四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

杉田因幡の墓-西運寺-(埼玉県深谷市)

2017年05月31日 | 史跡・遺跡・文化財


深谷市役所の西側で深谷市深谷町3-81に所在する「西通寺」と言う寺院に、深谷城主上杉氏憲の重臣杉田因幡の墓があるとのことで訪ねてみました。




天正18年(1590)の小田原征伐のおり、後北条氏の傘下であった深谷城主上杉氏憲は小田原城に詰めていたため、深谷城は重臣の秋元長朝、
杉田因幡が守備していたが、前田利家らの深谷城攻めに際し、城下を戦禍から守るため、杉田因幡は前田利家らの許に軍師として赴き城を明け渡した。

開城後、秋元長朝は隠棲ののち徳川家康に仕え、秋元氏は館林6万石の大名で幕末を迎えた。
一方、因幡は深谷の町に土着し、町の年寄りとなり、家康から永代名主を与えられた。




山門に架かる「西通寺」の寺額(扁額)




本堂




本堂に架かる「天下和順」の扁額
本堂出入り口のガラス戸には寺紋の「三つ葉葵紋」 徳川幕府から寺領16石の受けているので三つ葉葵紋を寺紋としているようです。




鐘楼




本堂裏の墓地内にある杉田因幡の墓  杉田因幡墓所の標柱の右側にある宝篋印塔

散策日:2017年(平成29年)5月27日(土)

上杉憲賢室高泰姫の墓-高台院-(埼玉県深谷市)

2017年05月30日 | 史跡・遺跡・文化財


高台院と言うとすぐに思い浮かぶのが豊臣秀吉の正室ねねの法名である高台院ですが、
深谷市役所のすぐ北側(深谷市田谷308)に曹洞宗の寺院で「高台院」と言うのがあるのを知りました。
探し物のために深谷市役所周囲を回っていたところ、当寺の前の案内板に「上杉憲賢室高泰姫の墓」の文字を見たものですから、それではと・・・




高台院門前の「深谷城主上杉憲賢公 ・ 室 高泰姫 ・  墓所 高臺院」と刻まれた石標




高台院の由緒が記された案内板
上杉氏と言うと深谷市とは縁が深いようですが、上杉〇〇はとにかく多くてとても頭に入りません。
山内上杉家の山内憲顕の実子山内憲英が庁鼻和(コバナワ)城を築き(現在の国済寺)庁鼻和上杉を名乗り その曽孫上杉房憲が深谷城を築き深谷上杉を称した。
上杉憲賢(のりかた)は、山内憲英から数えて6代目・深谷城主3代目です。
憲賢の室高泰姫の出自等は不明ですが、元亀4年(1573)2月6日に没しているようです・
7代憲盛の代に後北条氏の傘下となったが、小田原征伐により後北条氏が敗れたことにより、豊臣秀吉に所領を奪われています。




高台院は正式には、深谷山高台院永明寺で、憲賢の菩提を弔うために、高泰姫が永禄4年(1561)に再興され、
高泰姫の名に因み「高台院」と称するようになったとありますが、元は高泰院としたが、「泰」を「台」とあらためたようです。




山門と山門に架かる「深谷山」の山号額(扁額)




本堂




「高臺院」の扁額 と 深谷上杉氏の家紋「竹に二羽飛び雀」(竹に雀)




鐘楼




深谷上杉氏の墓所
後方に見えるのが深谷城築城のとき城の鎮守として祀った永明稲荷社と土塁
この高台院のある場所は深谷城の西曲輪があったところです




中央の宝篋印塔が高泰姫の墓  右側の宝篋印塔が上杉憲賢の墓  左側の碑は墓誌




土塁と永明稲荷社

散策日:2017年(平成29年)5月27日(土)

平忠度の墓-清心寺-(埼玉県深谷市)

2017年05月29日 | 史跡・遺跡・文化財


源平一ノ谷合戦で岡部六弥太忠澄(おかべ・ろくやた・ただずみ、生誕不詳〜1197)に討取られた平忠度
(たいらの・ただのり、1144〜1184)の墓があるという深谷市萱場地内に所在する清心寺を訪ねてきました。
平忠度とは、伊勢平氏の棟梁である平忠盛の六男で、平清盛の異母弟であり、文武に優れた武将との評判です。岡部六弥太忠澄に討ち
取られた経緯については色々なところで皆さんが書かれていますので省略しますが、討取った岡部六弥太忠澄が、戦後、忠度の死を悼み、
自分の館に近いこの地に忠度の墓を建て、菩提を弔ったということです。正確には墓でなく供養塚(供養塔)のようです。

兵庫県明石市に「忠度塚」と言うのがあり、此処が平忠度の墓と伝えられ、また、神戸市長田区に「腕塚」と「胴塚」があるようです。




門前にある「史蹟 平忠度之墓」石碑




山門をくぐってすぐの左手に築地塀で囲まれた供養塔(五輪塔)があります




この説明板にも書かれているよう、清心寺境内に供養塔が建立されたのではなく、その後の戦国期に供養塔がある場所に清心寺が建立されたようです。






供養塔(五輪塔)




清心寺本堂




「石流山」の山号額




鐘楼と忠度桜
忠度桜の元の木は、枯れてしまい、その後、新しい若木、

諱が「ただのり」であることから、忠度の官名「薩摩守」は無賃乗車(ただ乗り)を意味する隠語として使われる場合がありますが、
ICカード時代になりましたので、「薩摩守」の隠語も忘れられていくかもしれませんね。

散策日:2017年(平成29年)5月27日(土)

道の駅 おかべ Ⅱ

2017年05月28日 | 道の駅


深谷市岡(旧大里郡岡部町)にある「道の駅おかべ」に行ってきました。この「道の駅おかべ」は、1996年(平成8年)4月16日の第5回登録のひとつで
埼玉5番目の道の駅で、つい最近、開業20周年を迎えたばかりです。まあ、5番目の道の駅とか創業20周年とかは全く意識せずに行ってきたのですが・・・




この日、イベントがあることも知らずに行ったわけですが、何とイベントがあり、深谷市のマスコットキャラクター「ふっかちゃん」も姿を見せていました。
「ふっかちゃん」の右にいるのは、深谷市と友好都市の提携を結んでいる静岡県藤枝市のJAおおいがわのマスコットキャラクター「まんさいくん」




「まんさいくん」と藤枝茶のPRのおねえさん




埼玉県警察のマスコットキャラクター「ポポ美ちゃん」(左)と「ポッポくん」(右)
「ポポ美ちゃん」は一人で踊りまくっていました(シラコバトがモチーフだから一羽と呼んだ方がいいのか?)




全員並んで記念撮影




埼玉県警察音楽隊の演奏




「道の駅おかべ」の記念きっぷ。目的はこれでした。道の駅おかべ創業20周年と言うことで裏面はそのコメントです。
ここ「おかべ」に限らず切符の裏面デザインは1000枚(500枚)単位で変えているようです。

訪駅日:2017年(平成29年)5月27日(土)

道の駅 いちごの里よしみ Ⅱ

2017年05月25日 | 道の駅


5月21日(日)、「道の駅 いちごの里よしみ」に行ってきました。
「道の駅の駅 いちごの里よしみ」は、2004年(平成16年)8月9日の第20回登録の道の駅のひとつで、「埼玉15番」。
開業は翌2005年(平成17年)2月からで、比企郡吉見町大字久保田1737番地に所在し、登録路線は埼玉県道27号東松山鴻巣線となっています。

普段なら駐車場がいっぱいで空きスペースを探すのに一苦労するのですが、この日は日曜日であったにも関わらず、猛暑であったためか訪れていた人が少なく、
駐車場もかなりの空きがありました。数え切れないほど行っている「道の駅 いちごの里よしみ」。今回は「道の駅記念きっぷ」の購入と言うそれだけの目的でした。




道の駅構内に設置の自動販売機には、「道の駅 いちごの里よしみ」スタンプのデザインが入ったものが2台ほどありました。
但し、このスタンプのデザインは旧のスタンプのものですね。現在のスタンプは、切符にも使われている女の子のキャラクターが入ったものですから。




吉見町の汚水(下水)マンホールカバーのデザインは、吉見百穴と埴輪をデザインしたものが使われています。そのカラー版が、この「道の駅 いちごの里よしみ」
構内だけに使われており、町中のものはすべてモノトーンのものです(自身が道の駅構内で確認できたカラー版のものは2ヶ所でした)




発券番号は6000番台でしたが、写真は加工してあります。15番目の道の駅で「イチゴ」とは語呂合わせにぴったりの良い番号ですね(偶然?)
裏面のイラストの三重塔は岩殿山安楽寺の三重塔をイメージしてですね。吉見百穴はそのままですね。
右側の女の子のキャラクターは、「道の駅の駅 いちごの里よしみ」スタンプに使われているキャラクターですね。

散策日:2017年(平成29年)5月21日(日)

道の駅 はなぞの Ⅲ

2017年05月23日 | 道の駅




昨年12月から改修工事に入っていた「道の駅はなぞの」が工事を終えてリニュアルオープンしたのは約1月前の4月29日(土)でした。
更に、5月20日(土)には、深谷市のイメージキャラクター「ふっかちゃん」のグッズを一堂に集めて販売する「ふっかちゃんミュージアム」が、
この「道の駅はなぞの」の2階にオープンしました。改修期間中にも何度も行ってはいましたが、本日、そんな新装なった「道の駅はなぞの」に行ってきました。
これが新装になったメイン施設「アルエット」です。






こちらの写真は改修前の昨年10月24日に撮ったものです。改修後の上の写真と比較していただければ変わったところが分るかと思います。




国道沿いにある櫓形の広告塔も塗り替えられています。改修前(左)と改修後(右)




「ふっかちゃんミュージアム」前では「ふっかちゃん」が写真撮影に応じてくれていました。皆さん「ふっかちゃん」と並んで写真を撮っていましたので、
中々ひとりになる瞬間がなくやっとの思いで・・・




折角ですから「道の駅はなぞの記念切符」を購入してきました。

散策日:2017年(平成29年)5月23日(火)

道の駅めぬまアグリパークバラ園

2017年05月20日 | 花・鳥・風景


今年も道の駅めぬまのバラ園に行ってきました。1年振りかと思っていたら、昨年は秋のバラを観に行っていましたので半年ぶりということになりました。
天候が良かったこともあるのでしょうが、沢山の方がバラを愛でに来ていました。花の匂いを楽しんでいる方も・・・












































埼玉の三偉人のひとり「荻野吟子」さんの像を今年も・・・




今回は、道の駅の切符も購入してきました。別にコレクションしているわけではありませんが記念にと。

散策日:2017年(平成29年)5月19日(金)

寄居北條まつり2017

2017年05月14日 | まつり・イベント


豊臣秀吉による小田原攻めが始まったのは1590(天正18)年のことである。本城である小田原城は10数万余の兵に囲まれ、支城は次々と落とされていった。
北條氏邦の鉢形城も同年5月13日、豊臣方の前田利家・上杉景勝ら北国勢35000(その後、加勢を得て50000)に包囲され、鉢形勢は城兵3500をもって
籠城したが、1か月後の同年6月14日、城兵・領民の助命を条件に開城し、氏邦は前田利家の預かりの身となり、金沢の地で没した。

奇しくもその翌日である本日、そんな豊臣軍と鉢形勢の攻防戦を再現した戦国絵巻「第56回寄居北條まつり」が開催されましたので見学に行ってきました。
戦国合戦や武者行列などと言った戦国まつりの見学は、一昨年のこの「寄居北條まつり」以降全くありませんでしたのでほんとに久しぶりになりました。
但し、膝が悪化の一途をたどっておりますので、行列等の追いかけなどはできず、定地点でほんのわずかな見学となってしまいました。




寄居北條と言えば「北条安房守氏邦公」ですが、その氏邦公には町議会議長が毎年扮しています。




井上三河守隊  井上三河守とは氏邦の家臣で永田城代を務めた武将のようです。




小田原北條手作り甲冑隊の皆さん




滝の城隊の皆さん
滝の城跡は所沢市にあります。氏邦公の兄で八王子城主北条氏照公が守備した城ですね

他にも色々な隊がパレード(行軍)しました。一昨年あたりまでは事業所や団体名が入った幟がほとんどでしたが、
今年は武将名中心の幟が多くなっていました。昨年あたりから変わったのでしょうか?




玉淀河原に設けられた舞台に勢ぞろいの大将と旗持ち。
一昨年まではこの舞台の前に各隊が並んだのですが、今年は舞台の裏の方に集まっていました。
武者隊のパレードを含め、まつりの演出がだいぶ変わったようです。




三献の儀




攻防戦の開始です
















たいして歩かなかったのに帰りは完全に膝に来てしまい、歩くのも少しづつ・・・また暫くは出かけられないでしょう

見学日:2017年(平成29年)5月14日(日)

五大尊つつじ公園

2017年05月03日 | 花・鳥・風景


ゴールデンウィークですが遠出が出来る状態ではありません。かと言って家の中に籠ってばかりはいられません。
近場でよいからちょこっとだけと越生町の五大尊のつつじを観に行ってきました。
「五大尊花木公園つつじ祭り」は4月22日(土)から5月7日(日)までのようで、3日(水)は、
不動明王像が12年に1度の御開帳の日に当たっていたようですし、稚児行列も行われたようです。
このことは行ってみて初めて知ったわけで、前もって知っていれば早い時間に出かけて稚児行列も観れたのでしょうが。
まあ、いつもの思い付きでのお出かけですから・・・






























五大尊のつつじを観に行こうと決めたのは2日の晩でしたが、なんと当日3日の朝、依田さんが五大尊つつじ公園からお天気情報を。

散策日:2017年(平成29年)5月3日(水)