荒砥城は今から約400年前に、この地を治めていた村上氏の一族である「山田氏」によって築かれた城で、郭が連なるように並んでいるところから
『連郭式山城』と呼ばれています。 この時代は、全国各地で戦が繰り広げられていた戦国時代という時代です。この地も例外ではなく、荒砥城と千曲川を
はさんだ対岸の山頂に築かれた葛尾城の城主村上義清は、上田原の戦い(1548年)や戸石城の戦い(1550年)では武田信玄との戦に勝ち、領地を守っ
てきましたが、武田氏の圧倒的な軍勢の前に、1553年ついに葛尾城は落城し、荒砥城もこの戦いで城主を失い、山田氏は滅亡しています。
その後、川中島の戦い(1553年~1564年)を経て荒砥城は上杉氏の治める城となりますが、海津城の副将であった屋代秀正は上杉に背き、海津城を
出て荒砥城に篭ります。1584年、上杉軍に攻められ荒砥城は落城して廃城となり、城としての役割を終えます。 (入場時に頂いたパンフレットから)
案内所
長野県千曲市(旧上山田町)にある『荒砥城跡』(千曲市城山史跡公園)の案内所前に着いたのは午前8時を数分回った頃であった。公園の開園は午前9時で
入場料を徴収されるということは全く頭になかった(調べていなかった)ので、閉ざされた門を目の前にして考えてしまった。やっと辿り着いたのに、出直すと
いうのにはためらいがあったし、雨が降る中を1時間待つのも大変であった。どうしようかとしていたところ門の内側に人の姿が、そして門が開けられた。
案内所の職員であったが、門の外に人の気配がしたので驚いたとのことであった。そりゃそうですよね。雨の降るこんな早い時間にお客さんが来ているとは
想像だにいていなかったでしょうから。ということで、開園時間には未だあったが入場料300円を支払い特別に入園を許可してもらった。
「入城」と書きたいところなのですが、公園であるので入園。でも、券は「入場券」
四の郭
三の郭から見上げた井楼櫓
二の郭虎口の矢倉門と石積み
虎口を入ると郭への通路は石積みに囲まれています
二の郭の兵舎と井楼櫓
兵舎
二の郭の兵舎は映像室・展示室となっていますが、年譜等に混じり、大河ドラマ「風林火山」のロケ地に使われた時の写真が展示されています。
私は、大河ドラマ「風林火山」を観たことはなかったし、このことも知りませんでしたが、放送後は、この荒砥城跡にどっと見物客が訪れたそうです。
井楼櫓から二の郭、本郭を
井楼櫓から上田市方面を望む
この城山の下は、戸倉上山田温泉街。そういえば、慰安旅行で来たことがあった。まだ千曲市になる前の話ですが。
本郭虎口の矢倉門と石積み(二の郭とほぼ同じですね)
矢倉門から郭に行く通路
館と兵舎(手前)
建物はいずれも模擬建物(パンフレットでは「再現」という用語を使用)です。また、石積み等に対して疑問を呈している方もおりますが、
中世の山城とはこんなものだったんだろうなと思えるだけでも十分です。
攻城日:2010年(平成22年)5月23日(日) しとしと降っていました。