵の侵入に備え築城された戦国時代の山城で、戦略的な要衡として、越後の上杉謙信、
新田金山城(太田市)の由良氏、深沢城(桐生市黒保根町)の阿久沢氏による争覇の舞台となりました。
天正2年(1574年)3月に、小田原北条氏について由良氏を攻めるため、沼田方面から進出した上杉謙信により
攻略されましたが、、同年9月には由良成繁により奪い返されています。また、天正12年に、成繁の子国繁が小田
原に軟禁されると、当地の支配を約された阿久沢氏により五覧田城は攻略されています。
その後も、渡良瀬川上流部の黒川谷の領有をめぐって、由良氏と阿久沢氏の抗争が続きましたが、小田原北条氏の裁
定により、最終的には阿久沢氏の領有となりました。
その後の五覧田城は、阿久沢氏が小田原北条氏方として豊臣秀吉の小田原攻めに対抗したため、天正18年(159
0年)に廃城となったと考えられます。
海抜5592.9m、史跡としての指定面積は面積23.4ha、現在は三の丸とされる場所が五覧田城址公園として季節
には、ツツジ、ソメイヨシノ、山桜や夏椿が咲き乱れ、遠くは富士山の望める景勝の地となっています。
(みどり市HPより引用)
わたらせ渓谷鉄道とほぼ並行して走る国道122号線の道端に〈五覧田城址〉の名の入った、この案内標識を初めて
目にしたのは2009年(平成21年)8月末のことでした。「ここにも城跡があるんだ!」と興味を持ったものの
即、城攻めとはいきません。またここを通る機会があり、余裕があったら攻めてみようかと・・・
それから2年と2か月を経過した2011年(平成23年)10月末、日光市の某施設への往復でこの道路を使うこ
とになり、その帰り道に念願の五覧田城攻めを実行に移したのです。山城跡ではありますが、頂上近くまで車で行け
るという僅かな予備知識をこの時は持っていたからです。
案内標識に従って・・・
御影石の立派な標識です 道路はしっかりしているようです
更に進むと分岐点となり、左が「関守口」方向(写真では口しか入っていませんが) 右が「高橋口」方向
左に行くか右にするか(車で行けることは調べてあっても、どちらが良いのかまでは調べてありませんでした・・・甘い)
結局、よくわからないままに関守口」方向に進んでみました。
しばらく進むと「関守口登山口」の標識(思いっきりぶれた写真で失礼)
その傍らには先ほどの分岐点にあったものと同じ案内板があります
しかし、ここは徒歩での登山口ですので更に車を進めました。
林道程度の道が続きますが、一面に草が繁茂する道です。その草も車の窓下くらいまで伸びていました。
進むには進めそうなのですが、最近、車が通ったような痕跡がありません。不安がよぎって来ました。
すでに気持ちは城攻めどころではなくなり、車を回転できる適当な場所を探して、来た道を戻って来た次第です。
ということで、見事に城攻めは断念。つまり、失敗に終えました。何回かに1回はこんなことがあります。
きちんと下調べをしておかないからだと言われれば確かにその通りです。
五覧田城址の再攻城は今のところ全く考えておりません。できる状態でもありませんし・・・
攻城(失敗)日:2011年(平成23年)10月29日(土)