
深谷市役所の西側で深谷市深谷町3-81に所在する「西通寺」と言う寺院に、深谷城主上杉氏憲の重臣杉田因幡の墓があるとのことで訪ねてみました。

天正18年(1590)の小田原征伐のおり、後北条氏の傘下であった深谷城主上杉氏憲は小田原城に詰めていたため、深谷城は重臣の秋元長朝、
杉田因幡が守備していたが、前田利家らの深谷城攻めに際し、城下を戦禍から守るため、杉田因幡は前田利家らの許に軍師として赴き城を明け渡した。
開城後、秋元長朝は隠棲ののち徳川家康に仕え、秋元氏は館林6万石の大名で幕末を迎えた。
一方、因幡は深谷の町に土着し、町の年寄りとなり、家康から永代名主を与えられた。

山門に架かる「西通寺」の寺額(扁額)

本堂

本堂に架かる「天下和順」の扁額
本堂出入り口のガラス戸には寺紋の「三つ葉葵紋」 徳川幕府から寺領16石の受けているので三つ葉葵紋を寺紋としているようです。

鐘楼

本堂裏の墓地内にある杉田因幡の墓 杉田因幡墓所の標柱の右側にある宝篋印塔
散策日:2017年(平成29年)5月27日(土)