四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

小沢城跡(群馬県沼田市)

2010年07月21日 | 100名城以外の城館跡


群馬県沼田市町田地内に所在する「小沢城跡」を訪ねてきました。
小沢城は、沼田氏8代の沼田景朋が、1405年に、荘田城から小沢城に移り、1519年に幕岩城へ移るまでの114年間、4代にわたって居城したとのことです。
 



「小沢城跡」説明板




城跡に建立されてい「法城院」




土塁




城跡に上がってくる道端に建てられた「沼田平八郎景義の墓」の案内標識




境内(墓地)にある「沼田平八郎景義之墓」の説明板




上記説明板から説明文のアップ

沼田平八郎景義の墓(供養塔)の写真を撮ってきたつもりでいたら全く違う墓であるというお粗末。
他にも色々と撮っておきたかった場所があったにも拘わらず取り損なったまま帰宅方向にとなってしまいました。

取りあえずは、荘田城、小沢城、沼田城を巡ることが出来たので良しとしましょう。

散策日:2010年(平成22年)7月19日(月)         

荘田城跡(群馬県沼田市)

2010年07月20日 | 100名城以外の城館跡


沼田市井土上町地内にある「荘田城跡」を訪ねてきました。
1247年、三浦氏が北条氏によって滅ぼされ、三浦泰村の子、景泰がこの荘田荘に逃れてきて三浦沼田氏の祖となったということです。
荘田城は、沼田城を築城した地方豪族・沼田氏の発祥の地とされ、8代沼田景朋が小沢城を築いて移るまでの158年間、沼田氏の居城でした。

現在は、「荘田城址公園」となっています。




「荘田城址公園案内図」

実はこの公園の下にももう一つ公園があって、そちらには「荘田城跡」説明板、「荘田城の歴史」解説板や標柱があったようなのですが、
思い付きの訪城でしたので、予備知識もなくその存在を知らずに行ったため見落としてきました。




見張り櫓を模した建造物




縄文時代から平安時代にかけてまで使用されたという竪穴住居が再現されています




空堀?  城跡とは関係ないようです

散策日:2010年(平成22年)7月19日(月)         

沼田城跡(群馬県沼田市)

2010年07月19日 | 続日本100名城






これまでに信濃国の「真田氏館跡」、「上田城跡」。そして、「松代城跡」と、真田氏の居城跡を訪ね歩いたが、上野国の「沼田城跡」も訪ねないことには話にならないと、
今回、沼田城を攻めてみた。しかし、公園案内図を見ていただければ分かるように、城跡と言ってもほぼ完全に公園化されてしまっており、城を偲ぶ遺構は数少ない。








沼田城については、上の写真の中に簡単な説明がされているので省略するが、確かに城があったのだなあと思わせるのは、この「西櫓台の石段・石垣」くらいかもしれない。




「二の丸」跡で、現在は野球場になっている。手前の土塁は当時のものか?




本丸と二の丸の間にあった「本丸堀」一部がのこったものとのことであるが、説明がなければただの池としか思えない。
ここまで公園化されてしまうと、(私には)なかなか城跡のイメージが湧かないのであるが・・・仕方ないですね。廃城になり、堀まで埋められてしまった城ですから。

攻城日:2010年(平成22年)7月19日(月) 続日本100名城選定前            

深谷城跡(埼玉県深谷市)

2010年07月11日 | 100名城以外の城館跡










深谷上杉氏の居城であったのが「深谷城」。その城跡は、現在、「深谷城址公園」として整備され、公園内には、市民文化会館、コミュニティセンター等が建てられている。
この深谷城跡こと深谷城址公園を訪ねたのは今回で2回目であるが、前回は城攻めとしてではなく、別の用件であったので、あらためて城攻めとして再訪した。




公園は、写真のように石垣と佐間のある白壁が廻らされている。城に対する知識の疎い私などは、かつての深谷城を再現したものかと思ってしまう。
しかし、これは公園として整備されたときに作られた模擬建造物であって、実際の深谷城とは大きくかけ離れているようである








上記の如く、深谷城址公園は、城跡を模してはいるものの、往時を偲ぶ遺構はない。僅かに遺るものとして、公園西側にある富士浅間神社を巡る外濠跡くらいなものかもしれない。
 
攻城日:2010年(平成22年)7月11日(日)