四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

講演会「律令期の深谷周辺 ~幡羅・榛沢群家を中心に~」

2025年03月05日 | 講演会・講座

本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
第5回本庄早稲田の杜地域連携展覧会「古代の児玉・深谷地域」関連講演会 第3回
 律令期の深谷周辺 ~幡羅・榛沢群家を中心に~
 日 時:令和7年3月1日(土) 午後1時30分~午後3時
 会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)
 講 師:知 久 裕 昭 氏(深谷市教育委員会)
 内 容
  1. 律令制の導入
  2. 地方行政あり方
  3. 官衙とは」
  4. 幡羅郡家跡(幡羅官衙跡)
  5. 榛沢郡家跡(熊野・中宿遺跡)
  6. 幡羅・榛沢郡を中心に分布する暗文坏
  7. 古代の交通路
  8. まとめ
を聴講してきました。



いつものとおり講演会会場は3階です
講演会場・状況の写真は今回もありません(禁止)


講演会終了後、企画展「古代の児玉・深谷地域」会場において講師・知久 昭氏によるギャラリートーク
が行われました

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【参 考】

本講演会の主題でもあった幡羅郡家跡(幡羅官衙遺跡跡群) 右の森の辺りが西別府祭祀遺跡(熊谷市)


榛沢郡家跡・中宿遺跡(旧岡部町)


講演の中で触れられた日本最大の郡庁跡で国指定史跡「上野国新田郡家跡」(群馬県太田市)
標柱には「上野国新田郡庁跡」と刻まれていますが、平成20年(2028)7月28日に国の史跡に指定された
時の名称で、平成27年(2015)10月7日の追加指定と名称変更で現在の「上野国新田郡家跡」となってい
ます



講師・知久 裕昭氏の著書「武蔵国幡羅郡から見た古代史」 2018年1月30日発行
発行とほぼ同時に購入しましたがまだ少し読んだだけ・・・ゴメンナサイ



幡羅遺跡や榛沢遺跡に関する企画展のパンフレットとガイドブック
これら企画展当時に頂いたものでなく、最近の企画展会場等においてバックナンバーとして頂いたもの


聴講日:令和7年(2025)3月1日(土)

雉岡城発掘速報パネル展

2025年03月04日 | 企画展・見学会

雉岡城発掘速報パネル展
期 間 :令和7年2月4日(火)~4月13日(日)
会 場 :本庄早稲田の杜ミュージアム 交流ひろば (本庄市西富田)
時 間 :午前9時~午後4時30分
休館日 :月曜日(休日の場合は翌日)
入館料 :無料


本庄市児玉町八幡山に位置する県指定史跡雉岡城跡(きじおかじょうあと)。別名「八幡山城」
雉岡城は戦国時代初期に関東菅領山内上杉氏によって築かれ今でも城内に大規模な土塁や堀が残
されています。現在は、「城山公園(しろやまこうえん)」と呼ばれ、憩いの場として親しまれてい
ます。
当時の城の様子は記録が少なく、その歴史はまだ解明されていない点も多くある雉岡城ですが、令
和6年12月から本庄市初となる本格的な発掘調査がスタートしました。今回の調査に関連して、発
掘速報パネル展が開催されていますので観覧してきました。



交流ひろば内の模様  ミニ企画展に使われる室です<
写真パネルのアクリルに周りの景色が映りこんでしまい見づらいものがあります。/span>


雉岡城発掘速報パネル展開催文  史跡「雉岡城」について


古写真からみた雉岡城


《大正時代の雉岡城。東側の堀から金毘羅神社に向けて撮影したものと考えられます。》
金毘羅神社の前には芭蕉句碑「むざんやな、甲の下の、きりぎりす」が建立されています。



《昭和42(1967)年の雉岡城。南西部に塙記念館を建設している写真です。》
こうして建築された塙記念館ですが今は取り壊され、現在は別の場所に建てられています。



日本古城絵図  東海道之部 武州八幡山城


地籍図 八幡山地区 雉岡城と町並み        地籍図 八幡山地区 雉岡城


復元図と雉岡城   雉岡城跡の現地案内図ではこの復元図が使われています


福田家文書と雉岡城


欠年 「絵図(雉岡城趾・陣屋趾亀絵図」『福田家文書』  
             1815(文政12)年8月 「古城亀絵図(雉岡城趾絵図」『福田家文書』



発掘調査と雉岡城   南ノ郭 北東斜面


上:南壁断層 上層     下:南壁断層 下層


左:北東部   右上:かわらけ出土状況   右下:断面(北から)


交流ひろば 奥から入口方向に

2月19日(水)、22日(土)には雉岡城跡で発掘現場見学会がありましたので、しばらく雉岡城跡に行
っていなかったこともあって見学会に参加を予定していたものの事情ありで行けませんでした 残念!


観覧日:令和7年(2025)3月1日(土)

企画展「城ってなんだ」

2025年03月03日 | 企画展・見学会


埼玉県立嵐山史跡の博物館
企画展 城ってなんだ
会期:2025年1月11日(土)~3月2日(日) 終了
会場:埼玉県立嵐山史跡の博物館
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「お城ブーム」と言われる近年、多くの人々が城を訪れるようになりました。観光、学習などの面で、城
は一層人々の興味をひく存在となっています。
中世に城が出現して以降、社会の中で担った役割は時代を経るごとに少しずつ変化してきました。城とは
どのような場所だったのか、研究はどう進められてきたのか、現地に残る遺構をどう読み取るかなど、城
をより楽しく深く理解するためのポイントを紹介します。

                           《企画展「城ってなんだ」チラシ裏面から》
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を観覧してきました。
展示は、 
 プロローグ
 第1章 「城」を構える
  1 中世前期の城ー城と館の関係
  2 戦国時代の城ー築かれ方と使われ方
 第2章 「城」を調べる
  1 江戸時代の城郭研究
  2 近現代の城郭研究
 第3章 「城」を掘る
  1 発掘された城ー比企地域を中心に
  2 小規模な城郭
 エピローグ
からなり、100資料約260点の出土品や絵図(パネルも含む)、書物等が紹介されていました。
事情があって会期末に2日続けての閲覧となりました。
展示品についてはほんの数点の紹介に留めておきます。



観覧料を支払って展示室に・・・


展示室に入るとまずは畠山重忠公が迎えてくれます・・・音声あり


あいさつ


展示パネル 左から【プロローグ】・【城郭関係用語】・《城跡の遺構の名称図》・
                 【第1章 城を構える】・【城の出現】 内容は省略します



城跡の遺構の名称図


写真パネル:阿津賀志山防塁(福島県国見町)
左:和名類聚正抄(わみょうるいじゅうしょう)  右:吾妻鏡(あずまかがみ)九巻



写真パネル:太平記絵巻 巻第二   右下:絵入太平記 剣巻共


南北朝時代の城館     千早城跡(大阪府千早赤阪村)    霊山城跡(福島県伊達市)
             関 城跡(茨城県筑西市)       瓜連城跡(茨城県那珂市)
             小田城跡(茨城県つくば市)     大宝城跡(茨城県下妻市)



【武士の本拠】  【文献から見る築城】  【築城に伴う儀礼の実際】


写真パネル  上:北条氏房判物(豊島・宮城文書)  下:北条氏邦定書写(武州古文書十二)


第2章「城を調べる」


上:士鑑用法    下:甲陽軍鑑 九之下


師鑑抄


右写真パネル:金沢昨推定地の遠景(秋田県横手市)


城築規範(武州菅谷城)


城築規範(武州松山城)


後三年合戦絵詞・中巻(摸本)


左:埼玉の城館跡    右:埼玉の中世城館跡


【第3章 城を掘る】 菅谷館跡(菅谷城跡)-館から城へー   杉山城跡  「山城の教科書」


杉山城跡出土品


小倉城跡 -山城と「聖地」 独特な石積みー


小倉城跡出土品


松山城跡ー地域の中心であった城郭ー 
 【県内他地域の城郭】 鉢形城跡ー大名権力と在地の技術ー  騎西城跡ー戦いの痕跡が色濃く残るー



松山城跡出土品


加須市・騎西城跡出土品


小規模の城の用途とは?


縄張図作成用具


現地見学・調査時の服装  調査前・調査時のポイント
※城郭の書物を多数出している某先生に山城へ行くときは赤い上着がよいと教えられて用意したものの
着る機会がありません



企画展「城ってなんだ」図録(¥300-) ・ 展示資料一覧

観覧日:令和7年2月27日(木)・28日(金)

ロビー展「空から見た中世城館」

2025年03月02日 | 企画展・見学会

埼玉県立嵐山史跡の博物館 ロビー展
 空から見た中世城館
期 間:1月11日(土)から3月2日(日)まで
会 場:嵐山史跡の博物館ロビー(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
入館料:無料(展示室に入室する際には観覧料が必要)
を観覧してきました。
いつもなら開催早々に観覧しに行くのですが、今回は事情があって開催終了間際の観覧に。しかも2日続
けてとなってしまいました。
空から城跡を見る機会などありませんで、展示の写真と説明文を借用してブログアップします。





空から見た中世城館の位置図です。

左側にロビー展で展示の写真と説明文を、右に自身が訪ねて撮った写真の中から1枚(主に本郭跡)と
簡単な補足説明を載せておきます。未訪問の所が何カ所かありますが・・・

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比企郡の城館跡

  腰越城跡(小川町)                           埼玉県指定史跡『腰越城跡』  写真は本郭
槻川が屈曲する地点の丘陵上に位置し、小倉城跡(ときがわ町)と同様           囮虎口がある      
の立地です。東西の谷筋がよく見通せ、川に沿った交通を押さえる目的
があったと考えられます。



  青山城跡小川町)                           埼玉県選定重要遺跡『青山城跡』 (別名:割谷城跡) 本郭
城域は写真の中央にあり、北側に現在の小川町市街地を望む丘陵上に位            所々に石積みが見られる 
置します。東に小倉城跡、西に腰越城跡などを見通すことができるため、
これらと連絡しながら周辺地域を抑える拠点として使われたと考えられ
ます。



  青鳥城跡(東松山市)                          埼玉県指定史跡『青鳥城跡』  ※青鳥=おおどり
南北に通っているのは関越自動車道で、東松山ICの西側に位置します。             本郭虎口?  右は「県指定史跡 青鳥城址」碑
写真中央やや下にある方形の本郭を中心にして、北側をニの郭が取り囲
んでいます。更に北側には三の郭があったと考えられていますが、現在
は残っていません。



  大築城跡(ときがわ町)                         史跡指定なし 『大築(おおづく)城跡』
写真中央左側の山頂に位置しています。北側に向けて眺望がよく、周辺         復元された「大木戸」。 ここは大築城の下を通る街道にあたり、  
の集落や約4km離れた山上の慈光寺をはっきり見ることができます。          街道の監視のために大木戸が置かれたと伝わる。
松山城の上田氏が慈光寺を攻めるために築いたという伝承が残ります。


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入間郡の城館跡

  河越館跡(川越市)                           国指定史跡『河越館跡』 石碑「河越館跡」の背後にあるのは土塁
入間川に隣接しており、鎌倉時代の御家人河越氏の館がありました。         館跡内にある常楽寺には源 義経の正室郷御前(京御前)の供養塔が建立
戦国時代には山内上杉氏の陣所として使われました。現在も戦国時代の        されています。
土塁が残っており、発掘調査の成果をもとに史跡公園として整備されて
います。



  大堀山館跡(川越市)                          埼玉県指定史跡『大堀山館跡』
東西に横切る太い道は圏央道です。東西、南北とも焼く200mの方形で、        伝鎌倉街道上道に隣接する県内最大級の方形館跡
三重の堀と土塁に囲まれています。周辺には宮前館跡、戸宮前館跡などの        二度ほど散策しましたが、見てのとおり木々生い茂っていて遺構確認が
館跡が密集していますが、いずれも記録や伝承がなく城主などの来歴は不        難しい。
明です。



  城山砦跡(狭山市)                           埼玉県選定重要遺跡『城山砦跡』  本郭
入間川に面する台地の縁辺に位置します。土塁や堀に囲まれた本郭と2         この写真の右側は崖で、下は左の写真の下に写っている住宅街となって
の郭だけが残っています。16世紀の前半、河越城を巡る戦いの中で築か         います。

れたと考えられています。

    【未訪問】
  根古谷城跡(所沢市)                          埼玉県指定史跡『根古谷城跡』
現在は狭山湖(ダム湖)の北側に所在しますが、元々は丘陵の上に位置         郭・土塁・空堀などの遺構が、ほぼ完全な姿で保存されている稀少な
していた城郭です。水道関係の施設があるため立入禁止で詳細は不明で         城跡ですが、山口貯水池(狭山湖)区域内に属し、東京都水道局管理
すが、小田原北条氏の時代の築城と考えられています。                のため見学はできません 。



  難波田城跡(富士見市)                         埼玉県指定旧跡『難波田氏館跡』
扇谷上杉氏の家臣、難波田氏ゆかりの城郭です。荒川右岸の低地に位置         本城跡に建立されている「難波田氏館趾」碑
します。現在、城跡には資料館があり、発掘調査で確認された郭と堀の         復元された城跡ゾーンと移築された古民家ゾーンがあり、難波田城公園
一部が復元整備されています。                           となっています。



  滝の城跡(所沢市)                           埼玉県指定史跡『滝の城跡』   本郭跡
南側に柳瀬川を望む台地の縁に位置します。本郭には仁神社が建ってお         城山神社があります。写真に写っているのは石碑「瀧之城本丸之趾」、
り、城跡の主要部分はよく残っています。大石氏による築城で、養子と         「滝の城跡説明板」
なった北条氏照の時代に、現在住宅地となっている外郭が拡張されたと
推定されています。


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秩父郡の城館跡

  諏訪城跡(秩父市)                           埼玉県選定重要遺跡『諏訪城跡』 
荒川と横瀬川が合流する地点の崖上に位置し、鉢形城跡と同様の立地で         「秩父風土記」や「秩父志」に城主は北条氏邦家臣諏訪民部と伝える。
です。2つの川と堀を3辺とした三角形の縄張りである点も共通です。          本郭跡に鎮座する「諏訪神社」
川を監視する役割が推定されています。



  天神山城跡(長瀞町)                          史跡指定なし 『天神山城跡』
荒川を直下に見る丘陵上に位置し、藤田氏によって築城されたと伝わっ         昭和45年(1970)に観光目的で本郭跡に建てられた模擬天守。
ています。花園城、鉢形城などと並び、地域の主要な城郭でした。本郭         倒産で放置されたままになっています。城マニアのみならず廃墟
にはかつての開発で建てられた模擬天守が残ることでも有名です。           マニアにも注目されています。


    【未訪問】
  熊倉城跡(秩父市)                           史跡指定なし 『熊倉城跡』
文明8年(1476)から始まった「長尾景春の乱」の際に、景春が籠った
「日野城」であると考えられています。集落がある荒川周辺から少し奥
まった山頂に位置し、平坦面を堀切で区画した比較的簡単な構造です。


    【未訪問】
  日尾城跡(小鹿野町)                          小鹿野町指定史跡『日尾城跡』
写真中央やや右の山頂に所在します。北条氏に反抗した秩父地域の土豪         
の拠点として史料に見えます。上野国(群馬県)との境界付近に位置し、
北条氏のは配下となった後は、武田家に対する備えを担ったと考えられ
ています。


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大里郡の城館跡

  鉢形城跡(寄居町)                           国指定史跡『鉢形城跡』 
長尾景春、関東管領上杉顕定の拠点となった後、小田原城主北条氏政の        三の郭と復元された四脚門
弟、北条氏邦の居城として大きく整備されました。川の合流地点の崖を        日本100名城18「鉢形城」
利用した立地で、川から採取した石材を用いた石積が特徴的です。史跡
公園として整備されています。



  花園城跡(寄居町)                           埼玉県選定重要遺跡『花園城跡』
写真中央に写る荒川沿いの丘陵上に所在しており、鉢形城と天神山城の        本郭跡
間に位置しています。ふもとに広がる平坦地は藤田氏の本拠であったと
推定され、15世紀中頃と推定される館跡が発掘調査されてています。


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その他の遺跡など

  鎌倉街道上道(毛呂山町)                       国指定史跡『鎌倉街道上道』 
街道が越辺川を越える地点です。写真中央付近付近には中世「苦林宿」        鎌倉街道B遺跡 川角・大類の掘割遺構
と考えられる遺跡があり、寺院などと共に街道沿いの景観を作り上げま
した。写真奥に見える丘陵を越えて、当館の東側を通り抜けていたと考
えられます。



  慈光寺(ときがわ町)                          慈光寺山門と阿弥陀堂(本堂)
源 頼 朝らの信仰も篤かった。天台宗の寺院です。かつては山中に多く                              
の僧坊があったと伝わっており、現在は平場が残っています。多くの
文化財があり、文化財の宝庫とも呼ばれています。


    【未訪問】
  円照寺(入間市)
元加治駅の近くにあり、武蔵武士・加治氏の菩提寺でした。周辺は加治
氏の本拠地でした。元弘3年(1333)の銘を持つ板碑があり、鎌倉
幕府滅亡の日に戦死した加治家定を供養したものです。


観覧日:令和7年2月27日(木)・28日(金)