
徳川家康の旗本設楽氏が拝領地である武蔵国礼羽(現在の加須市礼羽=らいは)に構えた陣屋跡をを訪ねて見ました。
陣屋跡とされる場所はあくまで推定地に過ぎないようで、「伝承 陣屋跡」の標柱が建っているだけで遺構はありません。
何もないからこそ標柱は城館跡探訪にとっては貴重です。関係者のそんな配慮に感謝の意を込めて散策してみました。
設楽氏は三河国設楽郡が発祥の地で、設楽氏陣屋(礼羽陣屋)は、加須・礼羽・馬内の旧3ヶ村1500石を賜った設楽貞清
が築いた陣屋で、貞清の嫡子・貞代の領主時代に加増により戸崎を与えられて2150石となっています。のち陣屋は加須に
移りましたが、その加須に移った場所は、加須駅の北西に位置するとされています。

標柱側面に記載された解説文
約400年前、徳川家康に従って江戸入りをした旗本、設楽甚三郎貞清は加須・礼羽・馬内・戸崎の旧4ヶ村を賜りました。
低湿地だった旧4ヶ村は文禄3年(1594)に利根川を東に流す大工事の結果、水田として開発され、以後明治になるまで
設楽家の知行地となっていました。設楽家は江戸に屋敷を持ち、年貢徴収などの領地支配のため加須のこの地に陣屋を置きま
した。設楽氏累代の墓地は市内馬内の香積寺にあります。
昭和63年3月 加須市教育委員会

黄色の丸印の所に「伝承 礼羽館」の標柱が建っています。伝・礼羽館については別記事にしてあります。

金蓮院
伝・陣屋跡と同じ礼羽地内にあるり、設楽貞清の開基によるものです
陣屋跡の遺構はありませんが、設楽氏関係のものですからスルーするわけにはいきませんので

早速、六地蔵尊がお出迎えです。

本堂

院号「金蓮院」の扁額

鐘楼

香積寺
やはり設楽貞清開基によるもので、こちらは加須市馬内にあります
実は、この香積寺を探すにあたり、香積寺のある地名(大字名)を思い違いしていたため、検索しても該当番地なし、近い番
地に行っても香積寺らしきものは見当たらずに何度も行ったり来たり。ある所である方に「香積寺でどこか分りますか?」と
お聞きしたところ、「馬内ってところにある。ほらあそこに見える建物の裏の道を・・・」と親切に教えていただきどうにか
辿り着いたという、またまた恥ずかしいお話です。

立派な山門です

門を入ると「加須市指定史跡 設楽家累代の墓」 「加須市指定有形文化財 木造寄木造釈迦如来坐像」の標柱があります

鐘楼

本堂

本堂に架かっている寺号「香積寺」扁額

本堂前に建てられている「加須市指定有形文化財 木造寄木造釈迦如来坐像」説明板
設楽氏の造立寄進とあります (実際の坐像は見ておりませんが)

設楽家累代の墓地

設楽家累代の墓の説明板ですが、設楽氏の簡単な歴史も述べられています。
伝・(設楽氏)陣屋跡と設楽氏開基のお寺ふたつを見て回りましたが、礼羽から移った加須駅近くの陣屋跡までは散策の足を
延ばせませんでした。
なお、鉢形北条家臣で鉢形城落城後、秩父郡皆野町金沢に移住し帰農して居館を構えた設楽金太夫と、この設楽氏との関係は
不明です。
散策日:平成30年(2018)4月17日(火)