坂東三十三箇所十番札所「正法寺」(東松山市大字岩殿)を訪ねてみました。山号は「巌殿山」で、
真言宗智山派の寺院ですが一般には「岩殿観音」の通称で知られています。
寺伝によれば718(養老2)年に開山し正法庵と称し、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が
復興したとのことであり、頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。
九十九川に架かるここ「惣門橋」から始まる岩殿観音の参道は緩い坂道になっていて、
参道両側には約50戸の宿坊や、宿屋、商店等が並び門前町を形成していたと言います。
今は、往時の面影はないものの各戸では当時の屋号を書いた木札を吊るしています。
また、参道は石畳で、味気のないアスファルト舗装とは違った趣があります。
惣門橋のたもとに立てられている「岩殿観音門前町並」の案内板。
大分年数が経っていて文字・図が薄くなっていて見づらいです。惣門橋の惣の字が「総」になっています。
道路反対側には近年立てられた「岩殿観音参拝絵図」があります。
屋号等の書かれた木札を一つひとつ確認しながら参道を歩いてみました。
途中、参道を掃いていた方とお話をさせていただきましたが、「昔は参拝客で賑わっていたが、観音堂の裏に道が出来てからは皆な
そちらから参拝に行ってしまいほとんど人が来ない」というようなことを言っていました。裏の道とは大東文化大学前の道のこと。
坊のひとつ「正学院」です
こちらも坊の木札ですが、今は名前だけが残っているようです。
屋号の書かれた木札全部を紹介したいところですが、それだけで相当数の枚数を必要としますので、数件づつまとめて半分程度をアップします。
仁王門手前にある「丁子屋」 明治から昭和初期まで営業していた旅籠 往時の建物で残っているのはここくらいでしょう
仁王門(山門) 左手の道を行けば石段を登らずに観音堂境内に行けます
上の額には「巌殿山」と山号が書かれています
千社札が沢山貼られています
仁王像
仁王像
正法寺本堂
仁王門前から参道を
参道を額縁に
仁王門から観音堂境内に向かう石段を
石段の両端にはまだ紫陽花が咲いています
石段を登り始めて少しした左側にある「高札」 解説は解説板で
石段を登り切ったところから仁王門の屋根越しに参道を
観音堂境内
「薬師堂」(中央灯篭の後ろ)と 「百地蔵堂」(右側)
薬師堂
岩殿観音堂 1
3回再建され、現在ののものは1871(明治11)年に建立
坂上田丸麻呂が奥州征伐に向かう途中観音堂に泊まり、悪龍退治した伝説がある
その退治した龍の首を埋めたのが近くにある弁天沼(鳴かずの池)であるとも
岩殿観音堂 2
岩殿観音堂 3
絵馬堂
観音堂を囲む岩壁 岩肌に掘った岩窟には四国八十八箇所のうつし本尊を祀った88体の石仏
紫陽花と石仏
紫陽花越しに見る薬師堂
樹齢700年の大銀杏 (東松山市指定天然記念物) 上までは撮れませんでした
「萱葺き屋根の鐘樓(東松山市指定有形文化財)」と「銅鐘」(埼玉県指定有形文化財)
石段から鐘樓のかやぶき屋根を望む
鐘樓のある場所から岩殿観音の参道を望む
散策日:2015(平成27)年6月29日(月)