四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

鉢形城 日本最強の城ならず!

2021年09月24日 | 城郭関係テレビ番組


7月20日(月・祝)午後7:30からNHK(総合)テレビで放送された
   日本最強の城スペシャル 第9弾
を観てみました。

 今回は、
  高知城(高知県)  国指定史跡 現存天守・御殿 日本100名城84
  新発田城(新潟県) 市指定史跡         日本100名城31
  鳥取城(鳥取県)  国指定史跡         日本100名城63
  鉢形城(埼玉県)  国指定史跡         日本100名城18
  岡崎城(愛知県)  市指定史跡         日本100名城45
の5城が登場(城)し、出演者(高橋英樹 春風亭昇太 村井美樹 山本彩 千田嘉博)によって
この中から最強の城を選ぶというものでした。

結果、今回の最強の城に選ばれたのは高知城で、残念ながら地元の鉢形城ではありませんでした。
春風亭昇太さんだけなら絶対に鉢形城を選んだでしょうが、土の城には興味がなく、建物のある城
には中途半端に詳しい、大物とされるゲストがいましたので鉢形城は最強にはなれませんでした。
高知城は好きなお城のひとつでその素晴らしさも知っていますので無論異義はありませんが。
正直、高知城はお城ファンでなくても知っている城ですが、鉢形城は建物があるわけではなく(復
元した四脚門はありますが)高石垣があるわけでもない土の城で、城郭愛好者以外には馴染みのな
い城ですから(以上はあくまでも思い込みの私感です)

残念ながら、鉢形城と高知城は何度も行っていますがそれ以外の3城は未攻城ですし、諸々の事情
からこの先行く機会もないでしょう。




放送された上の映像と同じようなアングルの写真を探してみましたら今年4月に撮ったものの中に
ありました。

前回の第8弾(3月20日放送)でもやはり埼玉から「山城の教科書」といわれる杉山城がエントリー
され、この時、昇太さんはスタジオ参加ではなく杉山城からの参加でした。
この時も、そして今回も「この辺りはいい山城が沢山あるんです」旨を熱く語ってくれました。
ただ、この番組にエントリーされるだけのテレビ向け要素がないので第10弾以降で埼玉の城の登場
は難しいでしょうね。

城下町へ行こう 高知

2012年07月04日 | 城郭関係テレビ番組


今夜10時から放送されたBS朝日の「歴史発見 城下町へ行こう」を観てみました。今回は「高知」でした。

高知といえば高知城であり、番組冒頭で高知城が紹介されたのは言うまでもありませんが、この番組名の通り単に城の紹介ではなく、城下町としての紹介番組です。
土佐高知を治めてきたのは山内家であるにもかかわらず、ことあるごとに出てくるのが山内一豊が移封されてくるまで土佐を治めていた長宗我部元親とのかかわりでした。

龍馬の銅像が建つ桂浜、鰹のたたき、長宗我部元親の銅像など、高知ならではの内容であり、料理ならきっとこのお店かと予想した「料亭濱長」も登場しました。
高知駅前のよさこいおもてなし隊も登場し、踊っていたのは「須賀連」でしたが「いちむじん」と代わったのでしょうか?

この番組を観て、”今年も行きたい高知の城下へ”の想いが一層深まったような

投稿日:2012年(平成24年)7月4日(水)          

歴史秘話ヒストリア 長宗我部元親

2012年05月17日 | 城郭関係テレビ番組


戦国武将としては伊達政宗や真田幸村等が人気あるが、ニューヒーローとして、長宗我部 元親が、今、人気を集めているようである。
その要因となっているのは「戦国無双」、「戦国SABARA」といった戦国ゲームの影響らしい。そこに描かれているヒーローたちは
みんな「格好いい」らしい。自身は、これらのゲームを知らないので詳しいことは分らないが。
そんな長宗我部元親を、昨晩のNHKテレビ「歴史秘話ヒストリア」で扱っていた。他のことをしながらチラチラと見た程度であり
内容は頭に入っていないので、後日、録画したものをゆっくり見てみたい。
長宗我部元親といえば土佐の武将であるが、山内一豊の入封により長宗我部家は土佐を追われたという因縁の仲。
土佐・高知では、代々土佐を治めてきた土佐山内家の祖一豊より長宗我部元親の方が人気があるらしい。その理由は分るが。
そんな長宗我部元親に、私は昨夏、高知の城下でお会いしました。
そんなわけないだろうって・・・いいえ、ここに証拠の写真が  




確かに長宗我部元親でしょう・・・  

投稿日:2012年(平成24年)5月17日(木)          

ザ・今夜はヒストリー 人気№1の戦国武将!真田幸村

2012年05月16日 | 城郭関係テレビ番組




今夜のTBSテレビ「ザ・今夜はヒストリー」は、人気№1の戦国武将!”真田幸村”と、父真田幸隆が関ヶ原の戦いにおいて西軍につき、
兄真田信幸が東軍につくに至ったヒストリーでした。 親子兄弟が敵味方に分かれざるを得なかったには戦国時代の複雑な人と人との
関係があったようです。しかし、裏を返せば、敵味方に分かれるということは、どちらかが勝者側になるわけであり、真田氏自体は生
き延びることが出来ます。さすが知略の真田と言われただけはあります。

過日、寄居北條まつりにおいて、信州上田真田陣太鼓の打奏を目の前にしてきたばかりであって興味深く観られました。
そして、いつもの如く再現場面に使われた場所はどこか?知っている場所だろうかと見ている自身がいました。 父幸隆が孫の顔を見たく、
兄信幸の正室小松姫のいる沼田城に立ち寄るシーンがあったが、この沼田城に見立てて使われていたのは、茨城県坂東市の逆井城の望楼
(模擬)でした。 他に使われた建物等はどこのものか分りませんでしたが。

お前は一体この番組のどこを観ているの? と言われそうですね。 

放送日:2012年(平成24年)5月16日(水)            

今夜のヒストリーは江戸城

2012年02月08日 | 城郭関係テレビ番組




今回の「ザ・今夜はヒストリー」は、前回の続編とも言える~大奥大改革~でした。吉宗は江戸の財政難を打破するために聖域の大奥にも手を付け、
大奥の中から美人50人を集めさせこれらに暇を出した。何故美人を? 「これだけの器量であれば良縁に恵まれるであろう」ということであった。
つまり、誰構わずに暇を出して大奥にかかる費用を削減したのではなく、暇を出される御女中の先のことまで考えてであったということである。
また、吉宗にまつわる女性の話も面白く紹介していた。

さて、私が楽しみにしている再現場面に使われる場所であるが、今回は屋敷内(スタジオ)の場面だけで城跡等での再現場面はなく、城の画像が使われたが
何処かの城跡を江戸城に見立ててではなく江戸城そのものが使われていた。最初はどこかとすぐにはわからなかったが、よく見ると平川門であった。
調べてみると、この平川門は大奥に最も近い門で大奥の女性たちの通用門であったとの由。それを踏まえて平川門の画像を使ったのか? それともただの偶然・・・ 

投稿日:2012年(平成24年)2月8日(水)           

今夜のヒストリーは忍城

2012年02月01日 | 城郭関係テレビ番組




今夜8時からのTBSテレビ「ザ・今夜はヒストリー」は、~徳川吉宗 将軍就任~ということで、徳川御三家のひとつ紀州藩主徳川吉宗が八代将軍になるまでを面白く解説してくれた。
それと共に、再現場面にどこの城跡なり屋敷が使われるかも興味を引くものであったが、今回は江戸城に見立てて使われたのが行田市の忍城でした。映像が流れた瞬間に忍城だとわかりました。

ところで、昨年3月に発生した東日本大震災に配慮し公開延期になっている、この忍城が題材ともいえる映画「のぼうの城」は今秋封切られるのでしょう。

投稿日:2012年(平成24年)2月1日(水)           

今夜のヒストリーは鉢形城

2012年01月18日 | 城郭関係テレビ番組




TBSテレビの番組に「ザ・今夜はヒストリー」というのがある。歴史上の出来事(戦国時代の戦いを扱ったものが多いようだが)を
再現映像を交え面白く解説してくれる。今夜は、”織田信長”の全てがわかるSPと題して19時から2時間に渡り放映された。内容は、
武田勝頼との長篠の戦いが主であったが、この再現場面に使われたのは日本100名城のひとつである「鉢形城」(埼玉県寄居町)であった。
実は今回に限らず、この鉢形城がロケに使われることが何度かある。そんなことから、今夜はどこを使ってロケをしたのだろうと別の楽しみもある。
これまでロケに使われたところで、私が見てすぐにわかったところでは、茨城県坂東市の「逆井城」、埼玉県富士見市の「難破田城公園」内の
旧大澤家住宅。それと埼玉県行田市の「忍城」(僅かしか見なかったので自信がないが)である。さて、次回は、「~徳川吉宗 将軍就任~」であるが、
果たしてどこをロケ地に・・・私の知っているところなら面白いが。
                                 
投稿日:2012年(平成24年)1月18日(水)           

日本の城ミステリー紀行 犬山城

2011年06月04日 | 城郭関係テレビ番組


【犬山城の沿革】

犬山城は、天文6年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。戦国時代なので、
その後何代も城主が代わりましたが、1600年(慶長5年)の関ヶ原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。
小牧長久手合戦(1584年)の際には、豊臣秀吉は大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた
徳川家康と戦いました。江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正成が元和3年(1617年)城主となってからは、
成瀬家が代々うけついで明治にいたりました。 明治4年(1871年)9代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、
櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の
付櫓などひどく壊れました。それを修復する条件で再び成瀬家所有の城となりました。その後、伊勢湾台風でも被害を
受けましたので昭和36年から昭和40年(1965年)まで4年間かけて解体修理が行なわれました。
昭和10年(1935年)国宝に、昭和27年規則改正にともない改めて国宝に指定されました。国宝の犬山城、彦根城、
姫路城、松本城の四城のなかでも、最も古い城であります。平成16年4月、財団法人「犬山城白帝文庫」が設立され、
城の所有者は個人から財団法人になりました。       (パンフレット 「国宝犬山城」より引用)  

本日4日午後4時30分からのBS朝日「日本の城ミステリー紀行」(再放送)は、国宝犬山城でした。
先週放送された「彦根城」同様に、最近訪城したばかりの城ですので、訪城したときのことを思い出しながら見ていました。
今更言うのもおかしいですが本当に素晴しい城ですね。 

投稿日:2011年(平成23年)6月4日(土)          

日本の城ミステリー紀行 彦根城

2011年05月29日 | 城郭関係テレビ番組


昨28日(土)午後4時30分からBS朝日で「日本の城ミステリー紀行 彦根城」が放送(再放送)された。
残念ながらこの時間帯は外出中であったため録画しておき本日見てみた。この彦根城は国宝4城のひとつであり、TV等で紹介されることが多く、
同じBS朝日の「日本の城紀行」、BS-TBSの「栄華を極めた名城」等でも紹介されている。また、城郭関係の書籍・雑誌にも必ず出てくる
お馴染みの城である。私自身、1月ほど前に訪城したばかりであり、訪城前に見た感覚とはまた別の感覚で見ている自身があった。   

投稿日:2011年(平成23年)5月29日(日)           

日本の城ミステリー紀行 松本城

2011年04月23日 | 城郭関係テレビ番組


本日午後4時30分からのBS朝日「日本の城ミステリー紀行」(再放送)は『松本城』でした。
この国宝・松本城は一昨年の9月に訪城しましたが、城内見学するには数時間待たねばならない状況で行ったのが遅かったこと
もあり待つだけの時間はなく堀の外から城の姿を見るだけに終えてしまいました。そんな苦い思い出のある松本城でしたから
テレビの映像をしっかり見てみました。この城も機会あれば再訪城したいものです。 

投稿日:2011年(平成23年)4月23日(土)