四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

吉良上野介陣屋跡.と陣屋井戸(群馬県藤岡市)

2023年10月31日 | 100名城以外の城館跡

藤岡市白石地内に忠臣蔵で有名な吉良氏の陣屋跡と陣屋井戸があるとのことから訪ねてきました。


陣屋建物の遺構はありませんが、この畑の場所に陣屋があったとのことです。
標柱と説明板が建てられています。


「吉良氏陣屋跡」説明板
  忠臣蔵に登場する吉良上野介義央の祖父義弥の時代、寛永五年(1628年)頃、徳川家康より
  上野国白石村に740石の所領を新たに拝領し、陣屋を置き当地を支配した。
  吉良氏は朝廷と幕府との間の儀式や作法を指導する「高家」の役職に就き、義弥・義冬・義
  央の三代にわたり、赤穂義士の討ち入りが決行された元禄十六年(1703年)まで続いた。
とあります。


ここ一帯が陣屋敷地であったのでしょう


井戸は四阿の覆屋で保護されておいます。吉良上野介義央は白石で誕生したという伝説があり、こ
の井戸の水を産湯をつかったといわれるようです。


「吉良上野介陣屋跡井戸」説明板


井戸

散策日:令和5年(2023)10月26日(水)

ぐんま古墳カード 第3弾  取り合えず1枚ゲット‼

2023年10月30日 | 古墳


群馬県は東日本最大の古墳大国と言われます。そんな群馬県では「ぐんま古墳カード」を配布しています。
「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市)が世界遺産に登録されたのを記念し、古墳
大国の群馬県をPRするために始まったものであり、現在まで第3弾計36か所の古墳が古墳カードの対象
となっています。
ルールは対象になっている古墳に行って古墳とのコラボ写真を撮って、当該古墳カード配布先の博物館・
資料館等に赴き写真を見せてカードを頂くというものです。カードのデザインは百舌鳥・古市古墳群で配
布されている「もず・ふるカード」と同じデザイン及びぐんまオリジナルデザインの2種類ありますが、
もらえるのはどちらか1枚です。

今回、藤岡歴史館での企画展を観覧してきましたが、近くに古墳が沢山あることからついでに古墳カード
をゲットしようと考え、三脚を持って出かけました。
第3弾の古墳カードの対象で藤岡歴史館の目の前にある「平井地区1号古墳」に行き、オートタイマーを
セットしたのですが、陽の加減で液晶画面がよく見えずとんでもない設定なってしまいました。それでも
一応は証拠写真にはなったようです。今年4月に訪ねたときは草もこれほどひどくはありませんでした。



藤岡歴史館の受付で写真を見せて「「平井地区1号古墳」の古墳カード・ぐんまオリジナルデザインのも
のをいただきました。
他に行けそうな古墳もあったのですが、すでに配布終了のところばかりでした。
取り合えず1枚ゲットしたからよしとしましょう・・・2枚目、3枚目までは今のところ考えていません。



「平井地区1号古墳」の古墳カード(表)


「平井地区1号古墳」の古墳カード(裏)

ぐんま古墳カードの対象古墳を下に列挙しておきます。古墳名と所在地市町村名のみとし、配布先施設や
開館時間、休館日などは省かせていただきます。
藤岡市の場合はどの古墳も藤岡歴史館が配布先になっていますが、他市では同じ市内の古墳でも古墳によ
って配布先が異なるところがあります。
また、36か所72種の古墳カードとなりますが、すでに配布終了のものが多くありますので、これから全部
を集めることは無理でしょう。太字は訪問済みの古墳・・・ただし古墳カードは入手していません

ぐんま古墳カード 第1弾  令和元年(2019)8月3日~
 1 簗瀬二子塚古墳 (安中市)
 2 保渡田古墳群・八幡塚古墳 (高崎市)
 3 観音塚古墳 (高崎市)
 4 山上古墳 (高崎市)
 5 綿貫観音山古墳 (高崎市
 6 伊勢塚古墳 (藤岡市)
 7 七輿山古墳 (藤岡市)
 8 三津屋古墳 (北群馬郡吉岡町)
 9 総社古墳群・蛇穴山古墳 (前橋市)
 10 大室古墳群・前二子古墳 (前橋市)
 11 太田天神山古墳 (太田市)
 12 塚廻り古墳群第4号古墳 (太田市)

ぐんま古墳カード 第2弾  令和2年(2020)8月1日~
 1 前橋天神山古墳(前橋市)
 2 宝塔山古墳(前橋市)
 3 中二子古墳(前橋市)
 4 お富士山古墳(伊勢崎市)
 5 南下E号古墳(渋川市)
 6 軍配山古墳(佐波郡玉村町)
 7 井出二子山古墳(高崎市)
 8 元島名将軍塚古墳(高崎市)
 9 白石稲荷山古墳(藤岡市)
 10 諏訪古墳 (藤岡市)
 11 女体山古墳 (太田市)
 12 円福寺茶臼山古墳(太田市)

ぐんま古墳カード 第3弾  令和3(2021)10月9日~
 1 前橋八幡山古墳(前橋市)
 2 山王金冠塚古墳(前橋市)
 3 後二子古墳(前橋市)
 4 薬師塚古墳(高崎市)
 5 関長者塚古墳 (みどり市)
 6 赤堀茶臼山古墳(伊勢崎市)
 7 奈良古墳群(沼田市)
 8 中ノ峯古墳(渋川市)
 9 平井地区1号古墳(藤岡市)
 10 高塚古墳(北群馬郡榛東村)
 11 笹森古墳(甘楽郡甘楽町)
 12 古海原前1号古墳 (邑楽郡大泉町)


平井地区1号古墳の古墳カード入手日:令和5年(2023)10月25日(水)

将軍塚古墳(埼玉県東松山市)

2023年10月29日 | 古墳


東松山市下野本に所在する大型の前方後円墳である(野本)将軍塚古墳は、古墳時代前期の古墳と
しては埼玉県第1位の規模を誇ります。そんな(野本)将軍塚古墳を久しぶりに散策してきました。
上の写真は将軍塚古墳を南方から見たもので、左側が後円部、右側が前方部です。

名 称:将軍塚古墳(しょうぐんづかこふん)
通 称:野本将軍塚古墳
墳 形:前方後円墳
規 模:全長115m 高さ:後円部13m、前方部8m
築 造:古墳時代前期・4世紀後半
出土品:土器
指 定:埼玉県指定史跡(名称:将軍塚古墳 昭和35年〔1960〕3月1日指定)
所在地:埼玉県東松山市下野本612

野本将軍塚は都幾川が形成した広い沖積地に張り出す松山台地の先端部に築造された古墳です。
現在まで発掘調査は行われておらず築造年代は諸説あったが、2017年に東松山市教育委員会と早稲
田大学考古学研究室との共同で三次元墳丘測量と地中レーダー探査を中心とする調査を行った結果、
古墳時代前期(4世紀後半)に築造されたものと認められました。これに関しては2018年にシンポ
ジウム「野本将軍塚古墳緒時代」が開催されました。


前方部南側の東端あたりに建立されている石碑で「昭和三十五年三月一日指定 埼玉県指定史跡 
将軍塚古墳」と刻まれています。
以前はこの石碑の左側に木製の「将軍塚古墳」説明板が建っていたのですが、ほとんど読めない状
態になっていたためかここ2,3年の間に撤去されたようです。
この道は無量寿寺の参道となっています。標柱に「利仁山」とありますが、無量寿寺の山号です。
無論、反対側には「無量寿寺」と刻まれた標柱が建っています。

:
後円部の西側です。この将軍塚古墳の道を挟んだ南側に野本市民活動センターがあり、10月28日
(土)、29日(日)は野本地区文化祭が開催され、29日は駐車場で野本商工祭が同時開催されて
いました。


鳥居のある場所が将軍塚古墳の「くびれ部」にあたり、「利仁神社」の参道入口になります。


鳥居手前の右側に「埼玉県指定史跡 将軍塚古墳」の新しい説明板が設置されています。
以前のものは、後円部の北側の柵に取り付けてありましたが撤去して、こちらに新しいものを設置
したようです。
実は今回の将軍塚古墳の散策の目的はこの新しい説明板でした。


新しい説明板です。
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   埼玉県指定史跡 将軍塚古墳
 都幾川を望む東松山台地の南縁に所在しています。現存する墳丘の長さは最も長い所で115mあり、埼玉県内で
も有数の規模を誇る前方後円墳として、昭和35年(1960)3月1日に埼玉県指定史跡に指定されました。
 平成29年(2017)、綿密な墳丘測量と地中レーダー探査を中心とする非破壊調査を実施し、前方部二段、後円部
三段の立体構造を持つ、精緻な前方後円墳であること、後円部のほぼ中央に遺体を安置するための施設が今も残さ
れていることがわかりました。この成果から、将軍塚古墳が古墳時代前期に築造された、当時埼玉県内最大規模の
前方後円墳であったことがわかってきました。
 近年周辺で発見された集落跡や古墳、出土した遺物などを考え合わせると、当時ヤマト政権が関わって行われた
大規模な低地開発の結果、活発な地域間の交流が生まれ、それらをまとめ、治めた首長のために将軍塚古墳が築造
された背景が見えてきます。
 令和4年(2022)1月 東松山市教育委員会

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くびれ部から前方部を 前方部には戦没者慰霊日などが建立されていますが今回はスルーしました。


後円部に向かいます。 まず最初の階段を


二つめの階段です。


階段を登りきると正面に「利仁神社」(としひとじんじゃ)が。
利仁神社は延長元年(923年)の創建


この「利仁神社」の鎮座するところが後円部です。
利仁神社の「利仁」とは、平安時代の武将であり貴族である藤原利仁(ふじわらのとしひと)を指し
利仁を祀った神社です。
藤原利仁は鎮守府将軍であったことから。この利仁を祀る神社があることから、この古墳を将軍塚
古墳と呼ぶようになったようです。
なお、この古墳の北側にある無量寿寺は武蔵守在任中の陣屋跡と伝えられている。
 

扁額


駐車場では「野本かかし祭コンテスト」が行われていましたが、文化祭、商工祭の方たちでいっぱ
いのため全部は取れませんし目的外でしたので2枚ほど・・・


かかし祭り大賞は It's show time


野本商工祭
文化祭は活動センターの建物内で・・・

まさか文化祭、商工祭をやっているとは思いもせずに行ったものですから駐車場はどこも満車。
遠く離れた畑の中の路肩にとめてきました。

散策日:令和5年(2023)10月29日(日)

境塚古墳(群馬県藤岡市)

2023年10月28日 | 古墳


藤岡市白石地域(旧平井村)には国指定史跡白石稲荷山古墳をはじめとして沢山の古墳が存在し、
白石古墳群を形成しています。
そんな白石古墳群に属してはいないほぼ無名の古墳「境塚古墳」を訪ねてきました。

名 称:境塚古墳(さかいづかこふん)
別 称:平井村606号墳
墳 形:円墳
規 模:径23.0m、高さ3.5m 埋葬施設:両袖式横穴式石室(截石切組積み)
築 造:不明
出土品:不明
指 定:ー
所在地:群馬県藤岡市白石字根岸

無名(失礼)とはいえ地図には載っていましたのでナビを頼りに当該場所に着くと、緩やかな斜面
に墳丘と思われるものがありました。しかし、古墳を示す標柱も説明板もなく、雰囲気的には現在
の墓地でしたので、まさかここが境塚古墳とは思えずに付近を更に捜すも、ナビはここに誘導して
きます。3度目くらいだったでしょうか、取り合えず確認してみよう墓の方から回り込んでみたら
何と玄室の開口部があるではないですか。予めどこかのサイトで写真でも探してみておけばこんな
失敗はなかったのですが・・・まあ、毎度のことですので。


西側の道路から見る墳丘
墳丘の北側は墓地でいくつもの墓石があり、なるべく墓石が入らないように撮ったものの幾つかは
入ってしまいました


南側から


墳頂の石祠


墳頂から少し下がった南側に石室の開口部を見つけました
下(道路上)からでは見えませんでした


位置的にはこんな感じです


羨道部は破壊されて消失されているいるようです
土砂が玄室の開口部まで迫っています


玄室内です  
奥壁に「明治四十三年 二月六日  ??  古物ナシ」と落書(切り込み)があります。
単なる落書きなのか何か意味があるのか?


落書き?の部分を画像処理してみました


左側壁


右側壁

散策日:令和5年(2023)10月25日(水)

喜蔵塚古墳(群馬県藤岡市)

2023年10月27日 | 古墳


群馬県南部、鏑川南岸・鮎川西岸の白石台地南端付近の斜面地に築造された古墳です。古墳名は嘗
ての所有者名に由来します。

名 称:喜蔵塚古墳(きぞうづかこふん)
別 称:平井村567号墳・田村塚
墳 形:円墳(方墳?)
規 模:径23~25m、高さ4m 埋葬施設:両袖式横穴式石室(截石切組積み)
築 造:古墳時代末期・7世紀末
出土品:不明
指 定:藤岡市指定史跡(名称:喜蔵塚古墳 昭和43年〔1968〕4月23日指定)
所在地:群馬県藤岡市白石字中郷

を訪ねてきました。


南側の道路沿いに【市指定史跡 喜蔵塚古墳】の標柱が建っています
駐車場はありません。路上駐車はしないですぐ近くにある白石公民館に駐車してくださいとの看板
があります。古墳へはここの道を徒歩でとあります。他のルートはありません。
この場所が斜面地であることがこの写真からもわかると思います。


墳丘の前に説明版が設置されています


設置されて間もないようできれいな状態で、判読容易ですので今回は転記しないで済みそうです


開口部 左斜めから


開口部 右斜めから


開口部 正面から 南に向けて開口しています


羨道部
長さ4.30~4.41m、幅1.30~1.35m、高さ1.55~1.60m。側壁、天井石ともに表面を平たく加工した
凝灰岩が用いられています。


玄門


玄室 天井は大きな一枚の石です
長さ2.60m、奥壁幅2.10m、高さ1.85m  大きな凝灰岩の切石で築かれています。


玄室から羨道方向


墳丘


周囲は民家と畑に囲まれていて全体を撮るのは無理でした。裾から墳頂を

散策日:令和5年(2023)10月25日(水)

藤岡歴史館秋季企画展 古墳時代の祈りのカタチ -白石稲荷山古墳と群馬の石製模造品-

2023年10月26日 | 企画展・見学会


藤岡歴史館秋季企画展
古墳時代の祈りのカタチ 白石稲荷山古墳と群馬の石製模造品
 会期:令和5年10月7日(土)~12月3日(日)
 場所:藤岡歴史館企画展示室 (藤岡市白石1291-1)
 主催:藤岡歴史館[藤岡市教育委員会 文化財保護課]
 協力:國學院大學博物館、東京国立博物館、群馬県、高崎市教育委員会、富岡市教育委員会、
    香取市教育委員会
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   秋季企画展「古墳時代の祈りのカタチ -白石稲荷山古墳と群馬の石製模造品-」
古墳時代のマツリで使われた祈りの道具である、石製模造品(せきせいもぞうひん)古墳時代前期(4
世後半)に奈良盆地周辺で生み出され、古墳時代中期(5世紀)には、関東地方を中心に流行し、古墳時代中期
を代表する遺物の一つとなっていきます。

本市の白石稲荷山古墳は、今から90年前の昭和8年(1933)の発掘調査で多量の石製模造品が古墳へ納められた
そのままの状態で発見されたことで、全国的にも知られる前方後円墳です。その出土品は、発掘調査直後に東京
国立博物館へと買い上げられ、現在まで展示・収蔵されています。本展示では、約1世紀の時を経て白石稲荷山
古墳の出土品が里帰りします。          《藤岡市ホームページより》
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を観覧してきました。


藤岡歴史館入口 企画展のポスターがお出迎です


企画展示室入口  
今回の企画展は、
 第1章 石製模造品とマツリ
 第2章 石製模造品の出現したころ
 コラム 石枕と地域間交流
 第3章 白石稲荷山古墳の石製模造品
 コラム 滑石製合子が示すもの
 第4章 石製模造品のマツリの展開
 第5章 藤岡市域のモノづくり
からなっています。


企画展示室内の模様    第1~5章、コラムのパネルとショーケースに収められた展示品
第4、5章は常設展示室に展示されていました
全部の紹介は無理ですが何点か紹介しておきます 画質が悪いのはご勘弁ください


第1章 石製模造品とマツリ


滑石


第2章 石製模造品の出現したころ


①小型仿製鏡  ②碧玉製管玉  ③鉄製品  ④石製模造品


石製模造品


左:石枕と地域間交流    右:白石稲荷山古墳と石製模造品 ・ 白石稲荷山古墳 西槨副葬品


常総型石枕  石製立花  刀子形石製摸造品


白石稲荷山古墳と石製模造品 ・ 白石稲荷山古墳 西槨副葬品


石枕 白石稲荷山古墳出土遺品


滑石製勾玉 白石稲荷山古墳出土遺品


滑石製合子


杵形石製模造品


第4章 石製模造品のマツリの展開


第4章 石製模造品のマツリの展開


第5章 藤岡市域のモノづくり


本企画展のタイトルにも入っている国指定史跡白石稲荷山古墳(本年4月の散策時に撮影)と
購入してきた「展示解説図録」(¥200)

観覧日:令和5年(2023)10月25日(水)

鉢形城歴史館令和5年秋季企画展「鉢形城の発掘調査成果」

2023年10月24日 | 企画展・見学会


鉢形城歴史館令和5年秋季企画展
  「鉢形城の発掘調査成果」
期間:令和5年10月21日(土)~11月26日(日)
場所:鉢形城歴史館 企画展示室 (埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2)
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 令和5年秋季企画展は、「鉢形城の発掘調査成果」と題し、保存整備事業に伴う発掘調査によって検出
された遺構の写真や遺物を中心に調査の成果を紹介します。
 鉢形城跡では平成29年度から第2期保存整備事業に伴う発掘調査を実施中で、折に触れ現地説明会な
どを通し、その成果を公表してきました。調査着手以前は、耕作等により遺構が削平されていると想定さ
れておりましたが、石積みで囲まれた虎口や礎石を持つ門跡、堀に架かっていた橋を支える橋脚台など、
想定外の発見が相次ぎました。
 本企画展では第1期保存整備事業の出土遺物を含め、新たに発掘調査で出土した遺物を展示します。
                        《寄居町ホームページ【鉢形城歴史館】から引用》

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を観覧してきました。

今回の展示は、
 ● 伝逸見曲輪  ● 笹曲輪  ● 二の曲輪  ● 三の曲輪  ● その他
からの出土遺物(かわらけ・鉢・瀬戸小皿・染付皿。天目茶碗・近世陶磁器などです。
なお、写真撮影は禁止のため残念ながら展示品の紹介はできません。


鉢形城歴史館の入り口には冠木門が。右側奥の建物に企画展示室はあります


掲示板には今回の企画展のポスターが貼られています


大型の休憩施設


鉢形城跡を少しだけ歩いてきました。これは伝逸見曲輪で、トップの写真は、この伝逸見曲輪の発
掘調査中のものです。


三の曲輪 中央右寄りの門は 復元四脚門
 

伝秩父曲輪  復元四阿と奥には復元石積土塁


馬出(角馬出)


伝秩父曲輪から二の曲輪を


三の曲輪・伝秩父曲輪と二の曲輪を遮断している堀

なお、鉢形城跡は国指定史跡  日本100名城でもあります

観覧・散策日:令和5年(2023)10月24日(火)

菅谷館跡国指定史跡50周年記念シンポジウム

2023年10月23日 | 講演会・講座


    菅谷館跡国指定史跡50周年記念シンポジウム
「いま振り返る 菅谷館跡の50年 ーそして次の50年へー」

日時:令和5年10月22日(日) 12:30~16:50 (開場11:30)
会場:国立女性教育会館 講堂(比企郡嵐山町菅谷)
主催:埼玉県立嵐山史跡の博物館

挨拶   栗 岡 眞 理 子 氏(埼玉県立嵐山史跡の博物館長)
基調講演 本 郷 和 人 氏 (東京大学史料編纂所教授)
      「御家人銀座・嵐山」
報告①  梅 沢 太 久 夫 氏(元 埼玉県立歴史資料館長)
      「菅谷館跡の保存と埼玉県立歴史資料館設立の頃」
報告②  浅 野 晴 樹 氏 (東国中世考古学研究会会員・菅谷館跡保存活用計画策定委員)
      「菅谷館跡と周辺遺跡のあるべき姿
              ―現状・課題、活用方法について―」
討論    「いま振り返る 菅谷館跡の50年 ーそして次の50年へー」

を受講してきました。



シンポジウム会場の国立女性教育会館 講堂


シンポジウム資料
※シンポジウムの写真撮影・録画・録音は禁止のため写真はありません
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基調講演や報告の内容については触れずにおきますが、
菅谷館跡が埼玉県指定史跡に指定されたのが、大正12年(1923)3月21日で今年が100年になります。
国指定史跡に指定されたのが、昭和48年(1973)5月26日で、今年が50周年となります。
更に、平成20年(2008)3月28日 既に国指定史跡であった菅谷館跡に、松山城跡(吉見町)・杉山城跡
(嵐山町)・小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)を追加指定し、「国指定史跡比企城館跡群」とな
りましたので、現在は国指定史跡比企城館跡群菅谷館跡と呼ばれます。
一方、菅谷館跡内に昭和51年(1976)4月に「埼玉県立歴史資料館」が開館しました。この歴史資料館は、
平成18年(2006)4月1日に「埼玉県立嵐山史跡の博物館」と改称され現在に至っています。
本シンポジウムに関係する写真を何枚か載せてみたいと思います(参考にはなりませんが)



二ノ郭の本郭小口近くに設置されている菅谷館跡の説明板ですが、菅谷館跡単体で国指定史跡に指
定されていた当時のもので「国指定史跡 菅谷館跡」と標記されています。


国指定史跡比企城館跡群となってからのもので、「国指定史跡比企城館跡群 菅谷館跡」と標記が
変わり、このころは公文書も縦書きから横書きに変わっていましたから、説明文も横書きになって
います。


標柱  埼玉県指定史跡時代に建立されたもので
 表面に  埼玉県指定史跡  菅谷館跡
 裏面に  大正十二年三月三十一日指定  埼玉県教育委員会
      昭和四十六年三月三十一日建  嵐山町教育委員会
と刻まれています


国道254号嵐山バイパス沿いにある嵐山史跡の博物館入口(搦手跡)に建立されている標柱
 表面に  国指定史跡  菅谷館跡
 裏面に  昭和四十八年五月二十六日指定  文  化  庁
                      埼玉県教育委員会
と刻まれています


まだ埼玉県立歴史資料館と称していたのころの昭和57年(1982)5月21日に訪館した際の写真で、
銘板石には一部隠れていますが「埼玉県立歴史資料館」と刻まれています


その際にいただいたパンフレットで、簡単な訪館記とともに保管していますが41年も前のものにな
ります


展示は 考古・歴史展示室〈考古〉、考古・歴史展示室〈歴史〉、民族展示室に分かれてましたが、
今のように畠山重忠や中世に特化してはいませんでした。

受講日:令和5年(2023)10月22日(日)

国指定史跡 下里・青山板碑製作遺跡 -割谷地区-

2023年10月20日 | 史跡・遺跡・文化財

                                                         
鎌倉時代から戦国時代の板碑製作遺跡である『国指定史跡 下里・青山板碑製作遺跡』を訪ねてき
ました。
詳細は小川町のホームページからの引用と下の方に載せた現地説明板の内容を見ていただければと
思いますが、下里・青山地区で確認された採掘の可能性がある19か所のうち、
  比企郡小川町大字下里字林殿谷(りんでんやつ) 
  比企郡小川町大字下里字西坂下
  比企郡小川町大字下里字内寒沢(うちかんざわ)
の3か所が平成26年(2014)10月6日に国の史跡に指定されました。
今回はこの3か所のうち過去2回(いずれも平成27年・2015年)訪ねた-割谷地区-を久しぶりに
訪ねてきた次第です。
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鎌倉時代から戦国時代の板碑製作遺跡です。13世紀頃から関東では仏教信仰の高まりを受け、寺院建立に加え緑泥
石片岩製の石塔である「板碑」の造立が盛んになりました。小川町は板碑石材の有力な産出地と考えられており、
平成13年に下里地内で加工石材が採集されたことを契機に、小川町教育委員会が調査を開始したところ、採掘の可
能性がある地点が、割谷(わりや)地区、西坂下前A地区、内寒沢(うちかんざわ)地区など19箇所確認されました。
割谷地区では、緑泥石片岩の露頭や、大小のズリによって形成された幅50m、奥行き45m程の平場がみられます。
発掘調査では、矢穴痕が残る岩塊や板碑形のケガキ線や溝状の彫り込みの残る石材、平ノミによる削り痕がある石
材等が確認され、採掘から板碑形へ加工するまでの工程が明らかになりました。また、出土した未成品の大きさや
加工技術を町内外にある板碑と比較検討した結果、割谷地区における採掘の最盛期が関東で最も多く板碑が造られ
られます。板碑の生産と流通だけでなく、板碑に象徴される中世の精神文化を知る上でも重要な遺跡です。
                                   《小川町のホームページから引用》

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小川町下里地区です。国指定史跡 下里・青山板碑製作遺跡 -割谷地区-は標識にあるよう右折して進みます。
右の方にそのまま進行すると嵐山町遠山地区に入り、国指定史跡比企城館跡群小倉城跡にも通じています。


駐車場に到着です。ここは数台しか駐車できませんが、ここまで来る途中にかなりの台数が止められる下里・青
山板碑製作遺跡見学者用の駐車場がありますが、そこからですとかなり歩かなければなりません。


この先は通行止めとなっていますが、「徒歩入れます「とあります。


右手は、下里・青山板碑製作遺跡 -割谷地区の山の斜面で、ズリ(不用石材の破片)が覆っています。


ここから見学(散策)開始です


ロープの内側は遺跡保護のため入れません


ロープに沿って外側を登っていきます


登っていく途中の左手に緑泥石片岩の露頭があり、「矢穴」が確認できます


ズリ平場


沢山のズリですが、中央辺りにあるのは板碑の上の部分にあたる「山形」を呈しています


1号トレンチ(試掘坑)の手前に「説明板」が設置されました
過去2回訪れたときはありませんでしたので、説明板が設置されるのを待ち望んでいましたが、気付いたのがち
ょっと遅かったかと





1号トレンチ


同上


同上 矢穴が見えます


ズリ平場

散策日:令和5年(2023)10月20日(金)

吹上コスモス畑

2023年10月19日 | 花・鳥・風景


鴻巣市の荒川河川敷に広がる「吹上コスモス畑」に今年も行ってきました。今でこそ鴻巣市の一部となっ
ていますが、平成17年(2005)に鴻巣市に編入するまでは北足立郡吹上町でした。
コスモス畑は「コスモスアリーナふきあげ」近くに広がっており、「荒川水管橋」の赤いアーチがコスモ
スとコラボしています。21日(土)・22日(日)の週末「コスモスフェスティバル」が開催されるようで
す。フェスティバル当日は混みそうなので一足早く見学に行ってきた次第ですが、平日にも関わらず多く
の人が訪れておりました。



























































散策日:令和5年(2023)10月19日(木)