四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

川越市立博物館(埼玉県川越市)

2009年12月20日 | 資料館・博物館


「川越城」攻めのついでに、入館料200円也を支払い『川越市立博物館』に入館。ほとんど見ることなく入口から出口まで直通、ものの5分も館内にはいなかった。
以前見たものと変わりはなかったし、入館した本当の目的は別のところにあったからである。駐車場を利用するために入館証明の判が必要だったから。
「以前」とはいつだったかこのときは定かな記憶がなかったので帰宅してから調べてみた。なんとなんと奇しくも17年前である1992(平成4)年の12月19日の
土曜日であり、同じ日、同じ曜日であった。日にちはともかく曜日まで同じだったとは。曜日が同じになるのは何年かに一度でしょうから正に恐るべき偶然でした。
こんなことは全く意識せず入館したのに・・・17年前のパンフレットと今回のパンフレットを見比べてみた。表紙の文字が横から縦に変っていることと、
写真の一部が入れ替わっているだけで内容はほとんど変わりないものであった。まあ、入館料も変っていませんでしたが。

散策日:2009年(平成21年)12月19日(土)        

日本百名城  川越城(埼玉県川越市)

2009年12月20日 | 日本100名城


昨19日、八王子市の「滝山城」攻めが予想外に早く終えてしまいましたのでその足で引き続き、日本百名城のひとつ『川越城』を攻めてきました。
『川越城』と言っても遺っている建物は「本丸御殿」だけで、他に地名としての「郭」がある程度です。






 この写真、ちょっとおかしくないですか? 実は写真を写真に撮ったものなのです。『本丸御殿』は昨20年から2年半の予定で保存修理工事に
入っており、現在、建物にはシートで覆われていてその姿は見られません。周囲は囲いが設けられ、この囲い(塀)に、この本丸御殿の写真や
御殿内の状況等の写真が大きく表示されており、折角訪れた人ががっかりしないような配慮がなされております。この『本丸御殿』は数え切れない
くらい見てきました。ある時期は毎日のようにでしたが、中を見学したのはたった一度しかありません。それも40年前のことです。
 そんな何度も目にし、更に修復中で見られないものをなぜ見に行ったか・・・まあ、偏屈爺のことですから。




散策日:2009年(平成21年)12月20日(日)          

滝山城跡(東京都八王子市)

2009年12月19日 | 続日本100名城
■ 国指定史跡 滝山城跡



 寄居町にある「鉢形城跡」に登城したあと、この鉢形城と同様に豊臣秀吉の小田原攻めによって落とされた北條一族の居城であった「八王子城」跡に
登城しないと話にならないと考え、二週前に八王子城跡を攻めてみた。すると、八王子城の城主であった北條氏照がこの八王子城を築城する前の
居城であった『滝山城』(八王子市)にも登城しなければということになる。そこで本日の城攻めとなった。滝山城から八王子城築城の経緯等は
専門家(?)のHPやブログにお任せすることとしよう。

 実は、八王子城跡を訪ねたあと、この『滝山城』跡も攻めて帰ろうと寄ったのである。しかし、愛馬を待たせて置く場所がなく登城口を確認する
だけで終えてしまっていた。 そんなことから帰宅後あらためて調べてみたが愛馬を繋いでおける場所は用意されてないことがはっきりした。
 それならば電車とバスで行くしかないと、その方向で計画していたが、電車と言ってもディーゼル機関車で途中駅まで行き電車に乗り換えるという
実に複雑なJR線なのである。さらに連絡が悪ければ時間がかかるだけである。
 愛馬で行っても裏の手を使えばよいのだがちょっと気が引けた。そこで、登城口から約2キロ離れた某所まで愛馬で行き、そこから徒歩で向かうこととした。

 前置きが長くなったが、いくつかある登城口のうち、左の写真の中の右側の登城口から入った。理由は省略しますが、実はここから入ったのは失敗であった。




『滝山城』は比高80mの平山城で、国指定史跡となっており、現在は城跡一帯が「都立滝山公園」となっている。




「信濃屋敷跡・刑部屋敷跡」




「喰違い虎口」






「喰違い虎口」から暫く歩くと「中丸」、「本丸」に至る。中丸跡は公衆トイレも設置され見るからに公園である。
以前はここまで車を乗り入れられたようであるが、今は各登城口に進入禁止の柵が設けられているので無理。






中丸と本丸を結ぶ「引橋」です。








本丸跡です。隅の方に「大井戸」があります。また、写真は載せてありませんが、ここには現在「霞神社」が建っています。




「千畳敷跡」






「空堀」、「小宮曲輪跡」です。空堀は大変大きなものです。

「これらを見ながら下城しましたが、下りたところは最初の写真の左側の看板がある所。

今回も満足な登城記を書けませんが、まだまだ修行の身ですから・・・

散策日:2009年(平成21年)12月19日(土) 続日本100名城選定前       

小鹿野の『鉄砲まつり』

2009年12月13日 | まつり・イベント








寒さの厳しい秩父地方ですから余分に着込んで出かけました。小鹿野町の『鉄砲まつり』を見るために。
 
このまつりは、同町飯田の八幡神社例大祭で あるが、火縄銃が使われる祭りであることから『『鉄砲まつり』と言われる由。









 
参道脇に置かれた張り出し屋台では「小鹿野歌舞伎」が演じられていた。驚くことなかれ、演じているのは地元の若衆である中学生たちである。









 
畑では、「火縄銃の演武」が行われた。当然のことながら演武が行われる前に、出陣式と神社へのお参りがなされた。
 
演武は地元の「小鹿野町火縄銃保存会」の面々。そして、ここにも「川越藩火縄銃鉄砲隊」が援軍で。
この「小鹿野町火縄銃保存会」発足にあたり指導したのが「川越藩火縄銃鉄砲隊」とのこと。今回、演武には参加しておりませんでしたが、
文明の利器を携えて記録に徹していた「川越藩火縄銃鉄砲隊」(獅子の会)の右筆方である外記殿とお会いしましたのでちょっとお話をさせていただきました。






二頭の神馬です
この神馬がそれぞれ参道から社殿下の急な石段を駆け上がる時、参道両側に陣取り猟銃をハンターと火縄銃保存会の方々が
空砲を撃つのがこのまつりのハイライト。これを見たくて来る人が大半・・・わたしもそのひとり。








いよいよ大名行列の始まりです。これを見たいばかりに早い時間から場所取りをして待っていた人が沢山。私も1時間半くらいは待っていたでしょうか。
しかし、それとて満足に見えません。見てくださいこの人の波。とても写真など撮れませんでした。

このあとも行事は続いたのですが、これを見終えて帰路につく人が多く(私を含め)、駐車場から出るにも大変な有様でした。

来年も行っちゃおうかな!!

散策日:2009年(平成21年)12月13日(日)             

八王子城跡(東京都八王子市)

2009年12月06日 | 日本100名城
■ 国指定史跡 八王子城跡



国指定史跡であり日本100名城のひとつである八王子城跡は訪ねてみたい城跡のひとつであった。
ただ、近場の城跡数ヶ所を登城してからになるだろうからちょっと先になる予定であったが、ここに来て急に行きたい気持ちが強くなり本日登城と相成った。








予備知識では、城域が広いから一日かけて見て歩く覚悟と登山姿が必要とあった。そんなことから朝早く出発した。
途中、変なところに迷い込んだがどうにか予定通りに着いた。 ここ八王子城跡には、ボランティアのガイドがいる。
登山が主か城跡見学が主かは分からないが登山姿の年配のグループが何組かあったほかに家族連れの登山者が何人もいた。
これまでいくつかの城跡めぐりをしたが、これほどの人数と出会ったのは初めてであった。
まずは復元の「曳橋」へと向かう。橋を渡り「虎口」へ。








石垣と石段の虎口を上がりと「冠木門」である。冠木門をくぐると広大な曲輪の「御主殿跡」がある。




御主殿跡




御主殿の滝




山頂(本丸跡)を目指します  ここは金子丸(曲輪)




9合目あたりからの眺望




八王子神社




本丸跡(頂上)
本丸跡は小さな(狭い)曲輪であり、この八王子城の主たる曲輪は「御主殿」ではなかっただろうか?

今日は随分と時間をかけて歩いてみたが、見落とし(見つけられなかった)がだいぶあったし、行けなかった城域もある。機会を見て再訪しよう。

散策日:2009年(平成21年)12月6日(日)