名 称:
五領遺跡(ごりょういせき)
形 態;複合集落跡
時 代:古墳時代前期(4世紀)
指 定:東松山市指定史跡(名称:五領遺跡 昭和36年〔1961〕3月8日指定)
埼玉県選定重要遺跡(名称:五領遺跡 昭和44年〔1969〕10月1日選定)
現 状:住宅地
所在地:埼玉県東松山市若松町2丁目・柏崎字五領
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『五領遺跡、五領遺跡の出土品、五領遺跡B区出土品』
五領遺跡は若松町2丁目と柏崎字五領の辺りに広がる遺跡です。昭和29年(1954年)、遺跡内にある児童
養護施設の子供たちが農場で採取した土器が、当時未知の型式・器種・技法の土器群であったことから、
昭和32年(1957年)、東松山市教育委員会・資源科学研究所・明治大学考古学研究室の三者が共同で発掘
調査を行い(A区)、この土器群を遺跡名の五領遺跡から “五領式土器”と命名しました。昭和38年(1963
年)には開発に伴って緊急発掘が行われ(B区)、古墳時代前期を中心とする計56軒もの住居跡を調査し
ました。五領式土器はこれ以降、東日本の古墳時代前期を代表する土器型式として、考古学における年代
決定の指標となっています。 《東松山市ホームページから引用》
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まだ生徒と呼ばれる年代のころ、東松山市で遺跡の発掘をしているから見に行こうと同級生数人と電車に
乗って東松山市まで行き、歩いて発掘現場に行きました。
この時、K塚先生のお名前を初めて知りました。誰かに「あの人がK塚さんだよ」と教えていただいたの
かもしれません。駅から歩いていける距離ですからそう遠くない場所であった記憶は残っていたものの、
正確な場所は憶えていませんでした。最近、五領遺跡について調べて(難しい考古学の話ではなくどこに
あるのか程度の話)いたところ、K塚先生のお名前が出てきたり、昭和38年という発掘の年などが記憶と
合致しました。
「そうか! 仲間と発掘現場を見学に行ったのはこの『五領遺跡』だったのか」(緊急発掘が行われB区)
ということで、あれから半世紀以上も経過し、発掘現場の「は」の字もない住宅地と化した五領遺跡の跡
(跡の跡?)を訪ねてみた次第です。
緑の木立が「柏崎緑地」です。ここで松山台地の斜面は終わり平地にかわりますが、ここまでが
五領遺跡の範囲です。
緑地の南側は住宅地 五領遺跡のあった場所です
上の写真にある緩い坂道の左側を入ってすぐのところに五領遺跡の説明板が設置されていました
【五領遺跡説明板】
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『五 領 遺 跡』
御領遺跡は、市野川の沖積地に向かって舌状に張り出した松山台地の付け根の部分にあります。
昭和29年(1954)、この地内から採集された土器のかけらがきっかけとなって、其の後、数回にわたっ
て発掘調査が行われました。
これらの調査によって、150カ所以上の竪穴住居跡やぼう大な量の土器・石製品などが出土して、古墳
時代前期(4世紀)を中心とした古代の農耕集落の様子が明らかにされました。また、出土した土器の中
には、それまで東日本では知られていなかった土器が多く含まれていました。それらの土器は遺跡名にち
なんで『五領式土器」と名付けられられました。その後、東日本各地で、この土器の存在が確認されて、
五領遺跡は、古墳時代前期を代表する土器を出土した標式遺跡として全国的に知られていきました。
五領遺跡に住んでいた人たちが、台地の下に広がる沖積地帯を開拓して、この地方では最も早く水稲耕
作を始めていたかもしれません。
所 在 地 東松山市若松町2丁目 他
遺跡種別 複合集落跡(縄文~古墳時代)
東松山市・埼玉県 環境庁
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【五領遺跡説明板】にある「五領遺跡の範囲」図
この図は上が南になっています。遺跡の北側に北向きで建てられているこの説明板に正対した場合、
左側は図でも左側、右側は右にとそのままですから頭の中で向きを変換する必要がありません。多分
それを考慮して上を南にした図にしたのでしょう。強度の方向音痴の私には助かりました。
ただ、上の図ですと町名や施設名などが入っていませんので(方向音痴の私には)位置が特定でき
ませんので、地名、施設名の入った地図に五領遺跡の範囲を赤線で囲ってみました(東松山市の遺
跡地図を参考にして書き入れましたが、正確ではありませんので、おおよそこんな範囲かと参考程
度に見て下さい)
【五領遺跡出土土器】写真
柏崎緑地の東側の方です
フェンスの切れたところから上がりますと階段があります
周りはアジサイの株ですが訪れたのがちょっと早かったせいかまだ咲いていませんでした
発掘されたのは半世紀以上も前のことですから、今更行ったところで何があるわけでもありません
が、遺跡の場所に立ってみたい。それだけで・・・
ここは☆印の付いた付近です。
上の写真よりも少し下がった柏崎緑地に近い場所です
南方から北方に向ってだけでなく東方に向っても緩い坂です
【東松山市埋蔵文化財センター】
帰りに寄ってきました。五領遺跡出土土器など東松山市の古墳や遺跡からの出土品が展示されています。
写真は撮ってきませんでしたが、次回は許可を頂いて是非
散策日:令和3年(2021)6月3日(木)