四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

企画展関連講座「埼玉古墳群と河川」

2021年07月31日 | 講演会・講座


埼玉県立さきたま史跡の博物館主催
さきたま講座 企画展関連講座「埼玉古墳群と河川」
講 師: 山 田 琴 子 氏(埼玉県立さきたま史跡の博物館 主任学芸員)
日 時: 令和3年(2021)7月31日(土)13:30~15:30  
会 場: 埼玉県立さきたま史跡の博物館 2階講堂 (埼玉県行田市埼玉)

を聴講してきました。

内容は
 1. はじめに
 2. 埼玉古墳群の立地
 3. 河川の流路
 4. 周辺の遺跡
 5. ものの移動
  ① 土器(須江器、土師器)
  ② 埴輪
  ③ 石材
 6. ものの移動が意味すること

新型コロナウイルス感染防止の観点から聴講者も通常の半数に減らしての講座で質疑応答はなし




企画展「運ぶ―埼玉古墳群とモノの動きー」のポスターが貼られたさきたま史跡の博物館と講座資料

聴講日:令和3年(2021)7月31日(土)

関根家の芭蕉句碑(埼玉県東松山市)

2021年07月29日 | 歌碑・句碑


句 : 名月の 花かと見えて 綿畠
    (めいげつの はなかとみえて わたばたけ)     

出 典: 『続猿蓑』 元禄7年(1694) 芭蕉51歳の時の句
所在地:埼玉県東松山市上野本 関根宅 
建立年:明治28年(1895)4月 芭蕉の二百回忌を記念して建立
建立者:関根家の先祖
備 考:当時の野本村では畑一面に綿花が栽培されていたようです




【碑陰】
 何とか読もうとしましたが苔がだいぶ生えていますので読めませんでしたが、
 最後の建立年月だけはどうにか判読できました。




梨畑の中に句碑は建立されていました。最初はどこにあるのかわからず諦めて離れたのですが、ど
うしても気になって再度行って探したところ、最初に探した場所と90度方向が違っていました。
(家の方には許可を頂きました)

散策日:令和3年(2021)6月3日(木)

熊谷スポーツ文化公園のひまわり(埼玉県熊谷市)

2021年07月27日 | 花・鳥・風景


某ブログに熊谷スポーツ文化公園のひまわりが紹介されていました。
それなら行ってみようと・・・
ひまわりは同公園の『彩の国くまがやドーム』入り口まえに咲いていました。背丈のない小さな
花のひまわりです。




彩の国くまがやドーム入り口前の模様です。
ひまわりだけではありません。マリーゴールドやムクゲも咲いています。
















マリーゴールド




この紫の花の名は?




ムクゲ






ひまわりとは少し離れた場所(陸上競技場フェンス脇)に咲く百日紅

ドームの前だけでなく、公園内をあちこち歩けばもっと多くの花に出会えたのかもしれませんが、
炎天下の中を広大な公園内を歩くわけにはいきませんでしたので・・・

散策日:令和3年(2021)7月26日(月)

妻沼小島 遠藤ファームのひまわり畑(埼玉県熊谷市)

2021年07月26日 | 花・鳥・風景


埼玉県熊谷市妻沼小島(旧大里郡妻沼町大字小島)地内の「遠藤ファームのひまわり畑」を見に
行ってきました。
利根川を挟んで南は埼玉県熊谷市で北は群馬県太田市ですが、「遠藤ファームのひまわり畑」が
あるこの妻沼小島地区は刀水橋を渡って太田市内に中にある熊谷市の飛び地なのです。
  「“熱いぞ!太陽の花”ひまわり迷路で誰かを笑顔に!」
のキャッチフレーズで、遠藤ファームさんが妻沼小島地内に14カ所程度のひまわり畑を無料開放
とのことですが、この場所以外はちょっと分りませんでした。






















散策日:令和3年(2021)7月26日(月)

畠山重忠パネル展(埼玉県深谷市)

2021年07月24日 | 企画展・見学会


  畠山重忠パネル展
が、
 期間:令和3年7月15日(木)から令和3年7月29日(木)まで
 場所:深谷市役所本庁舎1階多目的ホール
で開催されています。

畠山重忠は、深谷市畠山で生まれたとされる平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武蔵国を
代表する武将

今でこそ「深谷市出身の畠山重忠」と使われますが、平成18年(2006)1月1日に、旧・深谷市、
旧・大里郡川本町、同岡部町、同花園町の合併により新・深谷市の一部となるまでは「川本町出
身の畠山重忠」でした。
深谷市と言えば今年の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公渋沢栄一の生地とし有名になりました
が、来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にもこの畠山重忠(役・中川大志)も登場します。ただ、
この13人には入っていません。




パネル展の展示物は。
 ◎重忠とは
  ・畠山重忠関係略年表
  ・畠山重忠系図
 ◎畠山重忠を描いた錦絵のパネル
 ◎畠山館跡
 ◎ゆかりの地(市内)
で、ある程度重忠を知っている方にとっては目新しいものはないようです・




◎ゆかりの地(市内)のパネルです
 ・畠山重忠墓
 ・畠山重忠墓覆屋
 ・満福寺
 ・井椋神社
 ・鶯の瀬




愛馬三日月を背負った「畠山重忠公像」
畠山重忠公史跡公園に建立されている像と同じものの小型版ですね

この像に正対して「渋沢栄一翁像」(胸像)がありました

なお、この深谷市役所庁舎は昨年7月に開庁したばかりの新庁舎です

見学日:令和3年(20121)7月21日(水)

深谷グリーンパークパティオのユリ②(埼玉県深谷市)

2021年07月23日 | 花・鳥・風景


深谷市グリーンパークパティオのユリその2です
ここ深谷市グリーンパークパティオの花壇には5色5品種約21,000本のユリが咲いています

 赤 色 : ダイナミクス
 黄 色 : エルディーボ
 オレンジ色:インディアンダイアモンド
 ピンク色: ストラストフィア
 白 色 : ゲリットザルム
























散策日:令和3年(2021)7月21日(水)

深谷グリーンパークパティオのユリ①(埼玉県深谷市)

2021年07月22日 | 花・鳥・風景


埼玉県深谷市の『深谷グリーンパーク』まで【ユリ】を観に行って来ました。
昨年はコロナ過の影響で行きませんでしたが・・・今年も相変わらずコロナ過ですが。
前日の開花状況では4分咲とのことでしたが天候が良いためか白いユリ(ゲリットザルム)以外は
満開状態でした。
毎回同じような写真ですが何枚か・・・
















散策日:令和3年(2012)7月21日(水)

「渋沢栄一翁 生誕の地 深谷」の切手

2021年07月21日 | エトセトラ


昨7月20日(火)から、埼玉県北部と群馬県の郵便局で
  オリジナル フレーム切手「渋沢栄一翁 生誕の地 深谷」
の販売が開始されたとのことで本日購入しに行ってきました。
他の記事でも書いたように切手コレクターではありませんが記念にと(すっかり渋沢栄一ブームに
のせられてしまっています)
行った先は渋沢栄一翁の生誕地である深谷市の郵便局でしたが、既に売り切れでした。
追加の入荷があるとのことでしたので、その時刻まで付近で時間つぶしをして再訪し、何とか手に
入れました。
この切手のことは、今朝、下の新聞記事で知ったわけで、前もって知っていれば昨日のうちに行っ
ていたかもしれませんが・・・




埼玉県北部と群馬県の郵便局で販売、更に25日からはインターネットでも販売とあり、その数は
900シートとあります。ちょっと調べてみたところ販売する埼玉県北部と群馬県の郵便局は全部で
199局。ネット販売を無視してもこれでは1局平均約4.5シートしかありません。発行数900(予)
という記述もありましたので・・・追加発行もあるかもしれません。

五領遺跡(埼玉県東松山市)

2021年07月19日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:五領遺跡(ごりょういせき)
形 態;複合集落跡
時 代:古墳時代前期(4世紀)
指 定:東松山市指定史跡(名称:五領遺跡 昭和36年〔1961〕3月8日指定)
    埼玉県選定重要遺跡(名称:五領遺跡 昭和44年〔1969〕10月1日選定)
現 状:住宅地
所在地:埼玉県東松山市若松町2丁目・柏崎字五領
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『五領遺跡、五領遺跡の出土品、五領遺跡B区出土品』
五領遺跡は若松町2丁目と柏崎字五領の辺りに広がる遺跡です。昭和29年(1954年)、遺跡内にある児童
養護施設の子供たちが農場で採取した土器が、当時未知の型式・器種・技法の土器群であったことから、
昭和32年(1957年)、東松山市教育委員会・資源科学研究所・明治大学考古学研究室の三者が共同で発掘
調査を行い(A区)、この土器群を遺跡名の五領遺跡から “五領式土器”と命名しました。昭和38年(1963
年)には開発に伴って緊急発掘が行われ(B区)、古墳時代前期を中心とする計56軒もの住居跡を調査し
ました。五領式土器はこれ以降、東日本の古墳時代前期を代表する土器型式として、考古学における年代
決定の指標となっています。             《東松山市ホームページから引用》
  
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まだ生徒と呼ばれる年代のころ、東松山市で遺跡の発掘をしているから見に行こうと同級生数人と電車に
乗って東松山市まで行き、歩いて発掘現場に行きました。
この時、K塚先生のお名前を初めて知りました。誰かに「あの人がK塚さんだよ」と教えていただいたの
かもしれません。駅から歩いていける距離ですからそう遠くない場所であった記憶は残っていたものの、
正確な場所は憶えていませんでした。最近、五領遺跡について調べて(難しい考古学の話ではなくどこに
あるのか程度の話)いたところ、K塚先生のお名前が出てきたり、昭和38年という発掘の年などが記憶と
合致しました。
「そうか! 仲間と発掘現場を見学に行ったのはこの『五領遺跡』だったのか」(緊急発掘が行われB区)
ということで、あれから半世紀以上も経過し、発掘現場の「は」の字もない住宅地と化した五領遺跡の跡
(跡の跡?)を訪ねてみた次第です。





緑の木立が「柏崎緑地」です。ここで松山台地の斜面は終わり平地にかわりますが、ここまでが
五領遺跡の範囲です。




緑地の南側は住宅地 五領遺跡のあった場所です




上の写真にある緩い坂道の左側を入ってすぐのところに五領遺跡の説明板が設置されていました




【五領遺跡説明板】
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  『五 領 遺 跡』
 御領遺跡は、市野川の沖積地に向かって舌状に張り出した松山台地の付け根の部分にあります。
 昭和29年(1954)、この地内から採集された土器のかけらがきっかけとなって、其の後、数回にわたっ
て発掘調査が行われました。
 これらの調査によって、150カ所以上の竪穴住居跡やぼう大な量の土器・石製品などが出土して、古墳
時代前期(4世紀)を中心とした古代の農耕集落の様子が明らかにされました。また、出土した土器の中
には、それまで東日本では知られていなかった土器が多く含まれていました。それらの土器は遺跡名にち
なんで『五領式土器」と名付けられられました。その後、東日本各地で、この土器の存在が確認されて、
五領遺跡は、古墳時代前期を代表する土器を出土した標式遺跡として全国的に知られていきました。
 五領遺跡に住んでいた人たちが、台地の下に広がる沖積地帯を開拓して、この地方では最も早く水稲耕
作を始めていたかもしれません。

所 在 地 東松山市若松町2丁目 他
遺跡種別 複合集落跡(縄文~古墳時代)
                                 東松山市・埼玉県 環境庁

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【五領遺跡説明板】にある「五領遺跡の範囲」図
この図は上が南になっています。遺跡の北側に北向きで建てられているこの説明板に正対した場合、
左側は図でも左側、右側は右にとそのままですから頭の中で向きを変換する必要がありません。多分
それを考慮して上を南にした図にしたのでしょう。強度の方向音痴の私には助かりました。




ただ、上の図ですと町名や施設名などが入っていませんので(方向音痴の私には)位置が特定でき
ませんので、地名、施設名の入った地図に五領遺跡の範囲を赤線で囲ってみました(東松山市の遺
跡地図を参考にして書き入れましたが、正確ではありませんので、おおよそこんな範囲かと参考程
度に見て下さい)




【五領遺跡出土土器】写真




柏崎緑地の東側の方です
フェンスの切れたところから上がりますと階段があります 




周りはアジサイの株ですが訪れたのがちょっと早かったせいかまだ咲いていませんでした




発掘されたのは半世紀以上も前のことですから、今更行ったところで何があるわけでもありません
が、遺跡の場所に立ってみたい。それだけで・・・
ここは☆印の付いた付近です。




上の写真よりも少し下がった柏崎緑地に近い場所です
南方から北方に向ってだけでなく東方に向っても緩い坂です




【東松山市埋蔵文化財センター】
帰りに寄ってきました。五領遺跡出土土器など東松山市の古墳や遺跡からの出土品が展示されています。
写真は撮ってきませんでしたが、次回は許可を頂いて是非

散策日:令和3年(2021)6月3日(木)

松江城・小田原城の切手

2021年07月17日 | 城館雑記


先日、某お店から届いた封書に貼られていた『国宝松江城天守』の切手です。
発行の経緯を調べてみたところ、本年6月16日に発行された【国宝シリーズ第2集】のモチーフと
なっているの国宝建築物10件の中のひとつでした。
ネットで松江城関連について検索しますと大体この角度からの天守の写真が出てきます。
右の写真は平成25年(2013)の夏、松江城を攻城した際に撮った写真の中から切手に使われている
構図に一番近いものを載せてみました。
ただし、この写真は国指定重要文化財時の松江城天守ですが・・・また、手前に写っている生垣は
現在はないようです。




『小田原城天守』の切手です。
私は、切手コレクターではありませんが、天守のイラストの切手であったことから切り取って保管
してあったもので、やはり、上記お店からの封書に貼られていたもの(3種類の切手を貼って当時の
封書の値段にしてあったうちの1枚)で、
平成12年(2000)発行の ふるさと切手「小田原城」 2種1組のうちのひとつ【天守に菊】です。
もう1種は、【銅門に梅】のようです。
この封書を頂いたのは発行よりだいぶ後の平成30年(2018)のことですが・・・
切手のイラストの天守と同じような写真はないかと探してみたところ、平成26年(2014)9月に攻城
した際の写真の中に、右の写真がありました。
しかし、イラストに描かれたような菊と一緒の構図の写真は当然ながらありませんが・・・




こんな構図の菊と天守が写った写真はありました。上の写真の前の年である平成25年(2013)11月
の攻城時のものです。




この写真も平成25年(2013)11月の攻城時のものです。

以上 無理矢理こじつけの記事を書いてみました11